「食と農」国家の基軸に 健全な危機感持つべき 日本総合研究所会長・寺島実郎氏

日本総合研究所会長 寺島実郎氏 社会

【今こそ食料自給・国消国産】「食と農」国家の基軸に 健全な危機感持つべき(JA.COM 2022年10月28日)

日本総合研究所会長 寺島実郎氏

日本は戦後一貫して、国際分業論に立って、食料とエネルギーを海外に依存し、工業生産力モデルの優等生として産業を発展させてきた。それが一時の夢となり、PHP(繁栄によって平和と幸福を)の限界も見えてきた。「食と農の基盤があってこその豊かさが重要」という日本総研の寺島実郎会長に聞いた。(聞き手は石橋湛山研究学会副会長・元東洋経済新報社社長の浅野純次氏)

耕作放棄地活用で自給率向上の方策も

――経済やエネルギーの安全保障は常に問題にされますが、食料の安全保障を本気で取り上げる人は少ないように思います。どのように考えますか。

国家にとって大事なのはレジリエンス(有事に耐えうる回復力)です。これには食料、エネルギー、水の三つの要素があります。この中で、日本は食を支える重要な資源である水には比較的恵まれており、優れた水質と豊富さでは世界で飛び抜けていますが、近年海外の資本が目を付けて、投資が増えてきています。

日本のカロリーベースの食料自給率は38%(2021年度)です。このような非常に低い数値になったのは、戦後日本が工業生産力モデルを追求し、輸出で稼いだ外貨で海外から食料を買った方が効率的という構造にしたため、食料自給率はどんどん下がりました。これに対して諸外国の自給率は、2018年で米国が132%、カナダが266%、フランスも100%を達成しています。ドイツが86%で、イタリア、英国が低いといっても6~7割の水準にあります。

日本も欧米先進諸国の水準に引き上げることは重要な点の一つです。鶏卵を例に挙げますと、重量ベースの自給率は96%ですが、トウモロコシなど鶏の飼料はほとんど輸入に頼っているため、カロリーベースの自給率は12%にすぎません。一方で、日本には約42万haの耕作放棄地があります。例えば、この土地を活用して飼料用の雑穀を栽培し、鶏の飼育に利用すれば、鶏卵の自給率を限りなく96%に近づけることも不可能ではありません。同様に、自給率の低い主要な品目を20個ほど挙げて、それぞれ具体的なプロジェクトを立ち上げ、知恵と工夫によって、自給率を高めることも実現できると思います。

「食と農」から隔絶されてきた大都市圏

さらに、もう一点、私が特に注目したいのは大都市圏の食料自給率の低さです。都道府県別のカロリーベースの自給率(2020年度)は、東京都が0%、大阪府が1%、首都圏の神奈川県が2%、埼玉県が10%です。農業が比較的盛んな千葉県や愛知県でもそれぞれ24%、11%にすぎません。コロナ禍の3年間、これだけ食料自給率が低い都市部でなぜ食料パニックなどが起こらなかったのか、それは地方から都市部へ食料を運ぶロジスティックがきちんと機能していたということが大きな理由の一つです。

戦後日本は、大都市圏に産業と人口を集中させていきました。第2次・第3次産業の労働者として、人々は地方から吸い込まれるように都市に出て、「都市新中間層」と呼ばれる層を形成しました。その人々の住む場所として、大都市郊外には大規模な団地やニュータウンがどんどん造られました。しかし、その裏返しで、いわゆる「食料自給率ゼロ」の地域が形成され、新中間層にとって「食べ物は買うもの」という認識が植え付けられ、「食と農」から隔絶されて生きてきたと言えます。

食のバリューチェーンへの関わり意識する動きも

ところがいま、その考えが変わりつつあります。例えば、横浜市内に住むシニア仲間十数名が、長野県の地元の農家の方々に指導を受けながら、リンゴ栽培を始めたケースがあります。当番制で管理をし、栽培や経理、営業など、それぞれの得意分野を生かしながら分業で行い、それが徐々に軌道に乗って、今ではリンゴジュースなどの付加価値を付けた商品も作り始めています。

食と農は、単に生産だけではなく、加工・流通・調理という食のバリューチェーン総体で捉えることが重要です。自分の時間や体力などで、それぞれの役割分担の中で応分に参画し、食のバリューチェーンに何らかの関わりを持つことが、個人の生き方としても意識されるようになってきています。

国内経済における農林水産業などの第1次産業は、国内総生産(GDP)に占める割合が1%(2020年)で、就業者に占める従事者の割合は3.2%にすぎません。しかし、重要なのは、食のバリューチェーンのサイクルの中で、それぞれ知恵と技術、人材を出しあい、付加価値を高める工夫なのです。

食とエネルギープロジェクトの一体化が生む可能性

都市型農業ではイチゴやトマトの栽培が多いですが、施設ハウスの屋根に太陽光パネルを張るなど、食のプロジェクトとエネルギーのプロジェクトを一体化させるような、攻めの都市型農業に発展させられる可能性があります。また、企業のなかには、事業に食と農を組み入れる動きもみられます。

私が会長を務める一般財団法人日本総合研究所では、10月に「食と農」プロジェクトを推進する協議会を立ち上げ、特に都市型農業に焦点を当て、もっとアクティブで付加価値の高い農業を実現するための具体的なプロジェクトの創生について議論していく予定です。

