水に流せない岸田首相の処理水を巡る発言録検証 「透明性」「心のケア」「風評対策」 実は政策理念なし?

処理水の海洋放出 政治・経済

水に流せない岸田首相の処理水を巡る発言録検証 「透明性」「心のケア」「風評対策」 実は政策理念なし?(東京新聞 2023年8月22日 12時00分)

東京電力福島第一原発の汚染水を浄化処理した後の水の海洋放出計画に、岸田文雄首相が前のめりだ。21日には全国漁業協同組合連合会(全漁連)会長と会談。反対姿勢は変わらなかったのに、近く放出開始を決める見通しとなった。関係者の理解なく処分しない約束に沿って、「理解を得る努力」を強調していたのではなかったのか。首相の言葉を検証した。

◆ネット冷ややか「単なるパフォーマンス」

20日、福島第1原発を訪れた岸田首相は汚染水の処理設備などを視察した後、会議室のようなスペースで東電ホールディングスの小林喜光会長らと対面。「内外の信頼を裏切らない決意と覚悟を政府、東電がしっかり持って、全力を尽くしていかなければならない」と訴えた。
 
ネットでは「意味はあるのか。単なるパフォーマンス」「地元漁業者らの話を聞かないまま帰途に就いた。視察という形を示しただけ」などと冷ややかな声が。ジャーナリストの鈴木哲夫さんは「今ごろ現地に行く首相が、原発に対して思いを持っているとは思えない。やっている感を演出しているだけだ」と指摘する。

実際、首相はこれまで処理水に関してどのような発言をしてきたのか。

就任直後の2021年10月、同原発を訪問。菅義偉前首相時代に海洋放出方針が決まり、大量のタンクに保管された処理水の現状を視察後、「多くのタンクが立っている姿を見て、(海洋放出は)先送りできないと痛感した。透明性をもって説明していくことが大事だ」と述べた。同月の衆院選公示日には福島市で第一声を上げ、「原発の廃炉や処理水、心のケアなど、まだまだやることがある」と訴えた。

◆追悼式典では一言も触れず

22年4月には、全漁連の会長と面会。海洋放出に「断固反対」している全漁連側の姿勢を踏まえ、「廃炉の着実な進展は復興の前提で、処理水の処分は避けて通れない。意見交換を重ね、政府を挙げて風評対策に取り組む」「処理水については国が全責任を持って対応する」と大見えを切った。今年3月の参院予算委員会では、海洋放出開始時期について「今年の春から夏を見込むことに変更はない」と言及した。

だが、東日本大震災から12年の同月に福島市で行われた追悼式典では、式辞で処理水について一言も触れなかった。

5月の日韓首脳会談では、懸念する声が根強い韓国内の世論に配慮し、「科学的根拠に基づく誠実な説明を行っていく」と強調。7月には、国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長との面会で、処理水海洋放出計画について「国際的な安全基準に合致する」との「お墨付き」を得た。ここでも「科学的根拠に基づき、高い透明性を持って国内外に丁寧に説明していきたい」と「科学的」を強調した。

◆判断の裏に総選挙や自民総裁選?

21日の全漁連会長との面会は、こうした外堀を埋めるような発言の末に行われた。前出の鈴木さんは「既成事実をつくり、地元を追い込んでいく手法だ。最後に形だけ当事者に話を聞く姿勢は、首相に原発に対する確固たる政策理念がない表れで、経済産業省が描くシナリオに乗っかっているだけだ」と指摘する。

このタイミングで判断したのは、少なくとも秋まではないとみられる衆院解散・総選挙や、来年9月に任期を迎える自民党総裁選まで時間的猶予があることを踏まえたためとみる。「今やらなければ総選挙の争点になりかねない。総裁選まで時間もあり、内閣支持率が悪い中でも政権にとっての『お荷物』を今のうちに片付けたいのだろう」

