ロシアのナワリヌイ氏 意識不明 & これまでの犠牲者

ロシア暗殺 国際

アレクセイ・ナワリヌイ氏、野党指導者、2020年・猛毒

プーチン政権批判の急先鋒、反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(44)が、8月20日、モスクワに向かう機中で突然意識不明となり、飛行機は中南部オムスクに緊急着陸した。9月の統一地方選を前にシベリアの各都市を回り、モスクワに帰る機中での出来事だった。広報担当者は、出発地トムスク空港のカフェで飲んだお茶に何かが混ぜられていた可能性があると話した。

側近や主治医、家族がドイツの病院への移送を希望し、入院した病院当局は21日、同氏の容体が安定したとして、ドイツへの移送を許可した。22日朝、ドイツのベルリン・テーゲル空港に到着し、現在、同市内のシャリテ大学病院で治療を受けている。

反プーチン活動家 次々に命を狙われる

ロシアではこれまでプーチン大統領を批判する政治活動家やジャーナリストが、次々に命を失っている。

セルゲイ・スクリパリ氏、元大佐、2018年・猛毒神経剤

2018年3月4日、英イングランド南西部ソールズベリーのショッピングセンター前のベンチで、セルゲイ・スクリパリ氏(66、当時)と娘のユリアさん(33、同)が口から泡を吹き意識不明の状態で発見された。2人は一命を取り留めたが、英政府は旧ソ連が開発した猛毒の神経剤「ノビチョク」による攻撃と断定し、容疑者として2人のGRU(ロシア連邦軍参謀本部情報部)職員を特定してロシアを非難した。

スクリパリ氏はロシア連邦軍参謀本部情報総局大佐を務め、退役後、ビジネスを営んでいたが、ロシア連邦保安庁によって2004年末にスパイ容疑で拘束された。ロシアとアメリカ合衆国とのスパイ交換により、2010年、ウィーンでアメリカ側に引き渡され、後にイギリスに亡命し、ソールズベリーで静かな余生を送っていた。

デニス・ボロネンコフ、元下院議員、2017年・銃撃

2017年03月23日、ロシアの元下院議員デニス・ボロネンコフ氏(45)が、ウクライナの首都キエフの中心部にあるプレミア・パレス・ホテルから出てきたところで銃撃を受け、銃弾を4発受けて死亡した。ウクライナのポロシェンコ大統領は、事件が「ロシアの国家的テロ行為」だと非難した。

ポロネンコフ氏はロシア政府やプーチン大統領への批判的な発言を重ねてきた。2016年10月、著名なオペラ歌手の妻マリア・マクサコワとともにウクライナに亡命し、その後もプーチン大統領や、親ロシア派のビクトル・ヤヌコビッチ元ウクライナ大統領を公然と批判してきた。

ボリス・ネムツォフ、エリツィン政権で第一副首相、2015年・銃撃

ボリス・ネムツォフ氏(55)は、エリツィン政権で第一副首相を務めたこともある大物政治家で、反プーチン派で最もカリスマ的な存在だったと言われている。

2015年2月27日、モスクワ市内、赤の広場近くのレストランでの食事後、ウクライナ国籍のモデルとモスクワ川の橋を歩いていた時、背後から銃撃され、その場で即死した。

アレクサンドル・リトビネンコ、元KGB将校、2006年・放射性物質ポロニウム

アレクサンドル・リトビネンコ氏はロシアKGB職員時代の1997年、プーチン氏の政敵ボリス・ベルゾフスキーらの暗殺を命じられたが命令を拒否したことを、翌年記者会見で明かした。そのため弾圧を受け、2001年に英国に亡命した。

英国では自らが関わったロシアの様々な陰謀を暴露し、プーチン政権批判の先頭に立っていた。2006年11月、ロンドンでイタリア人教授と会食後、突然の体調不良を訴え、病院に収容され、同月23日に死亡が確認された。体内からは放射性物質ポロニウム210が大量に検出された。

2014年、英国政府調査委員会がまとめた報告書では、「プーチン大統領が殺害を指揮した」との見方が示された。

ロシア当局は、いずれも関与を否定している。

米紙『 The Washington Post 』(2017年3月23日)

プーチン大統領を公然と非難し、不可解な死を遂げたジャーナリスト、政治家、実業家は数多く存在する。米紙『The Washington Post』(2017年3月23日)に10名が掲載されている。

Here are 10 critics of Vladimir Putin who died violently or in suspicious ways
The Washington Post(March 23, 2017)