岸田文雄新総裁の下で発足した自民党新執行部。幹事長に就任したのは甘利明氏(72)である。甘利氏といえば、2016年に小誌が“1200万円口利き疑惑”を報道。十分な説明責任を果たさぬまま、第二弾記事掲載号の発売日である1月28日に経済財政政策担当大臣を辞任した。
あれから約5年。記者会見で口利き疑惑について質問された甘利氏は「質問が出尽くすまでお答え致しました」と“説明責任は果たしたこと”を強調した。だが、本当にそうだろうか。そこで、すべての元となった「週刊文春」の甘利氏追及キャンペーン記事の第一弾を特別に全文無料公開とする。(※肩書きや年齢は2016年当時のまま)
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難航したTPP交渉を大筋合意に導き、評価を高めた甘利明TPP担当大臣。今国会では承認が控えるが、そんな矢先、その適格性が問われる重大な疑惑が発覚した。甘利大臣や秘書が、口利きのお礼として多額の金を受け取ったというのだ。衝撃告発の中身とは――。
神奈川県大和市にある古びた喫茶店『F』。昨年十月十九日、薄暗い店内の片隅でワイシャツ姿の中年男性二人が向かい合っていた。
この数カ月間、二人は毎週月曜日、近くの回転寿司でランチを済ませると、この店でコーヒーを飲んでいる。男たちは小声で十分ほど話しこんだ後、手前に座った年配の男が周囲を気にしながら、テーブルの上に二つの封筒を差し出した。
「ウフフフ……」
封筒を見た窓際の男が、突如笑い声をあげ、年配の男が冗談めいた口調で「本物でしょ?」と語りかけた。
窓際の男が躊躇なく封筒を受け取ると、もう一方の封筒を手にしながら、
「ウフフフ。あ、私がお預かりしておきます」
そう言って、傍に掛けていた自身のジャケットの内ポケットに二つの封筒をねじ込んだのだった。
「甘利大臣に直接手渡した」
封筒を受け取った男の名は清島健一(39)。実はこの男、地元ではちょっとした実力者だ。甘利明TPP担当大臣(66)の公設第一秘書で、甘利氏が地元に構える大和事務所の所長でもある。
年配の男性が、この日のことをこう振り返る。
「清島所長に渡した二つの封筒の中には現金が十万円ずつ入っています。知人に頼まれて、ある外国人のビザ申請で便宜を図ってもらおうと、甘利事務所の力を借りていました。秘書が動くには経費がかかると所長から言われたため、この日、十万円を所長に、もう一つの封筒は政策秘書の方に渡してくださいという意味で預けたのです。
実は、清島所長や甘利事務所の方にお金を渡したのは、このビザの件だけではありません。ある案件では、所長や他の秘書に金銭を渡したり、飲食の接待をして、千万単位の金をつぎ込んできました。しかも、現金を甘利大臣に直接手渡したこともあるのです」
そんな衝撃的な告発をするのは一色武氏(62)。千葉県白井市にある建設会社『S』の総務担当者だ。自身でも会社を経営しており、甘利氏の支援者でもある。その一色氏が告発に至った経緯をこう語る。
「利益供与をしたわけですから、真実を話すことで自分が不利益を被ることは承知しています。
しかし安倍政権の重要閣僚で、TPP交渉の立役者と持て囃された甘利大臣や、それを支える甘利事務所の秘書たちが、数年もの間、金をとるだけ取って、最後は事をうやむやにしようとしている姿に不信感を抱くようになったのです。『うち(甘利事務所)が間に入りますから』というような甘い言葉を私にかけては、金をタカってきましたが、それは支援者に対する誠実な態度といえるのでしょうか。私は、彼らのいい加減な姿勢に憤りを覚え、もう甘利事務所とは決別しようと決心したのです。
私は、自分の身を守る手段として、やり取りを録音しています。また、毎回いつ誰とどこで会ったかなどを記録に残し、領収書はメモと一緒に保管してきました。口利きの見返りとして甘利大臣や秘書に渡した金や接待で、確実な証拠が残っているものだけでも千二百万円に上ります」
そう言って、彼は膨大な資料やメモ、五十時間以上にも及ぶ録音データなどを小誌に提供したのだった。
甘利氏は、安倍政権の閣僚の中でも別格の存在だ。第一次政権では経産大臣、第二次政権が発足するとアベノミクスの司令塔として経済再生担当大臣、さらに成長戦略の柱であるTPP担当を任ぜられるなど安倍首相の信頼は厚い。
