日本は「中進国」に成り下がった? 給料を上げる“逆転の一手”とは? 必要なのは国家戦略

島田晴雄・慶應大学名誉教授 政治・経済

日本は「中進国」に成り下がった? 給料を上げる“逆転の一手”とは?(デイリー新潮 2022年08月22日)より抜粋

80年代半ばの日米半導体協定とプラザ合意で叩き潰されて以来、給料が上がらず、各国に追い抜かされ放しの日本。内閣府特命顧問も務めた経済学者の島田晴雄氏によれば、もはや「中進国だ」という。だが、逆転の道はある。そのための決意と覚悟を総理に問う。【島田晴雄/慶應大学名誉教授】

すでに日本は「中進国」

繰り返しますが、日本は80年代まで輸出大国、輸出立国でした。ところが、貿易・サービス収支は2002年の6.5兆円の黒字から、21年には2.5兆円の赤字に転落しています。

そして21年度の輸入総額の内訳を見ると、原油8.2%、LNG5.0%、医薬品4.9%、半導体等電子部品4.0%、通信機3.9%。以前は日本が輸入するものは、エネルギーや原材料、食糧が大半でしたが、いまでは日本の得意分野だった半導体や通信機も、大量に輸入しています。かつて工業製品を売って稼いでいた日本は、いまやそれらを高値で買わなければならない輸入大国です。

「このままでは先進国ではなくなるぞ」と発破をかける人もいます。しかし、現実には、すでに日本は「中進国」に転落しているといえるでしょう。韓国にも所得で敗北し、いまの日本経済には、かつての繁栄の影もありません。

いまはまだ、なんとなく生活していけても、いつまでも「平和ボケ」していては、日本に未来はありません。しかし、この衰退傾向を逆転し、発展につなげる道が、ないわけではありません。実際、同様のどん底の状況を克服した例は世界に存在し、私たちはそこから多くのヒントを学びとることができます。

必要なのは国家戦略

たとえばシリコンバレーです。前述の通り、80年代に同地の半導体産業は、日本企業によって大打撃を受けましたが、現状はGAFAMと呼ばれるモンスター企業が軒を連ねています。

シリコンバレーが復活できたのは、軍・官・民・学の四者が一体となって成長を続けたからです。

「民」は当時のレーガン大統領に働きかけて半導体協定を結ばせ、一方、アップルやグーグルなどの情報産業が現れて世界制覇し、経済を成長させました。

こうした大企業誕生の手助けをしたのが「学」、特にスタンフォード大学でした。この大学は優秀な人材の宝庫で、有力なベンチャー企業に投資して儲けようとする、目利きのベンチャーキャピタリストが参集していました。法律や財務上のサポートが必要なら、すぐれた弁護士や会計士が大勢います。起業家にとって、これ以上育ちやすい環境はありません。

つまり、スタンフォード大学は「エコシステム」、すなわち生態系にたとえられるような、起業家たちが徹底的に支援される環境を作り出していたのです。

そして、すぐれた企業が誕生した際、支える存在として「軍」があります。ベンチャー企業が生み出した技術や製品を「軍」が買い上げ、「民」の技術をともに育てます。加えて「官」が税制の優遇措置などを通して、これらの企業の成長を支援します。

こうして軍・官・民・学が一体となって成長を続けた結果が、いまのシリコンバレーの隆盛につながっています。その背景には、アメリカの揺るぎない国家戦略があったのです。

中国が「罠」を突破できた理由

また、中国も逆転に成功しています。

トウ小平時代に改革開放路線を打ち出した中国は、経済特区を設けるなどしてめざましい高度成長を遂げました。同時に、アメリカなどの大国への輸出も重ねていきます。アメリカにしても、中国の広大な土地や安い人件費が魅力で、中国で大量生産してアメリカに輸出させました。

しかし経済が発展すれば賃金も上昇するので、アメリカにとってはメリットが失われ、中国の成長は頭打ちになります。そのタイミングでトップになったのが習近平氏でした。当時、それまで年率10%程度だった経済成長が7~8%という頭打ちの状況で、「中進国の罠」といわれました。そして「罠」を突破するためには、自国でのイノベーションが欠かせません。

