ウクライナに降伏を促す声は「ロシアの本質を知らない人の発言」 元ラトビア大使が語る“狡猾”の歴史(AERAdot. 2022/04/06 08:00)
ロシアの脅威と隣り合わせで生きる周辺諸国にとって、情報収集と分析は生命線だ。プーチン大統領の動向については、常に観察と分析を重ねている。ロシアと国境を接し、バルト海に面するラトビアで日本大使を務めたことのある多賀敏行さんは、領土拡張の野心に満ちたプーチンとロシアの「本質」について語る。
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2014年、クリミア併合の少し前のことだ。多賀元大使は、大使公邸での夕食会にラトビアの政治家や有識者を招き、情報を交換する機会を持った。
参加者のラトビア人のひとりが、プーチンについてこんな話を持ち出した。
「最近、ロシア国内で変な動きがあり、気になる。プーチンは学校の歴史教科書を書き換えているようだ。レーニンのロシア革命への賛辞が消え、帝政ロシアがいかに偉大であったかについての記述が大幅に増えた」
プーチンがクリミア半島を武力で併合したのは、その数カ月後のことであった。
「振り返れば、この教科書の記述変更の情報は、クリミアへの侵略を予測させるものでした」(多賀元大使)
というのも、実はこのとき、ラトビアにもロシアの手が伸びていたのだ。
「ロシアはクリミア半島に続き、ラトビア奪取の計画を立てていたのです」(多賀元大使)
ロシア系住民を煽って暴動を勃発
クリミア併合の混乱のなか、多賀元大使は大使として現地で情報を集めていた。するとラトビアの軍事評論家から、こんな情報を耳打ちされた。
「このクリミア半島併合のあと、プーチンは次の目標としてラトビア侵略と奪取を計画していた」
軍事評論家によると、計画は次のようなものだった。
手始めにモスクワは、ラトビアに文化使節団を送る計画を練った。目的は、この使節団を受け入れるラトビア側の組織団体に活動資金を注ぎ込み、ロシア系住民による反ラトビア政府活動の拠点をつくることだ。
「ロシア系住民を煽ってデモや暴動を勃発させる。暴動を止めるラトビア警察によってロシア系住民に死傷者が出ればしめたものです。ロシアは、すぐに軍隊を送り込み事態を鎮圧する。ロシア軍はそのままラトビアに居すわり、ラトビア侵略の拠点とする予定だったのでしょう。幸いにも、ラトビア側で積極的に受け入れようという組織団体が見つからなかったと聞きました」(多賀元大使)
軍事評論家の情報によれば、計画は頓挫し、ロシアはラトビア奪取を諦めたという。
今回のウクライナ侵攻でも、次にプーチンが侵略するのはラトビアであるとの報道がいくつも流れた。
「プーチンが帝政ロシア時代のように領土拡大を目指すという、ラトビア時代の分析は、そう外れていないとも思います」(多賀元大使)
そして、今回のウクライナ侵攻は、日本にとっても重い現実を突きつけた。
「日本では、いつか北方領土が返還されると、根拠もないまま楽観的な観測を時の政権が口にしていました。日本は、少なくとも政治レベルではロシア外交の狡猾さを十分には理解していなかった。しかし、民間人の虐殺を重ねても、欲しい土地の奪取に執着するのが、プーチンです。もはや、北方領土の返還など期待できないとの雰囲気が強まったと思います」(多賀元大使)
領土拡張の野心に満ちたロシア
興味深い話がある。10年ほど前に、駐日ラトビア大使が日本外務省の関係者と話をしていたときのことである。多賀元大使によれば、ラトビア大使は、はっきりとこう述べた。
「北方領土が返還されると信じて、それを前提に外交交渉を続けている日本の関係者のナイーブさには、ほとほとあきれる」
ロシアに国土を奪われ、残酷さ、狡猾さに長年苦しめられてきたラトビアの外交官の言葉には重みがある。
日本は、敗戦国として連合国、実質的にはアメリカの占領下に置かれた。
「誤解を恐れずに言えば、世界の占領下で行われた虐殺などの歴史を鑑みれば、日本の占領は、異例ともいえる『寛容』な占領でした。さらに、沖縄も平和裏に返還された。これは、世界の歴史を振り返っても極めてまれなことです」
しかし、いま北方領土を占領しているのは、ロシアだ。歴史を振り返ってもロシアは領土拡張の野心に満ちた国だ。そこに根本的な違いがある、と多賀元大使は見る。
ウクライナに対して、譲歩や降伏をすべきだといった意見が日本のコメンテーターなどから出た。
「これは、ロシアの本質を知らないがゆえの発言でしょう。ラトビアでは1940年代にロシアの支配に抵抗する体力と知力を持ったインテリ層と富農層が徹底的に排除されました。ある日突然、トランク一個で列車に放り込まれシベリアに連行されたのです。彼らの多くは厳しい寒さのために命を落としました。戦後に日本を占領したのがロシアであったら、日本という国は滅びていた、といまでも思います」
ある国が他の国を侵略しようとする陰謀は過去のことではなく、いまこの瞬間にも世界中で渦巻いている、と多賀元大使は考える。
「穏やかな国民性の日本人は性善説に立って考えがちです。ところが、一歩国外に出れば、想像もつかないような非情の世界が待っています」
2014年と今回のウクライナの危機、そして1918年のラトビア建国以来の艱難辛苦から学ぶことは多いはずだ。
◯多賀敏行(たが・としゆき)
1950(昭和25)年三重県松阪市生まれ。一橋大学法学部卒業。ケンブリッジ大学法学修士号取得。74年外務省入省後、在マレーシア大使館、国連日本政府代表部勤務。宮内庁侍従、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部公使などを経て、在バンクーバー総領事、東京都儀典長、駐チュニジア、駐ラトビア特命全権大使を歴任。現在は中京大学客員教授。 著書に『外交官の「うな重方式」英語勉強法』などがある。
(AERA dot.編集部・永井貴子)