「一次、二次の安倍政権を通じてずっと大臣の職にあるのは甘利氏だけです。TPP交渉では、アメリカの担当者と怒鳴りあい、席を蹴って退席したこともあった。そんな交渉ができたのは、安倍首相の“全権委任”とも言うべき信頼があってのことです。第二次政権における甘利氏は、菅義偉官房長官、麻生太郎副総理兼財務相と並ぶコアメンバーなのです」(政治部記者)
予算編成を終えた昨年十二月二十三日の夜には、安倍首相、菅官房長官、麻生財務相と四人で赤坂の中華料理店で食事。「アベノミクスはうまくいっている。本当によかった」などと盛り上がったという。
甘利氏が担当するTPPは、大筋合意を受け、今後各国の承認手続きが控える。
「二月上旬にも担当閣僚が参加して署名式が開かれます。署名で協定の文言が固まり、各国が協定を批准・承認する国内手続きに入ります。政府は通常国会にTPP協定の承認を求めるとともに関連法案を提出する方針で、予算成立後の後半国会は“TPP国会”となりそうです」(同前)
そんな重要課題を担う甘利氏や秘書に、適格性に疑問を抱かせる重大疑惑が浮上したのだ。
一九七〇年、千葉県企業庁は、「千葉ニュータウン」の開発に伴い、「県道千葉ニュータウン北環状線(清戸地区)」の道路用地買収を始めた。現在、道路建設は、千葉県企業庁から委託された独立行政法人都市再生機構(UR)が行っている。この道路建設を巡り、隣接するS社との間で度々トラブルが生じてきたのだった。S社の総務担当である一色氏が経緯を語る。
「工事が始まると、もともと当社が地主から借りている道路建設予定地の一部を、地主が勝手にURへ売却してしまい、URとトラブルになってしまいました。さらに、工事によって地中から硫化水素が発生したり、工事の振動で当社の建物がゆがんだりと、その後も次々と問題が起きたのです」
二〇一三年頃、URとS社の間で補償の話が持ち上がった。しかし交渉は難航するばかり。そこで一色氏が頼ったのが甘利事務所だった。
大臣室でとらやの羊羹と一緒に
「二〇一三年五月九日、私は大和事務所を訪ね、『清島所長の力で何とかしていただけませんか』と、相談したのです。所長とは数カ月前に知人の紹介で出会っていました。所長は、真剣に話を聞いてくれ、『私が間に入ってシャンシャンしましょう』と言い、まずはURに内容証明を送ることを提案してくれました。内容証明を送って事実関係がはっきりすれば、甘利事務所も介入しやすいと思ったのでしょう。結果、所長の提案がきっかけで、URとの交渉が進展していくことになるのです」
一色氏によれば、清島氏はまず、ベテラン秘書の宮下忠士氏をUR本社(横浜市)に向かわせたという。
このとき対応したURの担当者の名刺のコピーを清島氏は持参し、一色氏に経過報告をする。依頼から約一カ月後の六月十四日のことだ。
結局、清島氏が提案した内容証明をきっかけに補償交渉をすすめたS社は、三カ月後の八月、URから補償金を手にしたのだった(URによると約二億二千万円)。
清島氏の尽力に一色氏は、さっそく八月二十日に大和事務所を訪れた。決着がついたお礼を言い、現金五百万円を持参した。
「事務所を入った右手に応接室があり、そこで現金を出すと、所長はスタッフがいる広い部屋に行き、大きな声で『一色さんは約束を守る人だね』と、現金を見せびらかしていました。当時、男女数人が事務所にいたことを覚えています。応接室に戻ると、所長が領収書を持ってきてくれたのですが、なぜか百万円と四百万円に分けていました。発行元はいずれも自由民主党神奈川県第十三選挙区支部で、宛名はS社でした」
ところが、清島氏は後日不可解な行動をとる。
「所長が、先日の百万円の領収書をコレに替えてほしいと、自民党神奈川県大和市第二支部が発行する百万円の領収書を持ってきました。この支部の代表である藤代優也県議は甘利氏の元秘書です。
所長が新たに発行した領収書の日付は九月六日になっていました。不思議に思ったものの、何か特別な事情があるのだろうと思い、所長の言うままに領収書を受け取りました」
政治資金収支報告書によれば、S社名義で自民党神奈川県第十三選挙区支部には八月二十日付で百万円、神奈川県大和市第二支部には、九月六日付で百万円の政治献金がなされている。
