日銀の大規模金融緩和10年で経済はどう変わった? 数字が語る「アベノミクス」の成否(東京新聞 2023年2月1日 06時00分)
日銀の黒田東彦(はるひこ)総裁が就任直後から実施してきた大規模な金融緩和は、任期満了の4月で10年になる。金融市場に大量にお金を流し込む異例の政策を長期にわたり行ってきたが、当初日銀が目指した経済の好転はいまだ実現できていない。副作用による市場のひずみも見過ごせないものとなっている。日本経済の10年の変化を、物価、GDP、国債残高、為替の4つのデータで振り返る。
物価 「2%」達成は消費税上げた14年とウクライナ侵攻の22年だけ
2012年12月に前年同月比0.2%の下落となるなど全国消費者物価指数はバブル崩壊後、低迷を続け「慢性デフレ」の様相を呈する中、13年4月に黒田総裁は2年程度で物価上昇率を年平均2%に引き上げるとの目標を掲げ大規模緩和に乗り出した。
しかし、直近10年間で2%を超えたのは、消費税率を引き上げた14年以外では22年だけだった。22年12月の全国消費者物価指数は前年同月比4.0%上昇で、1981年以来41年ぶりの高水準。年平均でも2.3%の上昇で、過去10年の上昇率は10.6%に達した。
ただ、現在の急激な物価上昇はロシアのウクライナ侵攻に伴うエネルギー価格の高騰や円安などで高騰した原材料を価格に転嫁していることが主な要因。日銀が目指す賃金の上昇と活発な消費に支えられた「好循環」に伴う物価上昇とはなお遠い状況だ。
【関連記事】
「物価が上がれば賃金も上がる」はどこへ? 日銀・黒田総裁は発言を後退させた 異次元緩和は「失敗」か
GDP 「600兆円」はおろか、1人当たりでは国際順位大きく下げる
日銀の大規模な金融緩和を柱としていた安倍政権の経済政策「アベノミクス」では2020年ごろまでに、名目の国内総生産(GDP)を600兆円に引き上げる目標を掲げていた。だが22年7〜9月期の名目GDPは554兆円(実質で546兆円)と目標には遠く及ばない。
大規模緩和が始まった13年から21年の実質GDPの平均成長率は0.5%。成長率が最も高かったのは13年の2.0%で、急速な円安進行による企業収益の改善が功を奏した。その後、新型コロナウイルス禍の20年にマイナス4.6%となるなど想定外の事態もあったが、全体として伸び悩んだ。
日本はGDP(米ドル換算)の規模で米国、中国に次ぎいまだ世界3位は維持している。だが、1人当たりのGDP(同)では、経済協力開発機構(OECD)加盟の38カ国中、12年の10位から21年に20位と順位を下げている。
経済成長が伸び悩んだのは、GDPの5割超を占める個人消費が伸びなかったことが響いた。背景には年金支給などの将来不安や賃上げの弱さがあり、金融政策のみで成長を実現する難しさが鮮明となった。
日銀の大規模金融緩和
2012年12月に発足した第2次安倍政権が掲げた経済政策「アベノミクス」3本の矢のうちの「第1の矢」と位置づけられた。黒田東彦氏が13年3月に日銀総裁に就くと、国債や上場投資信託(ETF)を大量に買い入れ、市場に資金を供給する金融緩和を主導。16年には金融機関が日銀に預ける当座預金へのマイナス金利の導入や長期金利の誘導水準を定める長短金利操作などの枠組みも追加した。
国債残高 23年度末1068兆円の見込み 先進国で最悪の水準続く
政府の借金である国債の残高は、日銀の「異次元緩和」が始まる直前の2012年度末の705兆円から増え続け、21年度末には1.4倍の991兆円に達した。
国債発行の残高が増え続ける一因に、日銀の大量の国債購入によって、国債の金利が低く抑えられ、政府が借金しやすい状況になっていることがある。この状況を示すかのように、債務残高の伸びに比べ、国債の利払い費は7兆強〜8兆円強のほぼ横ばいで推移した。この低金利環境に、20年度以降の新型コロナウイルス対策が重なり、さらに財政規律は緩んでいる。
「コロナ禍から感覚がまひしている。永田町からの圧力がすごい」と財務省幹部。コロナ以外にも、物価高騰対策などの名目で大規模な経済対策はいまや常態化している。日銀が政府の財政を支援する構図の中で、日銀の国債保有額は22年末で564兆円。発行残高の5割超と見込まれる。
財務省は23年度末には国債残高が1068兆円に膨らむと見込む。国と地方を合わせた残高は、日本の経済規模を示す国内総生産(GDP)の2倍を超えており、先進国で最悪の水準が続いている。
為替 22年に各国は利上げ、日銀は緩和継続…大きく円安
外国為替相場ではこの10年で大きく円安が進んだ。
東京外国為替市場の円相場はリーマン・ショックや東日本大震災などの影響もあり、円高が続いていた2012年12月は月平均で1ドル=83.64円だったが、同年末に「大胆な金融緩和」を公約に掲げた第2次安倍政権が発足。13年3月に就任した黒田総裁が大規模緩和に踏み切ると、円安が進んだ。14〜21年はおおむね100〜120円台で推移した。
流れが変わったのは22年。ロシアのウクライナ侵攻やコロナ禍の収束などを受け世界的に物価が急激に上昇する中、米連邦準備制度理事会(FRB)など各国中央銀行が相次ぎ利上げ。対する日銀は緩和を継続したため、金利が低い円を売ってドルを買う動きが強まり、円安が加速。9月には24年ぶりに政府・日銀が円買い介入に踏み切る事態となった。10月には一時1ドル=150円を突破したが、米国の利上げペースの減速からやや落ち着き、22年12月は月平均で1ドル=134.93円だった。