「死後の世界の存在を信じますか?」原子力工学の第一人者が明かした“死後”についての“意外な考え”とは =『死は存在しない』より #2=

あなたは、神や仏の存在を信じますか 社会

「死後の世界の存在を信じますか?」原子力工学の第一人者が明かした“死後”についての“意外な考え”とは 『死は存在しない』より #2(文春オンライン 2022年11月18日)

「死後の世界はあるのか?」という問いに対して、古今東西の思想家や宗教家、科学者たちはさまざまな考えを述べてきた。しかし、その答えはいまだ明示されていない。一因には、これまで数百年存在してきた“「科学」と「宗教」の間に横たわる深い谷間”が挙げられるだろう。

その谷間に理性的な視点からの橋を架け、21世紀における「科学」と「宗教」の融合を試みようとするのが、東京大学大学院を修了後、工学博士、経営学者として活躍する田坂広志氏だ。ここでは同氏の新著『死は存在しない』(光文社新書)の一部を抜粋。死後の世界についての田坂氏の見解を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

「科学」と「宗教」の間に横たわる深い谷間

もとより、人類の歴史の中で、無数に報告されてきた「不思議な出来事」や「神秘的な現象」の中には、たしかに、単なる「錯覚」や「幻想」であったものも多い。ときには、意図的な「手品」や「詐欺」であったものも少なくない。

しかし、それでも、やはり、それを単なる「錯覚」や「幻想」、「手品」や「詐欺」として切り捨てることのできない、信憑性や真実性が高い「不思議な出来事」や「神秘的な現象」があることも、厳然たる事実である。

そこで、本書では、人類の歴史の中で無数の人々が体験してきた「不思議な出来事」や「神秘的な現象」というものが、現実に存在することを認めたうえで、そうした出来事や現象が、なぜ起こるのかを、どこまでも「科学的な視点」から論じたいと考えている。

具体的には、近年、「最先端の量子科学」が提示している一つの仮説を用いて、人類の歴史始まって以来、謎とされてきた「宗教的な神秘」の解明を試みよう。

さらに、その解明を通じて、人類にとって最大の謎とされてきた「死後の世界」について、やはり「科学的な視点」からの解明を試みよう。

そして、それらの試みを通じて、筆者は、これまで数百年存在してきた、「科学」と「宗教」の間に横たわる深い谷間に、理性的な視点からの橋を架け、21世紀における「科学」と「宗教」の融合を試みたいと考えている。

「死後の世界は存在するか」三つの答え

しかし、その話を始める前に、あなたにも、先ほどの「問い」を投げかけたい。

あなたは、「死後の世界」の存在を信じるか。

これは、我々の人生において、最も大切な問いであり、誰もが、必ず考える問いであるが、では、あなたは、「死後の世界」の存在を信じるか、と問われたならば、何と答えるだろうか。

実は、この問いに、どう答えるかによって、我々は、大きく三つの立場に分かれる。

第一は、「死後の世界の科学的否定論」であり、現代の科学が主張するように、肉体の死とともに意識も消滅し、すべては「無」に帰すると考える立場である。

第二は、「死後の世界の宗教的肯定論」であり、古くから多くの宗教が語ってきたように、肉体の死後も意識は存続し、「死後の世界」で生き続けると考える立場である。

第三は、「死後の世界の半信半疑論」と呼ぶべきものであり、宗教が語る「死後の世界」について、どこかに、その存在を信じたい思いはありながらも、現代の科学が「死後の世界」を明確に否定していることから、なかなか「死後の世界」の存在を積極的に信じることができない立場である。

そして、おそらく、現代人の多くは、実は、この第三の立場に立っているのであろう。

「科学」は、現代における「最大の宗教」

そのことを象徴するのが、「墓参り」や「神社・仏閣参拝」である。

例えば、「あなたは、死後の世界の存在を信じますか」と問われれば、「人間は、死ぬと無に帰すると思います」と答える人でも、一方で、毎年の墓参りを怠らず、墓前では、亡くなった両親に対して「お陰さまで、家族皆、元気に過ごしています」などと報告することは、決して珍しくない。

また、例えば、「あなたは、神や仏の存在を信じますか」と問われれば、「いえ、そうしたものは存在しないと思います」と答える人でも、ひとたび、家族が深刻な病気になったり、大きな事故に遭ったりしたときは、神社や仏閣に参拝し、病気治癒や健康回復などの祈願をし、家族の無事を祈ることも、決して珍しくない。

では、こうした「死後の世界の半信半疑論」や「神仏の存在の半信半疑論」とでも呼ぶべき第三の立場の人が、なぜ、数多く生まれてくるのか。

その理由を端的に述べるならば、多くの人々は、深層意識のどこかに、「死後の世界があると信じたい」「神仏の存在を信じたい」という思いを抱きつつも、現代の科学が、その存在を明確に否定しているため、表面意識では、「死後の世界は存在しない」「神仏は存在しない」と考えているからであろう。

「最大の宗教」としての「科学」

そして、こうした矛盾が起こる背景には、「科学」というものが、現代における「最大の宗教」になっているという、奇妙な状況がある。

たしかに、これまでの歴史において、「科学」は、人々の生命と健康を守り、生活を便利で快適なものにするために、極めて多くのことを成し遂げてきた。この「科学」が成し遂げた素晴らしい成果や業績は、誰もが認めるものであろう。

しかし、その結果、現代においては、「科学」というものが、我々の意識に最大の影響力を持つ存在となり、いわば「最大の宗教」となってしまっているのである。

そして、その「科学」が、「神秘的な現象」の存在を否定し、「死後の世界」の存在を否定しているかぎり、この二つを肯定している「宗教」とは、決して、交わることが無い。

では、なぜ、現代の「科学」は、「神秘的な現象」や「死後の世界」を否定するのか。

それらは、本当に、「科学」によって否定できるものなのか。

そのことを、もう少し深く考えてみよう。