「タワマンは将来の廃棄物」という主張は正しい… “年86万人減”の社会に高層建築はいらない

2024年以降に完成予定のタワマンは300棟超 社会

「タワマンは将来の廃棄物」という主張は正しい… “年86万人減”の社会に高層建築はいらない(デイリー新潮 2024年08月17日)

「国土が狭いから高層化するしかない」

パリ五輪の中継で、上空から俯瞰したパリ市街の光景が映し出されることが多かった。建物の高さが不ぞろいな日本の都市の景観を見慣れた目には、高さが見事にそろった街並みは、ある意味、異様にさえ映るかもしれない。高層ビルも建ってはいるが、それは一定のエリアに集められている。

念のためにいっておけば、ヨーロッパはどの国のどの場所に行っても、景観を邪魔する高い建物が目に入らない。あったとしてもエリアがかぎられ、歴史や伝統がある地域は都市でも郊外でも、建物の高さを規制して美観を維持している。

日本の状況はヨーロッパとくらべるかぎり、むしろ特殊である。私は地方都市に赴く機会が多い。とくに城郭を取材する場合、おのずと旧城下町、すなわち歴史や伝統がある地域が中心になる。だが、歴史情緒を期待しても、駅前にはタワーマンションが建ち並び、あるいは広い面積が再開発の対象となって、次々と高いビルが建てられていることが多い。

または、城郭や歴史的街区に隣接して(旧城内であることが多い)、何棟もの高いマンションが建ち並ぶ。レンタカーで郊外の田園地帯に移動しても、やはり高いマンションは随所に建っている。過去の遺物ではなく、現在進行形でこうした建築が増え続けている。

小中学校に通っていたころ、何人もの先生が、日本に高いビルが必要な理由を、次のように説明したのを記憶している。日本は国土が狭く、狭い国土の3分の2が森林だ。そこに多くの人が住むためには建物を高層化するしかない――。現実には、国土が狭いとは思えないが、人口が増えていた局面では、そんな理屈が真実味を帯びたのもわかる。

しかし、いまでは前提条件がまったく変わっている。ところが、いまなお高い建物を建て続けているのは、なぜなのだろうか。

予想を超える人口減社会で前提条件は崩壊

7月24日、総務省は住民基本台帳にもとづく今年1月1日時点の人口を発表した。それによれば、日本人の人口は1億2,156万1,801人で、前年より86万1,237人減少した。2009年をピークに15年連続の人口減で、とくに今回は1968年の調査開始以来、過去最大の減り幅となった。

最大の要因は、もちろん少子高齢化である。昨年1年間に生まれた子供の数は、前年より4万2,434人少ない72万9,367人で、1979年に調査がはじまってから最少だった。片や死亡数は157万9,727人で過去最多。両者の差である自然増減が85万360人減と、はじめて80万人を超えた。

内閣府の経済財政諮問会議の下に設置された「選択する未来」委員会が、2014年に発表した報告では、「人口減少数は、現状のままでは、2020年代初めに年60万人減、2040年頃には年100万人減に達する」と警鐘を鳴らしていた。しかも、これらは現実にしてはいけない数字として挙げられていたのだが、いざ2020年をすぎると、人口減少数は予想された危険水域をはるかに超え、減少の速度はさらに増しそうな勢いである。

厚生労働省の第3回社会保障審議会年金部会が、2023年に発表した「将来推計人口」では、2070年の日本の総人口は8,700万人とされる。また、高齢化率は2020年の28.6%から一貫して上昇し続け、38.7%に達すると記されている。だが、統計が発表されるたびに、少子化や人口減は予想を大幅に上回るペースで進んでいるから、現実には、総人口はもっと減るのではないだろうか。

人口減時代を象徴するのが、高い空き家率である。総務省が4月30日に発表した昨年10月時点の住宅・土地統計調査によると、国内の住宅総数に占める空き家の割合は、過去最高の13.8%。空き家の数自体も5年間で50万戸増え、過去最高の899万戸となった。

