一神教における「GOD」は、日本語の「神様」と何が違うのか? 日本人は神様を「仲間」と認識している

この数千年で人類史に多大な影響を及ぼしたキリスト教について知ることは、現代社会を読み解く上でも重要だ 文化・歴史

一神教における「GOD」は、日本語の「神様」と何が違うのか? 日本人は神様を「仲間」と認識している(COURRiER 2024.11.20)

近代社会においては、西洋的な文化や制度が世界を席巻してきた。この「西洋」の文化の大きな礎となっているもののひとつがキリスト教であり、これを知ることは現代社会を理解することにも繋がるだろう。

ではそもそも、なぜキリスト教における神は一つなのか? 人々は「God」をどう捉えているの? キリスト教の起源であるユダヤ教を足がかりに、社会学者の大澤真幸と橋爪大三郎が対話形式で紐解いていく。

※本記事は『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎、大澤真幸)の抜粋です。

日本人は、神様は多いほうがいいと考える

──大澤 とても基本的な質問なんですが、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も一神教で、神が一つであるということに対してものすごく強いこだわりがありますよね。

多くの日本人にとってそのあたりがいまひとつピンとこないと思うのですが、なぜ神がたくさんいてはいけないのか。「一」というのが別格的な意味を持つ感覚的な根拠──論理以前の感覚上の根拠──はどのあたりにあるのでしょう?

考えてみれば、神様はたくさんいるほうがふつうですよね。神様をたくさん持つ共同体のほうが、歴史的には、圧倒的に多かった。結果的には一神教の伝統を持つ社会が地球を席捲したので、神様は一人というのが一般的になりましたけど、もとをただせば、神様をたくさん持つ共同体がいくらでもあった。現に日本でもそうで、やたらと神様がいます。

その神が「一」であるということがなぜそれほど重要なのか。

この「一」に対するこだわりというのは、どういうことなんでしょう? 神学的に体系化される前の、言葉以前の感覚として、「一」への執着、「一」へのこだわりの根拠みたいなものがあったはずだと思うのですが。

日本人は、仏教と神道を信仰してきたことを誇りに思うべきです
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──橋爪 日本人は、神様はおおぜいいたほうがいい、と考えます。なぜか。「神様は、人間みたいなものだ」と考えているからです。神様は、ちょっと偉いかもしれないが、まあ、仲間なんですね。友達か、親戚みたいなもんだ。友達なら、おおぜいいたほうがいい。友達がたった一人だけなんて、ろくなやつじゃない。

で、その付き合いの根本は、仲よくすることなんです。おおぜいと仲よくすると、自分の支えになる。ネットワークができる。これは日本人が、社会を生きていく基本です。このやり方を、人間じゃない神様にも当てはめる。すると、神道のような多神教になる。

すると、一神教がふしぎです。なぜわざわざ、たくさんあるのを切り捨てて、「一」にするんだろう? それからなぜ、神様にあんなに怒られて、それでも神様に従おうとするんだろう?

わからないです。理解したくても理解できないから、一神教を信じるなんて、なんて変な人たちだろう、という結論になる。

じゃあこれを、一神教の側から見てみるとどうか。

一神教のGod(神)は、人間ではない。親戚でもない。まったくのアカの他人です。アカの他人だから、人間を「創造する」んです。

怖い「God」と付き合うのは、身の安全のため

──橋爪 「創造する」って、どういうことか。わかりやすいのは、モノです。モノは、つくることができて、壊すこともできる。所有したり処分したり、好きにできる。モノは、つくったひとのもの。つくったひとの所有物なんです。

Godが人間を「創造した」のなら、Godにとって人間は、モノみたいなもの。所有物なんです。つくったGodは「主人」で、つくられた人間は「奴隷」です。

人間を支配する主人が、一神教の「God」なんですね。(日本語で「神」というと、どうしてもなれなれしいニュアンスがまぎれ込んでしまうので、以下、一神教の神をさすことをはっきりさせたい場合には、なるべく「God」ということにします。)

Godは、人間と、血のつながりがない。全知全能で絶対的な存在。これって、エイリアンみたいだと思う。だって、知能が高くて、腕力が強くて、何を考えているかわからなくて、怒りっぽくて、地球外生命体だから。Godは地球もつくったぐらいだから、地球外生命体でしょ?

