フィンランドが「IT大国」になった予想外の理由 地理的理由から考えるIT産業発展のワケ

フィンランドのオーロラ 国際

フィンランドが「IT大国」になった予想外の理由 地理的理由から考えるIT産業発展のワケ(東洋経済ONLINE 2022/11/30 15:00)

宮路秀作 : 代々木ゼミナール地理講師、日本地理学会企画専門委員会委員

ムーミンやサウナなどで日本人にもなじみ深い北欧諸国のフィンランド。日本では福祉大国として知られるが、実は「次のシリコンバレー」と目されるほど、ハイテク産業も盛んだ。本稿では代々木ゼミナールのカリスマ地理講師、宮路秀作氏著『ニュースがわかる!世界が見える!おもしろすぎる地理』から、フィンランドがハイテク先進国になった理由を解説する。

人口が少ない国がGDPを上げるために

北ヨーロッパ諸国の人口(世界銀行統計、2021年)を見ると、フィンランドの人口は554.2万人と、人口大国と呼べる国ではありません。

人口が少ない国がGDP(国内総生産)を増やしていくためには、1人あたりGDPを高める傾向がありますので、「医薬品」など高付加価値製品に注力していきます。また、IT産業の成長、それを支える、いわゆる「高度人材」と呼ばれる人材の育成もまた、GDPを増やしていくために重要なことです。

北欧の国々は高緯度に位置して寒冷な気候環境下にあるため、通信インフラの整備、点検にはなかなか苦労します。そこで北欧では、無線で結ばれるインターネットの利用が早い段階から進んでいました。

フィンランドの国土面積に占める森林面積割合は73.73%と非常に高く、豊富な森林資源を活用した製紙業やパルプ業といった産業、それに付随する抄紙機の生産といった機械製造業など、林業関連産業が国家経済を支えています。

こうした産業構造にIT産業が加わったのは1990年代。フィンランドを代表する通信インフラや無線技術を開発するノキアが設立されたのは1865年で、当初は製紙会社でした。その後、ゴム製造会社の「フィンスカ・グミ」、電話・電信ケーブル製造会社の「フィンランド・ケーブルワークス」との資本関係を結び、1967年に3社は合併して現在に至ります。こうした経緯があって、製紙会社として設立されたノキアは世界を代表する開発ベンダー企業へと転換していきます。

2020年のフィンランドの最大輸出品目は「機械類」(24.2%)となっており、林業関連産業に加えIT産業も国家経済の一翼を担っています。「経済の裾野を広げた」という表現が相応しいでしょう。特にハイテク製品の輸出が伸びていて、「研究開発費の対GDP比」が2.91%と(IECD、2020年)高く、先端技術産業に力を入れていることがわかります。

ノキアの社歴を振り返っても分かるように、もともとフィンランドは早い段階でIT産業が興っています。グラハム・ベルが電話の実験に成功したのは1876年3月10日ですが、6年後の1882年には、フィンランドにて最初の電話会社が設立され、1922年にはヘルシンキに全自動電話交換局が開設されています。

かつての日本のように、電信・電話事業を国有化し、その後民営化するという流れがフィンランドにもあるかと思いきや、フィンランドは早い段階で国有化が国会で否決されたこともあり、国際競争力にさらされ地力をつけてきました。こうした背景から、フィンランド国民には新しい技術を積極的に取り入れる気質が見てとれます。日本車をヨーロッパで最初に輸入したのはフィンランドでした。

ソビエト崩壊がIT産業強化を後押しした

フィンランドにてIT産業が興ったもう1つの理由として、1991年12月のソビエト崩壊が大きく関わってきます。政治と経済は別物であり、歴史的にみると、ロシア(当時はソビエト連邦)とフィンランドの政治的関係はあまりいいものとはいえませんが、経済的な交流はありました。1980年代、フィンランドは地の利をいかして対ソ輸出が盛んでした。

しかし1991年のソビエト崩壊で輸出先を失ったフィンランド経済は大打撃を被ることとなります。輸出額は5分の1にまで減少し、フィンランドの失業率は20%に達しようかという勢いで上昇しました。

この危機的状況を改善したのが、IT産業の振興でした。「備えあれば憂いなし」という言葉があるように、ピンチになってから準備しても遅いわけで、「勝っているときこそ次の一手!」を考えておかねばなりません。

フィンランドは100年にも及ぶ通信産業の歴史をもち、その中で国際競争力を付けてきた実績があります。「チャンス到来!」とばかりに、林業関連産業一辺倒の産業構造からの脱却を図ったというわけです。