日本は70年代、トヨタ自動車をはじめ自動車産業のイノベーションで「罠」を突破しましたが、中国は情報化戦略によるイノベーションで、突破を果たしました。その後押しになったのは、税制優遇措置など政府の政策です。中国ではIT企業の税率は、それ以外の企業の半分ほどだといわれ、その結果、アメリカの「GAFAM」のような世界有数の企業群「BATH」(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)が誕生しました。

国家戦略としての経済の立て直し

これらの逆転事例に共通するのは、国家戦略として経済の立て直しに動いたことです。シリコンバレーではレーガン元大統領が、中国では習近平主席が強いリーダーシップの下、官を中心に民の力を結集しました。だから逆転できたのです。

実は、日本にもそういう事例がありました。戦後の焼け野原から松下電器、ホンダ、ソニー、トヨタ自動車と、世界に名だたる企業が誕生したのは、池田政権の下、強力な産業および金融政策による支援があったからです。

40年におよぶ凋落の踊り場で政権を手にした岸田総理。その歴史的使命は、この衰退を逆転し、国民に力強い発展の方向を示すことではないでしょうか。

島田晴雄(しまだはるお)
慶應大学名誉教授。慶應大学経済学部卒。米ウィスコンシン大学にてPh.D(博士)。慶應大学教授、千葉商科大学学長、東京都公立大学法人理事長を歴任。政府税調委員から内閣府特命顧問まで数々の役職を務める。

週刊新潮 2022年8月11・18日号掲載

特別読物「日本は『中進国』に成り下がった!? 給料はこうしなければ上がらない」より

<元記事全文> 日本は「中進国」に成り下がった? 給料を上げる“逆転の一手”とは?

日本は「中進国」に成り下がった? 給料を上げる“逆転の一手”とは?(デイリー新潮 2022年08月22日)

80年代半ばの日米半導体協定とプラザ合意で叩き潰されて以来、給料が上がらず、各国に追い抜かされ放しの日本。内閣府特命顧問も務めた経済学者の島田晴雄氏によれば、もはや「中進国だ」という。だが、逆転の道はある。そのための決意と覚悟を総理に問う。【島田晴雄/慶應大学名誉教授】

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〈岸田文雄総理が打ち出した「新しい資本主義」は、どん底にある日本経済を浮上させる起爆剤になるだろうか。

なにしろ日本人の平均年収は、OECD(経済協力開発機構)のデータによると、1990年の時点で406万円だったのが、それから30年経った2020年にも424万円と、ほとんど上がっていない。一方、韓国は日本の約6割の240万円から462万円に上昇し、日本を追い抜いてしまった。日本人の賃金はもはや、先進国のなかで最低レベルである。

 慶應義塾大学名誉教授の島田晴雄氏は、日本経済のいまの体たらくについて「焼け野原だった終戦時と変わらないほど壊滅的」と評する。だから岸田総理は「思い切った戦略を立て、強いリーダーシップを発揮しながら、決死の覚悟で日本経済を再生させる必要」があると強く訴える。〉

「総理の明確な考えや戦略が見えない」

〈ところが、肝心の「新しい資本主義」は、七夕の短冊のように「いろいろな政策項目が並んでいる」が、「総理の明確な考えや戦略が見えない」と指摘する。「各官庁の担当者たちに話を投げ、集まった回答を無秩序に並べただけのように見える」というのだ。

経済が壊滅的な状況で政権を手にした岸田総理は、「衰退傾向と正面から向き合い、逆転させ、新たな力強い発展の方向性を国民に示す」という歴史的な使命を負っているはずだが、「新しい資本主義」で政策項目を並べただけで「力強い発展」につながるはずもない。

では、どうするか。島田氏によれば、手はあるという。そして、凋落した状況から逆転するためには、なぜ凋落したのか、原因を究明する必要があると説く。〉

所得は韓国以下に

1980年代半ば、日本経済は絶頂を謳歌していました。GDPは世界の15%を占め、アメリカと合わせて全世界の4割に到達。89年には日本のGDPシェアは、世界の19%を占めるまでになりました。