結論は、Godは怖い、です。怒られて、滅ぼされてしまっても当然なんです。

──大澤 橋爪さんらしい明快で、ユーモアのあふれる説明ですね。

お聞きしながら、昔、丸山眞男が書いていたことを思い出しました。丸山は、宇宙の起源を説明する論理は三つある、と述べています。一方の極に、神が宇宙を創造する、という論理がある。旧約聖書は、このヴァージョンです。他方の極には、宇宙は植物のように生成する、という論理がある。

丸山は、古事記等の神話から、日本はこのヴァージョンに入ると言っている。日本の神の名前についている「ムスヒ」の「ムス」は、「苔ムス」の「ムス」で、自然と生えてくるという意味ですね。この両極の中間に、神が宇宙を産む、出産するという説明がある。この丸山の類型でも、日本とユダヤ・キリスト教は反対の極にあります。

ともあれ、宇宙と人間を「創造した」Godが、人間にとってはエイリアン、地球外生命体のようなものであるなら、そんな怖いGodといかに付き合うかが一神教の重大なテーマになりますね?

──橋爪 はい。順番に考えていきましょう。一番目に、Godは何を考えているか。これは、大事な点だが、預言者に教えてもらいます。

二番目に、Godが考えているとおりに行動する。そうやって、身の安全をはかる。

Godを信じるのは、安全保障のためなんです。Godが素晴らしいことを言っているから信じるんじゃなくて、自分たちの安全のために信じる。Godが考えているとおりに行動するには、預言者の言葉が手がかりになる。それが、Godとの「契約」になります。

この「契約」の考え方は、わかりにくい。ま、「条約」だと思ってください。ユダヤ民族が、Godと「契約」を結ぶのは、Godに守ってくださいと頼むことなんだけど、これは日米安保条約の感覚に近い。安保条約は日本がアメリカに、「守ってください」と条約を結んでいるでしょう? 同じなんです。

だから、Godと付き合うには、なれなれしくしたらダメなんですね。まかり間違っても、Godと対等だなんて思ってはいけない。いつもへりくだって、礼儀正しくする。自分はGodにつくられた価値のない存在です、としおらしくしているのが正しい。これが、Godと人間の関係の、基本の基本です。

でもこれでは、いかにもよそよそしい。そのよそよそしい関係を打ち砕こうと、イエス・キリストは「愛」をのべて、大転換が起こるんです。それまでは、こういう厳しくてよそよそしい関係が、基本だったと理解しておかなければならない。

神は戦うために必要だった

──大澤 旧約聖書を読むと、三分の一ぐらいは歴史のことが書いてあります。『創世記』の最初のほうは、つまり天地創造のことで、今しがた話題にした、神が人間をつくったことなども書かれています。それは明らかにフィクションと言いますか神話的です。

しかし、旧約聖書は、そういうところからだんだん、実際にあった話がそれなりに伝承されて文字になったものだろうと解釈できる部分へと、つまり本当の歴史へと変わっていきます。旧約聖書の記述は、こういうふうに神話と本来の歴史、フィクションと事実とをないまぜにしていますから、これだけからはユダヤ教の客観的な歴史はわかりません。

そうすると、実際問題として「ユダヤ教はいつユダヤ教になったのか」ということが気になります。おそらく学者の冷めた目で見れば、あの地域にいたユダヤ人たちも初期の段階では周囲の共同体のそれと大同小異の宗教を抱いていたのでしょう。

しかし、その宗教は、やがて、非常に独特の厳しい一神教でGodと契約するというアイデアに固まっていきました。一般的にはいつごろ、どういう社会的背景のもとでユダヤ教はユダヤ教になったと説明されていますか?

