地球温暖化を「わずか数年」で解決する方法とは。CO2排出ゼロでも気温上昇は抑えられない。

4パーミル・イニシアチブ 科学・技術

地球温暖化を「わずか数年」で解決する方法とは。CO2排出ゼロでも気温上昇は抑えられない(志葉玲 日刊SPA! 2022年01月06日)

CO2排出ゼロでも世界平均気温は1.6℃上昇

地球温暖化防止のため、脱炭素社会の実現は待ったなしの急務だ。先に英国グラスゴーで開催されたCOP26(第26回国連気候変動枠組条約締約国会議)でも、温暖化の破局的な悪影響を防ぐための分水嶺とされる「世界平均気温の上昇を1.5℃程度に抑える」ことが国際的な共通目標となった。

ただ、そのためには、排出削減だけでは不十分で、すでに大気中にあるCO2も大幅に減らすことが必要だ。そして、そのカギは農業にあるのだという。

昨年8月にその一部が先行公表された国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次報告書によれば、同報告書が想定した世界の温室効果ガス排出削減シナリオの5パターンのうち、「2055年に排出実質ゼロ」という最善のシナリオにおいても、世界平均気温は2040年から2060年にかけて1.6℃程度上昇するとされている。しかも、この予測には振れ幅があり、最大では2℃上昇するという。

耕作地の炭素を増やすことで、温暖化を解決できる

もはや温暖化の破局的な悪影響を防ぐことはできないのかと絶望しそうになるが、「未来バンク」理事長で、この秋に『地球温暖化/電気の話と、私たちにできること』(扶桑社新書)を上梓した田中優氏は「まだ希望は残されている」と力強く語る。

「日本ではほとんど知られていませんが、『温暖化をわずか数年で解決する』方法があります。それは、世界の耕作地の炭素を毎年4パーミル(=0.4%)ずつ増やすことができれば、大気中のCO2の増加量をゼロに抑えることができるというもので、フランス政府が2015年に『4パーミル・イニシアチブ』として提案しました。同提案によれば、毎年0.4%の炭素を土に戻すことによって、人類が排出するCO2の75%を回収することができ、それはつまり、数年程度で温暖化を解決できるということになります」

土壌にCO2を吸収させるということはどういうことなのか。田中氏は「農作物が育つ際、栄養分としてCO2を吸収するのですが、その余剰分を農作物が土に炭素として蓄えるのです」と言う。

「効果的にCO2を土に吸収させるためには、土壌が豊かでないといけません。植物は『菌根菌』と呼ばれる土の中の微生物の力を借りて、根の張った広さの7倍の範囲から栄養分を集めています。そのかわり、植物は液化した炭素を菌根菌に与えているのです。つまり、土壌が豊かであるためには、土の中に微生物が沢山いることが条件で、それによってより多くの炭素が土壌の中に満たされているのです。微生物が元気に農作物と共生するには、農薬や化学肥料を使わないことが大切です」

植物と土壌を守ることが、最大の対策

化学肥料の使用は短期的には収穫量が上がるが、使い続けると、土地が荒れてしまう。農薬の大量使用は、人体にも生態系にも悪影響がある。「FAO(国連食糧農業機関)によれば、日本は比較的『土壌の安定地域』とされているものの、世界の土壌の流出や劣化、農地の荒廃ぶりは惨憺たる有様です。以前からその深刻さは指摘されてきたのですが、今、地球温暖化の大きな原因としても、注目されているのです。

『地球の肺』とも言われるアマゾン熱帯林は、ブラジル大統領が推進する牛の牧草地や大豆畑のために破壊されていますし、土壌の微生物達は殺虫剤や除草剤などで殺され、豪雨や洪水で土ごと失われています。『化石燃料を使わない』ということだけではなく、『植物』と『土壌』を守ることが、最大の地球温暖化対策なのです。そうして見ると、温暖化に関して『CO2の排出』が第一の問題ではなく、いちばんの大きな問題は多くの生命体の虐殺だったということが見えてきます」(田中氏)

農林業も温暖化に大きな影響を与えている

化学肥料を農地に投入することによって、CO2の310倍という強力な温室効果ガスである一酸化二窒素(N2O)が発生する。そのうえ化学肥料を生産する際にも大量のエネルギーが使用され、CO2が排出される。世界全体の温室効果ガス排出のうち「農業・林業・その他の土地利用」は、全体の実に24%だ。

化学肥料や農薬に依存した農業から脱却し、豊かな土壌を取り戻すことは、世界人口が増加し続ける中で食料の安定供給という点でも、温暖化対策という点でも重要なのだ。土壌がいかに大切なものかは、農業関係者のみならず、社会全体として共有していくべきことなのだろう。

文/志葉玲
1975年、東京都生まれ。1997年帝京大学法学部卒業後、番組制作会社でディレクターとして勤務した後、2001年からジャーナリストや市民活動家として活動を行っている。2002年1月から「志葉玲」というペンネームを使用するようになる。福島第一原発事故以降は国内での原発関係の取材も行っている。週刊SPA!、東京新聞などでの記事執筆や講演活動をしている。