ところが、世界トップを争った日本人の1人当たりGDPは、いまでは19位にまで落ち込み、所得は韓国にも抜かれています。なぜこれほど凋落してしまったのでしょうか。

 その前に、日本経済がこれほど隆盛を極めるにいたった経緯をたどってみましょう。終戦後、一面の焼け野原になった日本は、朝鮮戦争による特需を経て、松下幸之助をはじめとする経済人が輩出し、池田勇人政権を迎えます。

アメリカからの手ひどいしっぺ返し

当時、同じ敗戦国であるドイツの経済が成長していました。吉田茂内閣で大蔵相や通産相を務めた池田総理は、徐々に回復する世界の経済をよく観察し、敗戦国でも立て直せるのだ、という希望を見出したことでしょう。事実、アメリカは日本からの輸出を盛んに受け入れていて、池田内閣時代、経済界のブレーンたちは、この輸出量の伸びに目をつけました。

当時は人口の6割が農業に従事し、農協にお金を預ける人が多かったので、まず農協→協同組合→信用金庫→地方銀行→都市銀行→政策銀行へと、投資の元手となる資金を吸い上げました。そのうえで、石炭産業から機械産業へと産業を高度化し、輸出産業を成長させたのです。

池田氏によるこの「所得倍増計画」は国家主導の経済戦略でした。しかしながら、こうして成長が加速した日本は、輸出偏重となった結果、「Japan Inc(日本株式会社)」と呼ばれ、強い非難の対象になります。機械、自動車のほか、半導体までアメリカ市場を席巻した日本は、得意の絶頂にあったあまりにおごりがあったのかもしれません。

こうしてアメリカから手ひどいしっぺ返しを食らいますが、それは「腰骨を折られ、頭蓋骨を叩き割られた」と例えられるほどの、厳しいものでした。

萎縮してしまった日本

日本経済が凋落する原因となったアメリカの「しっぺ返し」の一つは、1986年に締結された「半導体協定」でした。

アメリカでは古くからシリコンバレーが半導体の生産基地で、軍隊の後押しもあってその地位は世界でも圧倒的でした。そこにアメリカの予想に反して、日立製作所や東芝などの日本企業が、品質がよく価格も安い半導体を引っ提げて参入してきました。日本の半導体の競争力は最強で、結局、そのシェアは、80年代半ばには世界の半分を占めるまでになります。

するとアメリカは、日本は補助金などによって不当に価格を下げている、異常な競争環境を作ってアメリカの半導体を売れなくしている、と難癖をつけてきました。そして、日本の半導体市場において外国製品のシェアが20%を超えるように求め、また、日本製の半導体の価格や輸出入量に制限をかけ、違反した企業には何千億円という課徴金を科したのです。

日本の半導体産業が成長したのは、地道に努力を続けたからです。それを不当だとしたアメリカのほうがよほど不当だと思いますが、とにかく、アメリカによる市場への強烈な介入の結果、日本の企業も政府も萎縮してしまいます。以来、日本が得意とした産業政策は死語になり、復活していません。そして日本の半導体の世界シェアは、いまではわずか1割ほどです。

アメリカによる為替レートの操作

85年の「プラザ合意」も日本経済を凋落させたしっぺ返しの一つです。

当時の日本は「どしゃぶり輸出」と非難され、アメリカのベイカー財務長官らは、日本の輸出超過の原因は円安ドル高にあると考えました。政治家の為替レートへの口出しはタブー視されていますが、ベイカー氏はお構いなしでした。

ニューヨークのプラザホテルでの会合に際し、ベイカー氏は列席したイギリスとフランスに、為替レートを下げるよう事前に根回しをしていました。ですから当時の竹下登蔵相がホテルに入り、サインをしてホテルを出るまで、15分ほどしかかかっていません。その様子がニュースで流れると、市場は即座に反応して為替レートは急落し、1ドル約220円が一気に約150円まで下がりました。

当時の日本政府は、日本を「中小企業が多く集まった国」と認識しており、急激に円高が進むと、輸出ができない中小企業が破綻すると考えました。だから需要を国内に作り出そうとして、財政出動し、金利を大きく下げたのです。