──橋爪 年表を見てみると、エジプトの出来事と、メソポタミア(バビロニアやアッシリア)の出来事に、パレスチナ一帯(当時はカナンといっていました)の歴史が挟まれるかたちになっています。

両大国に挟まれた地域(カナン地方)に、イスラエルの人びとがいた。エジプトとメソポタミアの両大国に挟まれた弱小民族が、ユダヤ人だったという歴史がわかると思う。島国で安全だった日本とは、まるで正反対なんです。

さて、ユダヤ教の成立時期なんですけれども、だんだん出来ていったものなので、はっきりしたことは言えない。

ヤハウェという神が最初に知られるようになったのは、紀元前1300~前1200年ごろだと思います。そのころ、のちに「イスラエルの民」といわれるようになる人びとが、この地に入植しはじめた。神々のひとつとして、ヤハウェがあがめられるようになった。

これが、それなりにユダヤ教らしくなったのは、ずっと時代がくだって、バビロン捕囚(紀元前597~前538年)の前後。すっかりユダヤ教になったのは、イエス・キリストより後かもしれない。

ローマ軍の手でエルサレムの神殿が壊されて、ユダヤ民族は世界中に散らされてしまったんですね。神殿がなくなったので、律法を重視するいまのユダヤ教のかたちが確定した。というわけで、1500年ぐらいかけて、徐々に成立しているんです。

これだけ長い間に、ユダヤ教はずいぶんかたちを変えているので、以下、マックス・ヴェーバーの『古代ユダヤ教』(名著です!)を下敷きに説明します。

ヤハウェは、最初、シナイ半島あたりで信じられていた、自然現象(火山?)をかたどった神だった。「破壊」「怒り」の神、腕っぷしの強い神だったらしい。そこで、「戦争の神」にちょうどいい。イスラエルの人びとは、周辺民族と戦争しなければならなかったので、ヤハウェを信じるようになった。

日本にも似たような、八幡という神がいます。もともとは九州の国東半島あたりの神だったのが、戦争に強いということで、石清水に祀られ、鎌倉の鶴岡八幡宮にも祀られて、武士の守り神になった。

ともかくヤハウェは、戦争の神。イスラエルの民がそのもとにまとまった。

信仰をめぐる争いが始まる

この「イスラエルの民」が元はどんな人びとだったか、実はよくわかりません。肥沃な低地を見下ろす山地に住み、羊や牛や山羊を飼っていた。人種も文化もまちまちなグループの寄り合い所帯だったらしい。逃亡奴隷やならず者やよそ者もまじっていたかもしれない。

それが、定住農耕民と張り合おうというので、団結して、ヤハウェを祀る祭祀連合を結成した。ヴェーバーの言い方だと、「誓約共同体」(同じ神をいただく宗教連合)ですね。そして少しずつ、カナンの地に侵入していった。

旧約聖書には、モーセが人びとを率いて紅海を渡り、シナイ半島をさまよった「出エジプト物語」とか、モーセのあとを継いだヨシュアが、エリコの町を攻略したとか書いてありますが、これはずっと後世に書かれたもので、その通りの歴史的事実があったとは信じられない。

じゃあ実際はどうだったのかというと、あんまり古いことなので、よくわからないのです。でもともかく、ときには平和的に、ときには実力で、先住民に割り込んで、カナンの地に定着した。そして、彼らの国をつくった。

この段階では、ヤハウェは、数ある神々のひとつです。カナンの先住民は、さまざまな神を信じていた。バアルと総称されるが、主に農耕を司る神で、偶像を崇拝していた。ペリシテ人はダゴン神、モアブ人はケモシュ神という具合に、めいめい神を祀っていた。

実はヤハウェの像も、つくられたことがあるらしい。最初は、石の柱を立てていた(あとでは禁止されます)。ヴェーバーは、偶像崇拝をしないユダヤ人に、こんな皮肉を言っている。なぜ、ヤハウェの偶像がないのか? それは技術水準が低くて、偶像がつくれなかったから。偶像崇拝がいけないというのは、負け惜しみなんですね。

ともかくイスラエルの民は、先住民の神々(偶像)を拝むのを禁止して、ヤハウェだけを信仰しようとした。それでも、バアルを拝む人びとはあとを絶たなかったので、流血事件も起こっています。たとえば、王妃のイザベラがバアル神を拝んだので、預言者エリヤがバアルの祭司四百五十人を殺害した事件(『列王記上』18章)は有名です。