食と農への参画は生きる力に通じる

――都市型農業は、まさに知識集約型の産業であり、日本の農業の行く末を示してもいます。一方、農業は生き物を育てることを通じて、人の心のあり方とかかわっているように思いますが。

生き物とかかわることは生きる力につながる、という視点はとても重要です。東日本大震災の避難者に対して行われたある調査でも、動物や植物を育てることを通じて生きる力を与えられたという人が多くいます。食と農への参画を通じて、生きることとは何か、という一段深いことを考えさせることにつながります。これは日本人の心の基軸の話にも通じることです。

戦後、大都市郊外に多くの団地・マンション群を建てた一方で、「魂の基軸としての宗教」がない地域を作ってしまったと思っています。自分がどのように今を生き抜いて、どのように死んでいくべきなのかなど考えたこともないまま、高齢者になってしまっている団塊の世代は少なくありません。その中で、ある意味、戦後日本人の心の基軸とも言えたのがPHPだったのですが、その限界が見えてきています。

世界の中で進む日本の埋没 健全な危機感持つべき

日本のGDPが世界に占める割合は戦後間もない頃は3%水準でしたが、その後高度経済成長期とともにシェアを大きくしていき、1994年には世界の17.9%のシェアを占めるまでになり、アジアでダントツの経済大国となりました。しかし、その後シェアは徐々に小さくなり、2021年は5.1%となりました。一方で、日本を除くアジアは25%で、日本の5倍にもなりました。昨今の日本経済の低迷で、世界のなかでの日本の埋没が急速に進んでいるのです。

さらに、現在異次元の円安という事態に直面しています。その一因として挙げられるのが欧米諸国との金利差の拡大ですが、国としての借金は1255兆円(本年6月末現在)です。仮に、金利を1%上げた場合の利息は約12兆円となり、20年に国民全員に配られた特別定額給付金の総額とほぼ同じです。従って、金利を簡単には上げるわけにはいかない状況に陥っている現状をしっかりと認識すべきです。

いま、我々が持つべきなのは健全な危機感です。その危機感を土台に、国民の安全と安心のための産業創生という視点で、食と農・水・エネルギーの分野でどのように展開していくのか、真剣に考える必要があります。食と農の基盤があってこその豊かさであり、食と農はどんなことがあっても守らなければなりません。

日本の産業全体の指針示すリーダーが不在

――日本が有事に対応できないことは大きなリスクだと思います。国家のグランドデザインが必要なはずなのに、逆に危機管理ガバナンスの欠如が問われています。このままでは、日本はますますおかしなことになってしまいかねません。

私が三井物産に入社した当時、例えば興銀産業調査部の勉強会などに参加して、とても刺激を受けました。広い視野に立って、日本の産業のあり方について真剣に議論をしていました。しかし、政治の世界でも、経済の世界でも、バブル後、競争やストレスを避ける人たちが増え、日本の産業全体の針路を示すリーダーがいなくなってしまいました。日本の埋没と連動しています。

農協も積極的に食と農の論陣張るべき

――それでも食料について、国民がしだいに関心を持ってきたように思います。身近にある都市型農業への関心も高まりつつあるようです。

東日本大震災、コロナパンデミック、ウクライナ戦争などで、国民はレジリエンスの重要性に気づき始めているといえます。食と農を取り巻く環境でいえば、例えば農産物は輸入品よりも国産品の方がコストやリスクの観点から安い、など変化が起き始めています。そのなかで、農協も積極的に食と農についての論陣を張るべきです。

日本は今、幕末維新、太平洋戦争の敗戦に続き、第3の危機に直面しています。歴史を振り返ると、日本のGDPの世界におけるシェアは、1820年の江戸時代も第1次世界大戦直前も、そして敗戦後もほぼ3%の水準でした。この先10年後には、また3%水準に戻るという予測も出ています。日本にとっての金科玉条ともいうべき存在だった経済での優位性が揺らいでいる今、どのように反転攻勢に出ていくか、大変重要な時期に来ていると思います。

インタビューを終えて(石橋湛山研究学会副会長・元東洋経済新報社社長の浅野純次氏)

寺島さんには、食と農についての知見にとどまらず、ユニークでグローカルなマクロ経済論を伺えることを期待して、東京・九段にある寺島文庫を訪れた。

県別の自給率にもしっかり目を向けるべきだという冒頭の指摘がまず新鮮だった。安定した物流を私たちは当然のものとして暮らしているが、一朝事あれば地域の食料安定性など簡単に損なわれる。その後、話は世界と日本の経済をめぐる興味深いテーマへと広がっていった。急激なポンド安の明快な解説も含め、紙面の制約で十分に紹介できないのは残念である。

円安下の食と農、食料輸入先の分散、農業における後継者問題、自然災害に強い農業など、レジリエントな食と農について伺いたいことは山とあったが、時間切れでまたの機会とせざるをえなかった。そのときの近いことを楽しみにしたい。

寺島実郎(てらしま・じつろう)
1947年北海道生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科卒業後,三井物産入社。米国三井物産ワシントン事務所所長、三井物産常務執行役員、同戦略研究所会長等を経て,現在は(一財)日本総合研究所会長、多摩大学学長。