世代を超えて継承される「守りの姿勢」

その結果、企業に資金的余剰が生まれ、余った資金が土地に向かいました。こうして土地価格が異常に高騰し、バブルが発生します。しかし、これは「オウンゴール」。中小企業は企業努力で生産性を上げ、輸出ができていたのに、政府が焦って財政出動し、日銀は金利引き下げを行い、バブルを生んでしまいました。

その結末はご存じの通りです。海部俊樹内閣のとき、日銀の三重野康総裁が金利の引き締めを行い、大蔵省が膨れ上がった土地バブルをつぶそうとして、銀行に不動産向け融資の総量規制を行うよう通達したのです。銀行から多くの資金が流れ込んでいた不動産業界は、資金源を断たれて次々と破綻し、地価も暴落。バブルは弾けました。

その後、訪れたのは「バランスシート不況」でした。バブル時代、不動産という担保があるかぎり積極的に貸し込んだ銀行は、一転して企業に返済を求め、貸しはがしを始めました。しかし、企業は業績が悪化して返済できず、担保の不動産で返そうにも、不動産価格が暴落して赤字は積みあがるばかりでした。こうなると企業は、設備投資や雇用を減らして埋めるしかなく、こんな守りの姿勢ではイノベーションが起こる余地はありません。

こうして不況が継続され、企業の守りの姿勢は世代を超えて継承され、日本企業の体質として定着してしまいました。

「交易条件」が急落

日本にはもう一つ、不運が重なりました。90年代以降に「高齢化」の波が押し寄せたことです。その結果、社会保障費は増える一方なのに、高齢化で就労人口が減り、そのうえ経済も低迷しているために、歳入が増えず、不足分は国債を発行して埋めるしか方法がありませんでした。

こうして日本政府の債務は、90年に対GDP比で60%だったのが、2000年には150%になり、いまでは260%に達しています。社会保障費や地方交付税、国債の償還など固定的な支出が膨れ上がり、その結果、他方では構造改革や経済成長など戦略的支出に向けるべき財源は圧迫され、経済は停滞を余儀なくされています。

「交易条件」という言葉をご存じでしょうか。端的にいえば、外国と貿易して儲かるかどうかの指標で、分子に輸出物価指数、分母に輸入物価指数を置いた分数で表されます。半導体協定やプラザ合意など、これまで述べてきた原因で、日本経済がどれだけ低迷しているか。それは交易条件が悪化している現状に、如実に表れています。

同じものを売り買いして、輸入額が輸出額を上回れば国内の富が国外に流出する、という理屈はわかると思います。日本はこの何カ月か円安続きで、それ以前に製品の競争力自体が低下しているので、輸入物価が上がって輸出物価が下がっています。このため、80年代には良好だった「交易条件」が急落しているのです。

11.5兆円が海外に流出

日銀の発表では、今年5月の輸入物価指数は前年同月比43.3%の増加で、81年以来、最大の伸び幅です。一方、輸出物価指数は同16.7%にとどまっています。この状況では輸出と輸入の差は開くばかりで、家計の所得などが国外へどんどん流れてしまいます。これはわかりやすく言い換えれば、日本の貧困化が進んでいる、ということです。

今年1~3月期の実質国内総生産(GDP)は、年額換算で538.7兆円ですが、交易条件の悪化を加味して実質国内総所得(GDI)を計算すると、527.2兆円です。差額の11.5兆円が海外に流出してしまっています。

しかも、この交易条件の悪化は、昨今の円安による一時的なものではありません。何年にもわたって継続しており、そのことが一番の問題なのです。

すでに日本は「中進国」

繰り返しますが、日本は80年代まで輸出大国、輸出立国でした。ところが、貿易・サービス収支は2002年の6.5兆円の黒字から、21年には2.5兆円の赤字に転落しています。

そして21年度の輸入総額の内訳を見ると、原油8.2%、LNG5.0%、医薬品4.9%、半導体等電子部品4.0%、通信機3.9%。以前は日本が輸入するものは、エネルギーや原材料、食糧が大半でしたが、いまでは日本の得意分野だった半導体や通信機も、大量に輸入しています。かつて工業製品を売って稼いでいた日本は、いまやそれらを高値で買わなければならない輸入大国です。