歴史、国民性、時流を見極める眼、さまざまな要素が絡み合って生まれたといえます。

フィンランドのIT産業発展の特徴は、ひとえに産官学協同が挙げられます。IT産業を中核としたサイエンスパークの建設、起業家支援などを進め、競争力を付けてきました。先に述べたように、フィンランドは研究開発費を増額し、特に研究開発費の政府負担比率を高めていきました。これが功を奏したのか、1990年代後半にはその成果が現れ始め、研究開発費の民間負担比率も大幅に高まりました。

フィンランドのIT産業発展の施策としてよかった点は、研究開発に力を入れただけでなく、それを支える人材育成を同時に行ったことです。つまり教育環境の整備を重視していた点は見逃せません。

スイスのローザンヌに拠点を置くビジネススクール、国際経営開発研究所(IMD)が発表する、「世界競争力ランキング」によると、フィンランドは2022年に世界8位と、前年の11位から3つ順位を上げています。

ちなみに、2008年が15位だったことを考えると、着実にその評価が高まっていることは間違いありません。この手の指標は、ヨーロッパ人によるヨーロッパ人のためのランキングであり、日本のランキングはだいたい低かったりするのですが、それを差し引いてもフィンランドの教育水準が高いことは間違いないでしょう。

政府が「産学連携」へ方針転換

フィンランドでは、1978年まで大学の研究者と民間企業との共同研究が禁止されていたという、今では信じられないような決まり事がありました。しかし、やはり人口小国としての生きる道を本気で考えた結果、「国益の源は技術革新によって生まれる!」との思念に基づいて政府が研究開発費を負担して産官学協同を推進してきました。それはソビエト崩壊後の財政難の時にも変わることはなく、むしろ大幅に増額されたほどです。

時は1958年、フィンランド中部に位置する、オウル市にオウル大学が設立されます。それまでのフィンランドは、首都ヘルシンキにあるヘルシンキ大学(設立1640年)を目指す若者が多く、いわゆるオウル市からの人口流出、つまり「頭脳流出」が起きていました。しかし、オウル大学の設立により、優秀な若者が地元へ残るようになったといいます。

フィンランドのような高緯度に位置する国では、オーロラが観られます。このオーロラが発生する電離層の研究が、後に無線通信の周波数帯の研究へと発展していきました。こうして産官学協同でハイテク産業の拠点として成長し、ここへノキアが拠点を求めてやってくるわけです。

2006年にはノキアの携帯端末販売台数が世界シェア41%を占めるほどになり、2008年までの直近10年間、フィンランド経済の成長のおよそ25%はノキアが牽引したといわれています。こうしてオウル市はノキアの企業城下町へと発展していきますが、アップルのiPhone発売以降は徐々にシェアを低下させ、ついに携帯端末事業はマイクロソフトに売却しました。

技術者たちが離職後、それぞれ起業家に

「ノキアショック」をきっかけに技術者たちが離職して、それぞれが起業家となって「北欧のシリコンバレー」と呼ばれるようになっていきます。

「携帯端末事業をマイクロソフトへ売却」という事実を「事業の失敗」と捉えるのか、「新しい時代の流れに乗って、進化するチャンスを得た」と捉えるのか、まさしく「正解は自分で決める!」が如く、フィンランド国民は「失敗は成功のもと」と前向きに捉える向きがあるようです。

「企業の誘致」「起業の支援」「国際化の波に乗る」、こうしたことに本気で取り組んでいるのがフィンランドといえます。現代を生きている人が不自由な思いをするほどに守らなければならない伝統なんてものは、伝統とはいいません。状況に応じて、幸せになるためにルールは適宜作り変えていくべきなのであって、決してルールを守ることが目的になってはいかんということです。

フィンランドでは、産官学協同の強みを見ることができます。わが国でもそういった取り組みが行われているかとは思いますが、あまりにも閉塞感が漂っており、大人たちは口を開けば「日本はダメになっている」などと悲観的なことばかり言っているわけで、それを聞いた子供たちはどう思うのかと考えてしまいます。

時代の潮流を読むことの重要性を強く感じます。ネクスト・シリコンバレーにフィンランドのオウル市を推す声に、多くの人が異論を唱えることはできそうもありません。

宮路秀作(みやじしゅうさく)
代々木ゼミナール地理講師、日本地理学会企画専門委員会委員
鹿児島市出身。共通テストから東大地理まで、代々木ゼミナールのすべての地理講座を担当。担当講座は全国の代々木ゼミナール各校舎・サテライン予備校にて放映される。コラムニストとして、Yahoo!ニュースなど各メディアにコラムを寄稿、書籍の執筆やメルマガの発行なども手がける。2017年に刊行した『経済は地理から学べ! 』はベストセラーとなり、同年度の日本地理学会賞(社会貢献部門)を受賞。大学教員を中心に創設された「地理学のアウトリーチ研究グループ」にも加わり、2021年より日本地理学会企画専門委員会委員となる。近年は、ラジオ出演やトークイベントの開催、YouTubeチャンネルの運営など幅広く活動。