岸田首相の「派閥解散」は“偽装”の疑いあり 岸田氏自身の「派閥離脱宣言」もウソだった

記者団の取材に応じる岸田文雄首相=19日午後、首相官邸 政治・経済

岸田首相の「派閥解散」は“偽装”の疑いあり 岸田氏自身の「派閥離脱宣言」もウソだった(NEWSポストセブン 2024.01.20 10:00)

「政治の信頼回復のために、宏池会(岸田派)を解散するということを申し上げた」──1月19日午前、岸田首相の「岸田派解散」宣言で自民党に衝撃が走った。続いて二階派、安倍派も解散を決定し、「派閥解体ドミノ」が始まったからだ。

この日は東京地検特捜部が自民党の裏金捜査の刑事処分を決定し、安倍派の3人の議員(池田佳隆・代議士は逮捕、谷川弥一・代議士は略式起訴、大野泰正・参院議員は在宅起訴)に加えて、二階派の会計責任者、岸田派の元会計責任者らが起訴された。首相はその刑事処分の発表前に、自ら岸田派解散を宣言するという博打に出たのだ。岸田派関係者が語る。

「岸田総理は特捜部の裏金捜査は安倍派、二階派止まりだろうと楽観視していたから、17日に岸田派も立件対象だとわかって大慌てになった。そこで岸田派の幹部10人ほどを官邸の裏口から呼び入れ、御前会議で有無を言わせず派閥解散を決めると、それを自ら発表することで政権へのダメージを最小限に食い止めようと考えたようだ」

岸田派ナンバーツーの座長を務める林芳正・官房長官は、会見で「首相の宏池会への思いの強さは私も重々承知していた。その上での首相の判断なので重く受け止めた」と語った。

だが、首相の発言は何かおかしい。

岸田首相は裏金問題が発覚した昨年12月7日、「総理・総裁の任にあるうちは派閥を離れるのが適切な対応だと考え決断した」と語って岸田派会長を辞任するとともに派閥を離脱したはずだ。かわって根本匠・元厚労相が同派のトップ(会長代行)に就任している。

派閥を抜けたはずの岸田首相が「派閥解散」を表明するのは筋が通らない。自民党の無派閥議員はこう不信感を募らせている。

「二階派は臨時総会を開いて会長の二階俊博・幹事長が会見で解散を発表し、安倍派も議員総会で解散を決めてトップの塩谷立・座長が発表した。それなのに岸田派だけは派閥の総会も開かずに派を抜けたはずの岸田首相が幹部たちと相談して解散を決め、トップの根本会長代行ではなく、”外部の人”のはずの首相が発表した。これでは首相自ら派閥離脱は見せかけだったと認めたも同然だ。

派閥の幹部たちを官邸に呼びつけたやり方も、まさに派閥会長そのもの。岸田派幹部たちも、首相の派閥離脱は見せかけで今も岸田首相が会長だと思っているから受け入れたのだろう」

はからずしも、岸田首相は「岸田派解散」宣言をしたことで自身の「派閥離脱」が偽装だったことを露呈したといえる。

過去にも”偽装解散“の歴史があった

その岸田派が総会を開くのは1月23日の予定だ。派閥総会での手続きも踏まずに首相が解散を言うのは民主的でさえない。「おやじ(派閥会長)が白だと言えば、黒でも白というのが派閥だ」(金丸信・元自民党副総裁の言葉)という派閥の論理そのものではないか。

しかも、岸田首相は同派の解散を表明したぶら下がり会見で、「他の派閥のありようについて何か申し上げる立場にない」とも語った。岸田派のことは自分で決められても、他派閥の決定には関与できないという言い分そのものが、自分が現在も「岸田派会長」だという認識を持っていることを示している。

「派閥離脱したとウソをついた総理が、いまさら岸田派を解散すると大見得を切ったところで、国民は信用しないのではないか」(前出・無派閥議員)と足元を見られるのは当然なのだ。

実際、自民党には危機に陥って派閥を”偽装解散”した過去がある。

リクルート事件、東京佐川急便事件で政治不信が高まり、自民党が総選挙に敗北して野党に転落した1994年11月、時の河野洋平総裁は自民党改革の目玉として「派閥解散」を決め、各派閥は事務所を閉鎖して看板を下ろした。だが、すぐに各派閥とも名称を変えて「政策集団」という名目で元通りに復活した経緯がある。

岸田首相は裏金事件を受けて設置した自民党政治刷新会議では、無派閥議員から「派閥解散」論があがっても”無視”を決め込んでいたが、いざ、特捜部の捜査が岸田派に及ぶと、政権と自分の保身のために派閥解散へと態度を豹変させた。

派閥離脱の時と同じく、首相の岸田派解散宣言などその場しのぎの”偽装解散”にすぎないことが透けて見える。