一色氏が渡した五百万円のうち、少なくとも三百万円は闇に消えたのだ。
この“お礼”の後、清島氏の計らいにより、一色氏とS社の社長は、甘利大臣と面会することになった。
十一月十四日、一色氏らは議員会館を訪れる。
「まずは甘利事務所のMさんという女性とともに国会内を見学することになっていました。清島所長からは事前に、『Mさんにも三万円くらい商品券を用意してくださいね』と頼まれていたのですが、うっかり忘れてしまい、仕方なく、現金を封筒に入れ、議員会館の地下にある売店の側で、所長に『Mさんに渡してください』と預けました。そして国会見学を終えると、十三時過ぎから議員会館で昼食を取りました」
そして、一色氏らは清島氏に大臣室へ案内された。
「うちの社長が、桐の箱に入ったとらやの羊羹と一緒に紙袋の中に、封筒に入れた現金五十万円を添えて、『これはお礼です』と言って甘利大臣に手渡しました。紙袋を受け取ると、清島所長が大臣に何か耳打ちしていました。すると、甘利氏は『あぁ』と言って五十万円の入った封筒を取り出し、スーツの内ポケットにしまったのです。そして羊羹が入った紙袋は、椅子の横に置きました。事前に面会は十五分だけと清島氏から言われていたのですが、結局四十分くらい大臣室で雑談をしました。そして全員で記念写真を撮りましょうということになったのです。大臣に渡した五十万円は、三日前に横浜銀行東海大学駅前支店でピン札に替えて、札のナンバーがわかるようにコピーもとっておきました」
甘利事務所ぐるみで関与
ところが、S社とURとのトラブルはこれだけでは終わらなかった。しかも、それはより巨額な補償交渉へと発展し、甘利事務所もこの問題への関与を深めていく。
新たなトラブルのきっかけは、URの工事により建設中の道路に隣接しているS社の敷地のコンクリートに、いくつもの亀裂が入ったことだった。
「業務に支障がでる恐れがあるためURに抗議しました。ただ、コンクリを補修するとなると、敷地全てのコンクリを剥がす必要があるのです。なぜかというと、実はコンクリの下に大量の産業廃棄物が埋まっており、当社は二〇一四年に、行政機関から、“コンクリを剥がした場合は地中に埋没する全ての産廃を取り除くこと”と文書で指導されているのです。つまり、コンクリを打ち直すということは、当社が借りている敷地一帯に埋まっている産廃を全て撤去しなくてはならない。それには百億円以上かかるのです。
実は、産廃を投棄したのは地主の父親です。産業廃棄物処理法にもある通り、産廃は本来、不法投棄者が責任を負うべきもの。にもかかわらず、URは、地主の父が撤去すべき産廃が埋まる道路予定地は約三十億八千万円もかけて処理をするというのです。一方、隣接する当社の敷地の方が広いにもかかわらず、私たちには、約一億三千万円の補償金しか支払わないというのです」
ここでも一色氏が頼ったのは甘利事務所だった。
二〇一四年二月一日の午前十時三十分。一色氏は、大和事務所の応接室で甘利大臣の到着を待っていた。
「この日は、大臣に新たなURとのトラブルを説明するために伺いました。数センチ程の厚みがある青いファイルに資料を挟み、事前に清島所長から指示されていた通り、要点をまとめたA4用紙二枚を持参しました。十時半を過ぎたころ大臣が現れ、挨拶をすませると、所長が、『この資料を見てください』と言って、私のファイルを大臣に手渡したのです。真剣に目を通していただき、『これはどういうこと?』と、いくつか質問もされました。すぐに要点を理解されたようで、やはり頭のいい方ですね。大臣は、『一色さん、ちゃんとやってるんだね。わかりました』と言い、所長に『これ(資料)、東京の河野君(現・大臣秘書官の河野一郎氏)に預けなさい』と指示しました。
そして所長が『一色さん、例のものを』と小声で言うので、私は現金五十万円が入った封筒を大臣に差し出しました。甘利さんは『ありがとう』と言って、封筒を受け取りました。そして最後に、所長がシャッターを押し、私と大臣の写真を撮ってくれたのです」
この三日前、一色氏は前回同様、現金をピン札に替えてコピーをしている。
しかし、URとの補償交渉は、甘利氏に事情を説明してから約五カ月半が経っても進展しなかった。
