岸田政権を歴代短命政権と比較 海部内閣に酷似、森、宮沢、鳩山とも共通点

岸田内閣と過去の短命政権との共通点は?(右から海部俊樹氏、宮沢喜一氏、森喜朗氏/時事通信フォト) 政治・経済

岸田政権を歴代短命政権と比較 海部内閣に酷似、森、宮沢、鳩山とも共通点(週刊ポスト 2022.10.27 07:00)

「政権の寿命」を見る指標が内閣支持率だ。過去の短命首相には、「支持率20%」ラインで退陣したケースが多い。しかし、岸田文雄・首相は就任1年以内に総選挙と参院選を乗り切ったことで、解散・総選挙さえ打たなければ今後2年間は国政選挙はない。国民が選挙で首相を交代させることはできない。

そのため、自民党内には、「どんなに支持率が下がっても、低空飛行で政権は続くのではないか」(閣僚経験者)という見方があり、岸田首相も国民の批判を楽観的に考えているようだが、そうは問屋が卸さない。

岸田内閣には過去の短命政権との共通点が数多くあり、先行きを暗示しているからだ。歴代の短命総理がどのように政権を追われたか、岸田首相との共通点を探りながら辿ってみる。

政権の成り立ちも置かれた状況もそっくりなのが海部俊樹内閣(1989~1991年)だ。

海部首相は就任してしばらくは高い支持率だったが、実態は竹下登・元首相と金丸信・元副総理という実力者の傀儡政権だった。政治生命を懸けた政治改革(小選挙区制導入)が自民党の反対で潰されると、海部首相は「重大な決意」と解散を口にするが、自民党から解散権を封じられ、引きずり下ろされるように退陣した。

岸田首相も就任当初は高支持率で、実態は麻生太郎・副総裁、安倍晋三氏という実力者の影響が強かった。安倍氏の死後、政権の命運を懸けて「旧統一教会の解散手続き」を進めようとしているが、岸田首相の教団解散の方針に自民党内の抵抗が予想される状況もそっくりだ。政治評論家の有馬晴海氏が語る。

「これまで旧統一教会への解散命令請求に消極的だった岸田首相が、突然、質問権行使を指示したことで、自民党内の教団融和派からは『旧統一教会の活動は去年と変わらないのに、なぜ今になって解散させるのか』と批判され、逆に教団追及派からは『なぜ、今まで消極的だったのか』という批判の声が上がっている。これで党内を抑えられなくなれば、海部総理のような状況に置かれる可能性はあるでしょう」

最大派閥の分裂が火種に

最大派閥に振り回されているという面では宮沢喜一内閣(1991~1993年)とも共通点が多い。

宮沢首相は海部退陣の後、当時の自民党最大派閥・竹下派の支持を受けて登板した。だが、竹下派会長の金丸氏が巨額脱税事件で失脚すると派閥が分裂。自民党分裂に発展し、宮沢内閣は総選挙で過半数割れして退陣に追い込まれた。

岸田首相も最大派閥・安倍派の支持で首相になったが、その安倍派は会長の安倍氏の死後、旧統一教会問題が噴き出して派閥はガタガタ、後継者をめぐって分裂含みの状況にあり、政権基盤が大きく揺らいでいる。

「岸田内閣は竹下登内閣(1987~1989年)と似ている」と指摘するのはジャーナリストの田中良紹氏だ。

「現在の自民党の旧統一教会問題を見ると、最も類似しているのが竹下内閣のリクルート事件と言われています。政界への未公開株提供問題が明らかになった後も、竹下首相をはじめ次から次へと未公開株を貰った自民党政治家の名前が明らかになっていった。旧統一教会との関係が次々に明らかになっているのと同じ状況です。閣僚の名前がゾロゾロと出てきた部分も同じ。国民の怒りは竹下政権にぶつけられ、支持率は一桁に。消費税率と同じだと揶揄された。

その後、野党の抵抗で予算審議が難航し、4月に入っても予算成立のメドが立たない異常事態となった。5月に来日予定だった海外の賓客の接遇予算もない。そこに竹下首相の金庫番秘書が自殺し、竹下氏は予算成立と引き換えに退陣した」

短命政権に共通するのは、支持率カーブが急激に落ち込むことだ。

最も下がり方が大きかったのは鳩山由紀夫内閣(2009~2010年)。国民の期待を受けて登場した時は支持率70%台だったが、朝令暮改を繰り返し、鳩山首相が沖縄米軍基地移設をめぐって「最低でも県外」という公約を断念し、就任9か月後に退陣する時は20%まで下がった。

岸田内閣の支持率も今年7月の安倍氏の銃撃事件後、毎月10ポイント超ずつ下がっており、下落カーブは鳩山内閣と重なる。

「岸田さんも朝令暮改が目立つ。旧統一教会への対応をはじめ、コロナ感染の全数把握見直しもやると言いながらリーダーシップが執れず、佐渡金山の世界遺産申請も迷走。岸田さんの場合は、キャッチフレーズである『聞く力』を発揮して何でも聞いてしまい、それで前言撤回が増えている。いずれにしても公約をコロコロ断念、変更していくことで国民や与党の信頼を失っていることは間違いない」(有馬氏)

短命首相の多くは支持率20%ラインで退陣しているが、国民の支持を完全に失っても政権にしがみついたのが森喜朗内閣(2000~2001年)だ。

森首相はたび重なる失言や閣僚スキャンダルで支持率が低迷。水産高校の練習船えひめ丸の衝突事故【※】の報告を受けた後もゴルフを続けたことなどが批判されて支持率が一桁になっても粘りに粘ったが、連立相手の公明党から「森首相では参院選を戦えない」と辞任勧告を突きつけられて観念した。

さて、岸田首相はどのタイプになるのか。

【※】2001年2月、米ハワイ州のオアフ島沖で、アメリカ海軍の原子力潜水艦が、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船だったえひめ丸に衝突し、えひめ丸を沈没させた事故。教員・乗組員5人と生徒4人が死亡。

※週刊ポスト2022年11月4日号