「ナチ発言」抗議で今回も露呈した、維新の「ヘタレ」ぶり(日刊SPA! 2022年01月27日)
菅直人元首相の発言にイキリ立った維新の会
立憲民主党所属の菅直人元首相が「維新はヒトラーを想起させる」とTwitterに投稿した一件は、なぜか、維新の会を刺激したようである。
これはいささか不思議だ。
これまで、維新の会及びその創始者(の一人)である橋下徹氏には、石原慎太郎氏などから「若い頃のヒトラーのようだ」との”称賛”が送られてきた。その点について、橋下氏や維新の会がなんらかの抗議をなしたとはついぞ聞かない。
また、当の橋下氏自身も、かつて民主党政権が2009年の衆院選マニフェストに盛り込まなかった消費税増税を目指す方針を決めたときに、「今回の話は完全な白紙委任で、ヒトラーの全権委任法以上だ」と批判したことさえある。(参照:2012年6月23日東京新聞インターネット・アーカイブより)
東京新聞 2012年6月23日 朝刊
大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長は二十二日夜、民主党が二〇〇九年の衆院選マニフェストに盛り込まなかった消費税増税を目指す政府について「今回の話は完全な白紙委任で、ヒトラーの全権委任法以上だ」と辛辣(しんらつ)に批判した。衆院解散・総選挙が必要との考えも重ねて示した。
いや、それどころか維新の会の足立議員などはかつて自ら“日本の政党をナチス呼ばわりする輩にナチス呼ばわりされるということは、やっぱり維新は素晴らしいということを証明している、私はいつも、そう思っています“とツイートするほど、「ナチ」っぷりを発揮してきた。
これほどまでに、自らをナチに例えられたことを喜び、また自らナチになぞらえてきた政治集団が、一度、菅直人氏から「ヒトラーを想起させる」と言われた途端、激昂している。おそらく維新の会は、「何が語られるか」ではなく「誰で語るか」でしか考えられない、頭の能力が微弱な人々なのだろう。
立憲民主は「芋を引く」必要などない
ともあれ、菅直人氏の発言は、日本を代表するファシスト集団、維新の会を刺激した。その激昂ぶりは実に凄まじい。産経新聞の記事によれば、「立民が逃げ回るならば党本部に乗り込む。維新を怒らせたらどうなるか徹底的に思い知らせる」とまで語るほどだ。
こうなると、芋をひく……、失敬。書く対象が下世話な手段であるため俗な言葉を使ってしまった。書き直す。……ケツを割る……これでもいかんな。もとい、弱腰になるのが、立憲民主党の悪いところ。
註)「芋(いも)を引く」とは、「怖気づいて尻込みする、及び腰になる」という意味で用いられる。暴力団がらみの業界用語。
近い事例では、蓮舫氏の「二重国籍問題」などなんの問題もない(そもそも立候補の段階で選管に戸籍謄本を出しているのだからなんの問題もないではないか)話で、党を割るような騒ぎになったような人々である。「面前のヤカラによる口汚い抗議」に弱腰になることそのものが、ヤカラへの加担、いや、日本の土着レイシズムや全体主義への流れへの加担になることを知らずに大人になってしまった、良い意味では「人の良い」悪い意味では「ど根性のない」人々であるから、今回も、悪い癖が出てしまった。
逢坂誠二代表代行は、「個人的には不適切だと思う」と余計な発言をし、また、馬淵国対委員長などは「内容は不適切。謝罪は議員本人の判断」などと、相手側につけ込む隙を与えるような実に不用意な発言をしている。これでは、立憲民主党が2017年に集めたような「日本の自由と民主主義を守る政治勢力としての期待」を、再び手に入れることなど、不可能だろう。
おそらく、この週末にかけて、西村智奈美幹事長もしくは泉健太党代表から、党としての最終的な判断が党内外に発表されるのであろうが、これでは先が思いやられる。
立憲民主党は何もつべこべいう必要などなかったのである。
「党本部に乗り込む」? いや、馬場共同代表の隣の部屋……
この表をご覧いただこう。
これは、2021年衆院選挙の結果を受け新たに割り振りされた、衆議院議員会館の事務所の一覧表である。つまり各国会議員の「東京事務所」の一覧表だ。
ここでお見せするのは、衆議院第一議員会館の5階の様子。
511号室が、維新の会の共同代表・馬場伸幸氏の事務所にあてがわれていることが見てとれよう。問題はその隣、512号室である。名前を見ると…
菅直人氏の部屋ではないか。
何も難しいことはない。メディアに向かって「維新を怒らせたらどうなるか徹底的に思い知らせる」などと大見得を切るならば、維新の会共同代表の馬場氏が、自室から一歩外に踏み出し、歩いてわずか15歩の距離を進み、菅直人氏に文句をつければいいのである。そこで、存念を思う存分ぶちまければ良い。
そこまでご自身の意見や「国際感覚」とやらに自信があるというのであれば、カメラやマイクは必要ないはず。正々堂々と抗議に赴けば良いのである。
しかし維新はそれをやらない。歩いてわずか15歩を自ら進んで抗議することさえしない。テレビカメラがどこにあるか、新聞の一眼レフがどこにあるか、そればかり気にし、実のある行動をしようとしない。
ただただ「ダサい」やってる感だけの維新
先ほど、立憲民主党を「すぐイモを引く」と書いた。これは筆者が若い頃つるんでいたような、”よからぬ友人たち”の間で、よく使われる言葉。畑でイモを引く時は腰がひける。そんな状態で物事に対応する気の弱い人間のことを指す蔑称だ。
さて、読者各位は、こういう”よからぬ友人たち”界隈で、「自分の隣にいる人物に直接文句をつけず、人目があるときだけ、大声を出す卑怯者」をなんと呼ぶか、ご存じだろうか?
何も難しいことはない。
「ダサい」
と唾棄し、爾後、2度と相手にせぬだけのことである。
各位も今後そうされれば良い。所詮、維新など、面と向かって文句も言えない、ダサい連中である。
それよりも心ある有権者各位は、立憲民主党がこのダサい維新の下品なクレームに膝を屈するかどうか、立憲民主が「自由と憲法秩序と人権を守る勢力」を裏切り無自覚にファシズムに加担するかどうかを注視する方が賢明であろう。
<文/湯山四郎>
湯山四郎
永田町界隈のフィールドワークを得意とするアラフィフライター。普段は各誌記者へのデータ提供を専業とするが、筆をとると早業で知られる。趣味は蛙の置物集め