音楽に生き行動に生きた坂本さん 平和や環境問題にも向き合い、積極的に発言したが、外苑の再開発反対が最後の訴えとなった

国会前のステージで、集まった人たちを前に話す坂本龍一さん=2015年8月30日、東京・永田町で 社会

軸は「音楽至上主義」 社会に発言続けた坂本龍一さん

軸は「音楽至上主義」 社会に発言続けた坂本龍一さん(JIJI.COM 2023年04月04日07時05分)

3月28日に死去した坂本龍一さんは、環境問題や平和運動への積極的な発言でも知られた。世界的な音楽家であるとともに、市民の側に立った社会運動家としても著名で、頼られる存在だった。ただし、その影響力の強さを「音楽の力」として語られることを嫌った。「僕は音楽を社会や政治のメッセージの道具にしたくない」と語っていた。

ツイッターなどを通じた社会・政治問題への意見表明にとどまらず、坂本さんは2001年の米同時多発テロを受けた論考集「非戦」の監修や、森林保全団体「more trees」の創設など、具体的で息の長い活動に取り組んできた。地雷除去活動のチャリティー曲「ZERO LANDMINE」の制作や、脱原発がテーマのロックフェス「NO NUKES」の開催などを通じ、音楽ファンの若者らに及ぼした影響は大きい。

だが、2017年のアルバム「async」リリース時の記者会見で、政治的発言と音楽との関係について質問すると、坂本さんは一瞬気色ばんだようにも見えた。

「そこは難しいところでね」と切り出し、「例えば『ZERO LANDMINE』には強いメッセージをあえて含ませた。けれども、一般的にはなるべく込めないようにしてきました」。その上で「音楽や芸術は政治や社会以上のものだという音楽至上主義的な考えがあるのかもしれない。そういう純粋さを政治や社会性から守りたい気持ちも強くある」と音楽家としての信念を明かした。

一方で、最期まで自らの言葉で社会にメッセージを発し続けた。「自分がどんな職業の人間でも同じように発言したと思う。僕は『悪い』と思ったら悪いと言う主義。皆さんも職業とは関係なく言った方がいいと思う。そう言える社会の方がいいと僕は信じています」。

坂本さんを悼む 音楽に生き行動に生き

<社説>坂本さんを悼む 音楽に生き行動に生き(東京新聞 2023年4月4日 07時13分)

音楽家の坂本龍一さんが七十一歳で亡くなった。音楽ユニット「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」の鮮烈な活動をはじめ、世界的なアーティストとして活躍。反戦や脱原発運動に熱心に取り組むなど、音楽に生き、行動に生きた偉才だった。

まさしく衝撃的な登場だった。一九七八(昭和五十三)年、細野晴臣さんと高橋幸宏さんとともに坂本さんが結成したYMOだ。

その特徴は、シンセサイザーを用いた「テクノ・ポップ」。演歌はもちろん、ポップスさえ独特の「湿気」を帯びた音楽性を示してきた日本に、スマートでビートが効き、実に歯切れよい電子音楽を提示。ちょうどコンピューターが普及し始める頃で、音楽界からも新たな時代の到来を予感させた。

三歳からピアノを、十歳からは作曲を学び、東京芸大の大学院を修了。正統派の修練と、最先端のテクノロジーに基盤を置く独自の創作は、広く世界で支持された。

八三年の映画「戦場のメリークリスマス」では、音楽を担当して英国アカデミー賞音楽賞などを受賞する。この作品には俳優として出演もしており、多才さが際立った。また映画「ラストエンペラー」(八七年)では、日本人初の米アカデミー賞作曲賞を受賞した。戦後の日本が生んだ、最も傑出した表現者の一人といえる。

社会に向けた発言や行動も活発だった。森林の保全や植林などを進める一般社団法人「more trees」の設立、二〇〇一年米中枢同時テロをきっかけとした論考集「非戦」の監修などだ。

さらに一一年、東日本大震災と原発災害が起きると脱原発運動に注力。音楽イベントや、市民集会などを通じて、原発そのものと、原発依存を続けようとする人々に対し「ノー」を言い続けた。この国のアーティストには、社会的な発言をためらう風潮もある中で、その存在感は突出していた。

残念ながら今年三月には作家の大江健三郎さんが他界し、そしてまた坂本さんを失った。この国の未来のために「反戦・脱原発」を訴えた二人をしのび、その遺志を受け継ぐ思いを新たにしたい。

坂本龍一さんの最後の願い

坂本龍一さんの最後の願い(佐賀新聞 2023/04/04 07:43)

鹿島市出身の田澤義鋪(よしはる)は「青年団の父」と呼ばれる。内務省明治神宮造営局に勤務していた際、青年団員による勤労奉仕で進めることを提案。「神宮の杜(もり)」には全国の青年たちが持ち寄った木も植えられた。

現在、明治神宮外苑は再開発が計画されている。「目の前の経済的利益のために、先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではない」。がん闘病中の音楽家坂本龍一さんは3月初旬、再開発を認可した小池百合子知事らに手紙を送り、事業の見直しを求めた。

この記事が本紙社会面に載ったのは3月30日。先人の一人である田澤の思いを酌み取ってくれているように感じながら読んだが、坂本さんは28日、すでに亡くなっていた。享年71。最後まで社会にメッセージを発し続けた生涯だった。

シンセサイザーを駆使した革新的な音楽は衝撃を与え、映画「ラストエンペラー」では米アカデミー作曲賞、グラミー賞を受けた。平和や環境問題にも向き合い、積極的に発言したが、外苑の再開発反対が最後の訴えとなった。

坂本さんの手紙には「自然が広がる懐かしい神宮外苑を訪れては深呼吸した」とつづられていた。その情景を想像すると「戦場のメリークリスマス」の静かな旋律が流れてくるようだ。最後の願いが届き、1本でも多くの木が残ればと祈る。(知)