自民党最大派閥「安倍派」、「後継争いは長期化必至で、結局は分裂する」

自民党最大派閥“安倍派”分裂か 政治・経済

自民党最大「安倍派」後継不在でうごめく権力闘争 今は「塩谷・下村」中心の集団指導体制だが混沌(東洋経済ONLINE 2022/07/28 4:30)

世界に衝撃を与えた安倍晋三元首相の非業の死を受けて、自民党の最大派閥・安倍派(清和政策研究会)の“行く末”が注目されている。後継争いの果ての分裂ともなれば、党内の権力闘争の構図が一変するからだ。

安倍派は安倍氏死去後初の総会で、9月27日の「国葬」までの服喪期間も考慮して、当面は集団指導体制での派閥運営を申し合わせた。ただ、その背景には「安倍氏に代わる有力な後継者がいない」という実態がある。

そもそも同派は、党内保守勢力(タカ派)の牙城で、第2次安倍政権発足以降、内政外交全般にわたって日本政治の方向づけを主導してきた。しかし、党内には「安倍氏死去後の影響力維持は困難」(自民長老)との見方が広がる。

しかも党内では「後継争いは長期化必至で、結局は分裂する」(岸田派幹部)との声が多い。今のところ集団指導体制がいつまで続くかも不透明で、「分裂すれば党内各派閥の力関係も変わる」(同)だけに、党全体が安倍派の動向に目を凝らす状況となっている。

「遺志を引き継いで」と昭恵夫人

安倍派は7月21日、党本部で安倍氏死去後初の総会を開き、当面安倍氏に代わる新会長は置かず、塩谷立会長代理ら現在の執行部による集団指導体制とすることを最終確認した。

総会には安倍氏の妻・昭恵氏も出席し「遺志をしっかり派閥で引き継いでほしい」とあいさつ。これを受け、塩谷氏は①清和会の責務は一致結束して安倍氏の遺志を引き継ぐこと、②派閥の呼称は「安倍派」のままとする、などを同派の総意として取りまとめた。

安倍氏は2021年11月の会長就任時に、現在の塩谷、下村博文両氏を会長代理、西村康稔氏を事務総長とする執行部体制を決めた。このため、9月上旬と見込まれている第2次岸田改造内閣発足の際の党・内閣人事の安倍派の窓口は塩谷氏とし、国葬後の派閥運営については、改めて協議する方針。そこで問題になるのが、派内に衆目の一致する後継候補がいないことだ。

7月8日の安倍氏の訃報を受け、同派幹部は参院選終了直後の11日夜に都内で対応を協議したが、「派閥としての一致団結した行動」の確認にとどまった。その背景には、後継者をめぐる幹部間のあつれきがあり、「各幹部の思惑が交錯し、とても後継者を決められる状況ではない」(安倍派の若手)との派内事情がある。だからこそ、21日の総会で集団指導体制を確認するしかなかったのが実態だ。

ただ、集団指導体制では最大派閥としての求心力維持は困難視されている。岸田政権幹部も「人事も含め誰と話していいかわからなければ、対応しようがない」(官邸筋)と顔をしかめる。同派は参院選後も膨張を続け、100人の大台に迫っている。それだけに、同派の混乱は岸田文雄首相にとって、当面の人事だけでなく、その後の政権運営に大きな影響を及ぼすのは確実だ。

「派内に四天王をつくりたい」と言っていた安倍氏

安倍氏は2017年に「派内に『四天王』をつくりたい」と発言し、後継者づくりに取り組む考えを示していた。安倍氏の父、晋太郎氏が派閥領袖だった際は、森喜朗(元首相)、三塚博(元幹事長、故人)、塩川正十郎(元財務相、故人)、加藤六月(元政調会長、故人)の4氏を「四天王」と位置付けていたからだ。

ところが、現在の安倍派幹部の顔ぶれをみると、「四天王」というような後継候補は明確ではない。会長代理は塩谷、下村両氏だが、後継に意欲的なのは下村氏で、塩谷氏は調整役とみられている。

後継争いの現状をみると、下村氏が当選回数や経歴では先行するが、萩生田光一経済産業相や松野博一官房長官、派閥事務総長・西村康稔氏、参院の安倍派を束ねる世耕弘成参院幹事長らも虎視眈々とされる。

さらに若手の間では、同派創始者の故福田赳夫元首相の孫の福田達夫総務会長を「正統な後継者」と推す声が台頭。福田氏は2021年の党総裁選で当選3回以下の議員を束ねて「党風一新の会」を結成、総裁選に大きな影響を与えたからだ。

また、その総裁選で安倍氏が推した高市早苗政調会長を支持する議員も少なくない。同氏は現在無派閥だが、数年前まで清和研に属していた。女性候補としては安倍氏の寵愛を受けていた稲田朋美氏元防衛相も意欲をにじませている。

このため、安倍派幹部の間では、国葬終了後の体制について「会長代理2人の双頭体制か、昔の最大派閥竹下派の『七奉行』のような7人体制との案もある」と解説する。その一方で、「実質的なまとめ役は森喜朗元首相しかいない」との指摘もあり、「まさに星雲状態」(派長老)だ。

その森氏は5月の安倍派の政治資金パーティーで「『あと何人で100人』というときが一番危ない」と警告した。一時代前に最強軍団を誇示した旧田中派(現茂木派)が100人を超えて分裂、その後の自民下野の原因となったからだ。

清和研は分裂を繰り返してきた

そもそも、福田赳夫氏の派閥を源流とする清和研は分裂を繰り返してきた。1991年に晋太郎氏が亡くなると、その跡目を三塚氏と加藤氏が争い、森氏が三塚氏を支持して三塚氏が後継会長となった。

さらに、1998年の総裁選をめぐり、森氏主導で小泉純一郎氏の擁立を決めた際、反発した亀井静香氏は総裁選後に平沼赳夫氏らとともに派閥を脱会した。

また、2007年に派会長だった町村信孝氏が福田政権での官房長官就任で閥務から離れた際は、会長制が廃止され、2009年まで町村、中川秀直、谷川秀善の3氏による集団指導体制をとった。

第2次安倍政権発足以降は、人事も含め安倍氏がすべてを取り仕切ってきたが、それが後継者不在につながった。だからこそ「誰が後継者になっても分裂は避けられない」との見方が広がるのだ。

とくに、国葬後も喪に服す状態が一定期間継続する事態となれば、安倍派への岸田首相の配慮は、「安倍氏存命中より大きくなる」との指摘もある。このため、国葬後も当分は、岸田首相が安倍派への対応に苦慮する状況が続く可能性は少なくない。