もうわかると思うが、先に触れた「前提条件」、すなわち、狭い国土に多くの人が住むためには建物を高層化するしかない、という話は、いまではまったく成立しない。むしろ、空き家を減らして既存の住宅街を活性化することこそ必要なはずだ。それなのに、日本各地で高層建築が建てられ続けるのはなぜなのか。

必要ないのに300を超えるタワマン計画

不動産経済研究所の『超高層マンション動向2024』によると、2024年以降に完成予定のタワーマンションは、全国で321棟、11万1,645戸にものぼる。多いのは首都圏で194棟を占めるが、計画は全国にくまなく存在し、現状でタワマン計画がない都道府県は、石川県や鳥取県など8県にすぎないという。

事実、全国各地で進む再開発計画の多くは、タワーマンションが組み込まれている。東京都心や湾岸エリアがいい例だが、タワマンは周辺相場より2、3割ほど高額だといい、資産性の高さから投資対象としても人気なのだという。

しかし、冒頭の地方都市の話にもどると、既存の商店街にはシャッターが閉まった店が多く、住宅街も虫食いのように家が失われ、残された家も空き家が目立つ。ところが、そんな町は放置され、再開発地区にタワマンが建ち、家並が壊れた住宅街も高いマンションから見下ろされている。あまりにいびつな光景ではないか。

人口減を受けて既存の町が危機を迎えているのに、それを放置して周囲にタワマンなどを建てれば、既存の町がさらに衰退することぐらい小学生でもわかる。だが、日本ではそれが多くの都市の実態である。

マンションが建って、建設業者や不動産業者が利益を上げ、住人として富裕層を町に呼び込めれば、短期的には税収が増える。だから、自治体は黙認しているのかもしれないが、人口減社会において自治体が取り組むべきことは、既存の町を、土地にまつわる記憶や伝統を活かしながら再生させることだろう。

空き家が増えているのにマンションが建てば、さらに空き家が増え、既存の町が衰退するだけである。しかも、日本の再開発はたいてい広すぎる道路と高層建築がセットで、都市の伝統や歴史性とは切り離され、ヒューマンスケールが無視される。そういう町は、よほど人が集まって賑わいが得られないかぎり住みにくい。そのうえ将来のお荷物になる。

「タワマンは将来の廃棄物」

神戸市では市中心部でタワマン、すなわち20階建て以上のマンションが、事実上新築できなくなった。7月29日付の朝日新聞で、久元喜造市長がその理由を話しているが、目先にとらわれず先を見据えた正論である。

「人口が減るのが分かっていながら住宅を建て続けることは、将来の廃棄物を作ることに等しい。タワマンはその典型」というのが市長の回答で、記事では「廃棄物」についての久元市長の見解を、さらにつぎのように記している。

<タワマンが老朽化すれば修繕費はかさむ。居住者は多種多様で合意形成は難しく、修繕費の備えも不十分にならざるを得ない。いずれ価値が下落して居住者が減れば、解体費用をまかなえずに廃墟化し、まちの中心部に残る――>

<市中心部のタワマン建設ラッシュで住民を引き寄せれば、都市部の過密と同時に周縁部の過疎は一層加速する。増える空き家は、じきに廃棄物に。郊外が「歯抜け」状態となれば、本来はまちづくりに生かすべき鉄道などのインフラの維持が難しくなり、市の資産は負債に転じる>

私が拙稿を書いている最中に、この朝日新聞の記事が掲載された。そして、私が途中まで書いたことと、ほとんど同じ趣旨の主張であることに驚くとともに、慧眼の市長の存在を知って希望を持った。

人口が減少する局面では、タワマンにかぎらずマンションを建てる必要はない。建てただけ日本中に廃墟が増える。新築したマンションが廃墟になるだけでなく、周縁部が過疎化して廃墟になる。だから、もう建ててはいけない。建てなければ、すでに壊れてしまった景観を少しでも維持することにもつながる。

しかし、神戸市などごく一部の自治体を除き、日本の都市は廃墟へとまっしぐらに進んでいる。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部