「七月半ば、私の誕生日が近いからという理由で所長から会いたいと連絡がありました。『大臣から預かっているものがある』と。居酒屋で所長と会うと、大臣が私に書いてくれた色紙を持ってきてくれました。私の名前を入れて『得意淡然 失意泰然』とありました。物事が上手くいっていなくても、焦らずに時節の到来を待つべきという意味だそうです。これを読み、私はじっと待つことにしたのです。甘利大臣がきっと動いてくれると信じながら」
この日の会計も一色氏が支払った。実はこの頃、一色氏は清島氏との関係を深め、毎週のように会うようになっていた。
さらに、甘利事務所の鈴木陵允(りようすけ)氏(現・政策秘書)も補償交渉に加わった。
清島氏の紹介で、鈴木氏と一色氏が初めて酒を酌み交わすのは二〇一四年七月十七日のことだ。
「鈴木氏が環境省の役人を議員会館に呼び、産廃の処理をどうするのか話してみましょうと提案してくれたのです。九月二十五日、私は十七時半に環境省の課長ら二人と議員会館で面会しました。もちろん鈴木氏と所長が同席してくれました。このとき鈴木氏は、机を叩きながら、環境省の役人に迫っていたので、『なかなかのやり手だな』と感じていました。話し合いが終わると、私と所長と鈴木氏は赤坂で食事をし、錦糸町のキャバクラなどを二軒ハシゴしました」
清島氏や鈴木氏とは一体どんな人物なのか。
「清島氏は、国士舘大学を卒業し、〇二年から江田憲司衆院議員(現・維新の党)の事務所で秘書になりました。江田氏が〇三年に落選すると、甘利事務所に移り、一一年には公設第一秘書となり、今では地元の大和事務所の所長を務めています。甘利氏からの信頼は厚く、一二年、大臣の母が亡くなった際、遺産処理を手伝ったほどです。ただ、周囲に『(甘利氏への)遺産があんまりなかった』と漏らすような軽い男です」(地元政界関係者)
「鈴木氏は別の自民党衆院議員の事務所にいましたが、もっぱら運転手でした。甘利事務所に移ってからは、甘利氏の夫人に気に入られ、去年の夏、夫婦で箱根の温泉へ旅行をしたときは、彼が運転手として同行しています」(別の地元政界関係者)
二〇一四年十一月二十日、一色氏は清島氏から金銭提供の依頼を受ける。一カ月後には衆院選が迫っていた。
「URとの交渉に尽力してくれる清島所長の頼みとあって、S社と私の名義で五十万円ずつの寄付をすることにしました」(一色氏)
フィリピンパブで度々接待
ところが、収支報告書に記載があるのはS社からの五十万円のみ。一色氏の五十万円には、清島氏が、政治団体として届け出のない「甘利明事務所」と書いた手書きの領収書を出した。
さらに二〇一五年になると、清島氏と鈴木氏は、驚くべき提案を持ちかける。
「国交省の局長に“口利き”を依頼するので、商品券五万円を用意してほしいと言うのです。清島所長は『商品券は鈴木を経由して国交省の局長に渡った』と私に説明しました。また、他にも国交省の役人に渡す商品券が必要だと言うので三十万円を所長に渡しています」(同前)
次第に清島氏と鈴木氏は、一色氏に露骨に“タカる”ようになっていたという。
「鈴木氏からは、高級車レクサスを要求されたこともあります。清島所長とは毎週のようにメシを食い、フィリピンパブにもよく行きました。経費はすべて私持ちです。メモに残しているだけでも昨年、所長と鈴木氏に口利きの“経費”として渡したのは二百十万円。飲食費は百六十万。二〇一四年は“経費”が四百五十五万で飲食費が二百十一万、その前の年もあるわけですが、彼らはこの金を何に使ったのでしょうか……」
小誌は疑惑の中心人物である清島氏を直撃した。
――一色氏から何度も現金をもらっていますよね。
「いや、もらってないです」
――現金をもらいURに働きかけをしていたか?
「問い合わせという形で、やっている形なんですよ」
――大和事務所で大臣が五十万円を受け取った?
「それはですね、私たち介入していないことなので」
――では、渡したのはご存じなのですね?
「渡したのは封筒ですか? それはパーティ券として使ってくださいと渡されていますので」
――大臣室でとらやの羊羹と五十万円を受け取った?
「S社の社長が献金という形で持ってきたのではないですか」
――国交省の局長に話をつけるからと言って一色氏からお金を受け取った?
