福島原発事故12年 安全最優先、捨てるのか(中國新聞 2023年3月11日 07:00)
東日本大震災と、それに伴う東京電力福島第1原発事故の発生から12年になった。
古里への帰還が進められているものの、被災者の心の傷は癒えていない。にもかかわらず、そうした思いを忘れ去ったような動きが目に付き始めた。何より政府による原発回帰である。
これまでは、安全最優先を事故の教訓として掲げ、国民にも支持されてきた。それを捨て去ることは許されない。
原発政策の大転換は昨年8月に唐突に打ち出された。運転期間の60年超への延長や、次世代型原発への建て替えなど積極推進にかじを切った。国会はもちろん、国民的な議論を欠いたまま突っ走っている。
先月末には、60年を超す運転を可能にするため、五つの関連法改正案をまとめた束ね法案を閣議決定し、国会に提出した。ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー価格の高騰などを原発回帰の理由に挙げている。とはいえ、仮に運転延長や次世代型原発が進んでも電力値下げには直結せず、説得力は乏しい。
3月5日の本紙に載った全国世論調査では、60年超運転への支持は27%止まり。「支持しない」の71%を大きく下回った。
今後の原発利用に関しても、「今すぐゼロ」が3%、「段階的に減らし将来はゼロ」は55%で「脱原発」の声は依然、過半数を占めている。その理由で多いのは「福島第1原発事故のような事態を招く恐れ」の75%で、「戦争やテロで攻撃対象になるリスクが高い」の32%が続いた。ウクライナ侵攻に便乗して政府が危機感をあおっても、国民は冷静だといえよう。
事故の反省から生まれた原子力規制委員会も「安全」の番人という役割を放棄したかのようだ。福島の事故を防げなかった背景として、政府内の「推進と規制の癒着」が指摘された。このため、経済産業省をはじめ推進側から明確に分けられ、独立した組織として新設されたのが規制委だった。それをないがしろにしかねない最近の動きには危うささえ感じる。
例えば60年を超す運転を先月認めた。委員5人のうち1人は反対し、異例の多数決での決定だった。しかも賛成した委員からは「外から定められた締め切りを守らないといけないと、せかされて議論してきた」との認識が示された。これでは、政府の下請けに堕したかのようだ。独立性が脅かされている。
今、処理水の問題が大詰めを迎えている。海洋放出に対する地元の理解は進んでいないのに、政府は春か夏ごろに始める方針を崩していない。「関係者の理解なしには、いかなる処分もしない」。漁業者と交わした約束を忘れたのだろうか。
廃炉作業に必要なスペースを敷地内に確保するため早期放出が必要だと、政府は説明している。しかし、溶け落ちた核燃料(デブリ)をどう取り出すかさえ、めどの立たない現状では言い訳にしか聞こえない。
福島の事故で、広大な地域が放射能で汚染され、多くの住民が避難生活を強いられた。発生直後に出された原子力緊急事態宣言は、解除される見通しもない。まさに、国内の原子力災害では最悪だ。二度と起こさないため、薄れゆく記憶に抗しながら、事故の反省や教訓を生かし続けなければならない。