◆安倍氏、菅氏と比べて「一番最悪」

21日午後4時、「こちら特報部」は全漁連会長との面会が行われている首相官邸前を訪れた。猛暑の中、市民が代わる代わる声を上げる。原発事故後に訪れるようになったレゲエDJの男性(53)は、原発事故以降の自民党の首相を3人挙げ「今が一番最悪」と言い切る。「安倍は市民の切実な声をジョークであざ笑い、菅は逆ギレして後はむっつり。何も反応してこないのは、岸田だけだ」

埼玉の友人と会った帰りに官邸前に立ち寄ったのは、福島浜通り出身の福島大3年の男性(21)。「東京の人はどれだけ福島を忘れていないか、現状を確かめたくて」と立ち寄った。

「福島に住んでいない偉い機関の人たちにいくら『大丈夫だ』と言われたって、少なくとも岸田首相はその言葉を信用してもらう努力が必要だった。なのに全く何もしなかった」とし、言葉を続けた。「20日はなぜ福島の漁協に来なかったのか」

◆核兵器と原発事故は「一線を画すべきだ」

そもそも岸田氏は原発に対し、どんな考えを持っていたのか。

首相に就任する約1年前の2020年9月に出版された「岸田ビジョン―分断から協調へ―」(講談社)をひもといたが、「広島出身者として、私がライフワークとしている『核軍縮』」と強調しているものの、原発のゲの字もない。

同じ時期に出版された「核兵器のない世界へ―勇気ある平和国家の志」(日経BP)では、大量のプルトニウムを保管している実態を、「IAEAによる厳しい査察の目に常時、晒されている」「核を巡る日本の対応に不必要な疑問を抱かせないために必要不可欠な努力の証なのです」としている。

そのうえで福島の事故に触れているが、「『核の平和利用』において不幸にも発生してしまった大事故と、広島・長崎で核兵器が見せつけた『非人道性』を同列に論じるべきではない」「福島での不幸な原発事故はあくまでも『安全・安心』の問題であり、多くの人間を一瞬にして無にしてしまう核兵器の非人道性とは一線を画すべきだ」と繰り返すにとどまっている。

◆中国の反発は「日本の責任」

首相就任後の岸田氏は、菅前首相が21年4月に決めた処理水放出方針を踏襲。23年には、60年超の老朽原発の運転を可能にする「GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法」を成立させた。

現在処理水は外交問題化しているが、国外に対してはどう扱ってきたのか。韓国や欧州連合(EU)と自ら協議したが、中国に対しては温度差があった。国際ジャーナリストの春名幹男さんは「中国の意図はいろいろあるが、けちをつけようと思えばいくらでもつけられる状態を招いてきたのは日本の責任だ」と指摘する。

欧州や韓国が批判の矛先を軟化させているようにも見えるが、「日本の説明に納得したのではなく、お墨付きを与えたIAEAの結果を受け止めたに過ぎない」との見方だ。「丁寧に説明すると言っても全くしていないために、他国からは強行に進めたと印象付けされて、外交問題に発展してしまう」

◆国の曲がり角になる選択を次々と

説明を尽くさず、結論ありきで強行する手法は一連のマイナンバー問題にも通底すると、政治ジャーナリストの泉宏さん。「自身は一歩下がって閣僚に対応させて後継首相になる芽をつぶし、節目だけ自分が決断したように前に出てくる。非常にしたたかな政局運営だ。『聞く力』と言って聞いているフリをして聞き流し、勝手に物事を決める。今年になってますますその傾向は顕著になっている」と指摘する。

「大きな政権危機なのに、選挙がないのをいいことに、この国の曲がり角になるような選択を次々に下している。この壮大なミスマッチで最も不利益を被るのは国民なのに…」

◆デスクメモ

原発で事故が起きたら、膨大な汚染水が発生する―。12年前に福島で現実になるまで、このことを知っていた国民はどれだけいたのか。今は山口県上関町や長崎県対馬市、北海道寿都町などで、核のごみ処分の話が同時並行的に進む。原発全体のコストの重さを考えるタイミングだ。