「それは知りません」
――外国人のビザ申請で二十万円を受け取った?
「それは私、知りません」
――大臣は一色氏の産廃の件は知っている?
「知らない」
と、終始動揺しながら否定してみせた。さらに、二〇一三年の三百万円の不記載について尋ねると、「パー券で処理している」と答えたが、再度質問すると「計上ミスかもしれない」と説明。
四百万円の領収書の写しを見せると、慌てた様子で「エッ…これ、撮っていいですか」と言い、スマホで撮影したのだった。
一色氏から飲食のたびに受け取っていた十五万円については、「パーティ券で処理している」「領収書も発行している」と答えるのだ。
だが、清島氏の回答は小誌の把握している事実と大きく異なっている。
「お金が釣り上がることだよ」
まず、冒頭の現金授受の場面は、小誌記者の目の前で行われたものである。
また、「URへは問い合わせをしただけ」と言うが、昨年十一月十二日、鈴木秘書は、千葉県にあるURの事務所を一色氏と訪れている。さらに、この日、鈴木氏がURの会議に同席している録音もある。また、大和事務所にURの国会連絡担当職員を呼び出し、一色氏、清島氏、鈴木氏と四名で産廃撤去について話し合った昨年十月五日の会合についても写真と録音がある。
鈴木氏〈私、前向きだと思ったんだけど〉
UR職員〈後ろか前かで言ったら、前かと〉
国交省への口利きについては、録音によれば清島氏は昨年九月十七日、居酒屋でこう語っている。
〈(何もしてくれないなら局長も商品券を)返せばよかったですよね、五万。ヘヘヘ〉(局長は、小誌の取材に受け取りを否定)
清島氏の発言に矛盾はまだまだある。まず、大臣室で受け取った五十万円は、収支報告書に記載はない。たとえパーティ券であったとしても二十万円を超えれば、記載義務がある。
飲食の度に現金を受け取っているという疑惑についても、「パーティ券として処理している」と言うのだが、
「確かにパーティ券は昨年も約四十万円ほど買っていますが、大臣への五十万円や秘書への“経費”は別に渡しています」(一色氏)
甘利氏の関与についてはこう明言している。
〈『大臣もこの案件(URの件)は知ってるんで、こっちもちゃんと返事返さなくちゃいけないんですよ』って(URに)言った〉(二〇一五年十二月七日)
〈『大臣さえ納得してれば、うちが納得すれば、お金を釣り上げるわけないでしょ』って(UR総務部長に言った)。『うちが納得するのは、ある程度、お金が釣り上がることだよ』と今日も言った〉(同年十二月二十二日)
交渉の当事者であるURは次のように回答する。
「十月五日、十二月一日、十六日に状況の確認との名目で、当機構の職員が大和事務所に呼び出されたのは事実です。清島氏や鈴木氏からは『前に進めるようなことを考えてほしい』という話がありました。『大臣にも報告しています』という発言もあった。秘書からの問い合わせはよくありますが、(三回も四回も呼ばれることは)あまりありません。ただ、口利きだと感じたことはありません」
元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏は次のように指摘する。
「寄付を受け取りながら、収支報告書に意図的に記載しなかったとすれば、虚偽記入で政治資金規正法違反にあたります。
また国会議員や秘書が、国が資本金の二分の一以上を出資する法人が締結する契約などについて、請託を受け、権限に基づく影響力を行使して、当該法人の職員にその職務上の行為をさせるように、あっせんして、報酬を得ることは、あっせん利得処罰法違反です。URは国交省のほぼ全額出資ですし、安倍政権の中枢にいる甘利大臣であれば、国会議員の権限に基づく影響力が十分にある。議員や秘書が、URとの契約に関して、業者から依頼を受けてUR側に働きかけ、報酬を受け取ったとすれば、違反が成立します」
甘利氏は、この案件にどう関わったのか。一月十六日、地元に戻った甘利氏本人を直撃した。警察官に守られ、自宅マンションに入っていく甘利氏。「五十万円を受け取ったのは事実ですか?」と記者が大声で問うと「知らないで〜す」と一言だけ、語尾を伸ばして答えた。
甘利事務所に事実関係を詳細に尋ねたが、締め切りまでに回答はなかった。
強大な権力を金に換える政治家や秘書にTPPのような国政の枢機を任せられないことは言うまでもない。
source : 週刊文春 2016年1月28日号