「このままでは先進国ではなくなるぞ」と発破をかける人もいます。しかし、現実には、すでに日本は「中進国」に転落しているといえるでしょう。韓国にも所得で敗北し、いまの日本経済には、かつての繁栄の影もありません。

いまはまだ、なんとなく生活していけても、いつまでも「平和ボケ」していては、日本に未来はありません。しかし、この衰退傾向を逆転し、発展につなげる道が、ないわけではありません。実際、同様のどん底の状況を克服した例は世界に存在し、私たちはそこから多くのヒントを学びとることができます。

必要なのは国家戦略

たとえばシリコンバレーです。前述の通り、80年代に同地の半導体産業は、日本企業によって大打撃を受けましたが、現状はGAFAMと呼ばれるモンスター企業が軒を連ねています。

シリコンバレーが復活できたのは、軍・官・民・学の四者が一体となって成長を続けたからです。

「民」は当時のレーガン大統領に働きかけて半導体協定を結ばせ、一方、アップルやグーグルなどの情報産業が現れて世界制覇し、経済を成長させました。

こうした大企業誕生の手助けをしたのが「学」、特にスタンフォード大学でした。この大学は優秀な人材の宝庫で、有力なベンチャー企業に投資して儲けようとする、目利きのベンチャーキャピタリストが参集していました。法律や財務上のサポートが必要なら、すぐれた弁護士や会計士が大勢います。起業家にとって、これ以上育ちやすい環境はありません。

つまり、スタンフォード大学は「エコシステム」、すなわち生態系にたとえられるような、起業家たちが徹底的に支援される環境を作り出していたのです。

そして、すぐれた企業が誕生した際、支える存在として「軍」があります。ベンチャー企業が生み出した技術や製品を「軍」が買い上げ、「民」の技術をともに育てます。加えて「官」が税制の優遇措置などを通して、これらの企業の成長を支援します。

こうして軍・官・民・学が一体となって成長を続けた結果が、いまのシリコンバレーの隆盛につながっています。その背景には、アメリカの揺るぎない国家戦略があったのです。

中国が「罠」を突破できた理由

また、中国も逆転に成功しています。

トウ小平時代に改革開放路線を打ち出した中国は、経済特区を設けるなどしてめざましい高度成長を遂げました。同時に、アメリカなどの大国への輸出も重ねていきます。アメリカにしても、中国の広大な土地や安い人件費が魅力で、中国で大量生産してアメリカに輸出させました。

しかし経済が発展すれば賃金も上昇するので、アメリカにとってはメリットが失われ、中国の成長は頭打ちになります。そのタイミングでトップになったのが習近平氏でした。当時、それまで年率10%程度だった経済成長が7~8%という頭打ちの状況で、「中進国の罠」といわれました。そして「罠」を突破するためには、自国でのイノベーションが欠かせません。

日本は70年代、トヨタ自動車をはじめ自動車産業のイノベーションで「罠」を突破しましたが、中国は情報化戦略によるイノベーションで、突破を果たしました。その後押しになったのは、税制優遇措置など政府の政策です。中国ではIT企業の税率は、それ以外の企業の半分ほどだといわれ、その結果、アメリカの「GAFAM」のような世界有数の企業群「BATH」(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)が誕生しました。

国家戦略としての経済の立て直し

これらの逆転事例に共通するのは、国家戦略として経済の立て直しに動いたことです。シリコンバレーではレーガン元大統領が、中国では習近平主席が強いリーダーシップの下、官を中心に民の力を結集しました。だから逆転できたのです。

実は、日本にもそういう事例がありました。戦後の焼け野原から松下電器、ホンダ、ソニー、トヨタ自動車と、世界に名だたる企業が誕生したのは、池田政権の下、強力な産業および金融政策による支援があったからです。

40年におよぶ凋落の踊り場で政権を手にした岸田総理。その歴史的使命は、この衰退を逆転し、国民に力強い発展の方向を示すことではないでしょうか。

島田晴雄(しまだはるお)
慶應大学名誉教授。慶應大学経済学部卒。米ウィスコンシン大学にてPh.D(博士)。慶應大学教授、千葉商科大学学長、東京都公立大学法人理事長を歴任。政府税調委員から内閣府特命顧問まで数々の役職を務める。