グレンコ・アンドリー氏「降伏は今以上の殺戮につながる最悪の選択肢」
グレンコ・アンドリー氏「降伏は今以上の殺戮につながる最悪の選択肢」(産経新聞 2022/3/29 20:00)
ウクライナ人の国際政治学者、グレンコ・アンドリー氏は29日の参院外交防衛委員会に参考人として出席し、ウクライナのロシアへの降伏について「今以上の殺戮につながるだけの最悪の選択肢だ」と述べた。自民党の和田政宗氏の質問に答えた。
和田氏は「テレビのコメンテーターなどが『このまま戦うと人命が失われたり被害が広がるから降伏した方がよい』という論を展開しているが、どう思うか」と質問した。
グレンコ氏は「今は基本的に殺戮は戦っている地域付近で行われているが、降伏して全土が制圧されたら全土で殺戮が行われる。決して降伏は人命救助につながらない」と答えた。
さらに「降伏という選択肢をウクライナ国民一人一人はもう考えていない。仮にウクライナ政府が降伏だといっても抵抗が続く。その場合は政権と国民の行動が不一致になり、さらなる混乱と殺戮につながる」と指摘し、降伏論に否定的な考えを示した。
橋下徹や玉川徹には理解不能…ウクライナ人が無条件降伏は絶対しない理由
橋下徹や玉川徹には理解不能…ウクライナ人が無条件降伏は絶対しない理由(デイリー新潮 2022年03月12日)
ロシアのウクライナ侵攻に関して、一時的にロシアに譲歩してでも市民の犠牲を最小限にすべきだ、という考え方を示す人がいる。主張や論理の細部を別にすると、橋下徹元大阪府知事とテレビ朝日のコメンテーター玉川徹氏、2人の「徹」はその代表格だろう。こうした人たちの念頭にあるのは、太平洋戦争末期の日本の姿だ。
勝てる見込みもないままに戦争を長引かせたために、多くの国民の命が失われたのは事実だろう。一方で、こうした論者には完全に抜け落ちている視点や歴史認識があると説くのは有馬哲夫・早稲田大学教授だ。公文書研究の第一人者である有馬氏が、なぜウクライナ人は戦うのか、あるいは戦わねばならないのかについて寄稿してくれた。
ウクライナは非武装化の危険性を知っている
ウクライナにロシア軍が侵攻した。軍事的にいえば、すべての面でロシア軍はウクライナ軍を圧倒している。すでにハリコフ、キエフ、その他の主要都市が包囲されており、包囲網の外側から内側へ向けてミサイルや戦車砲を一斉に打てば、勝敗は決する。時間がかかっているのは、人的被害が少なくなるように、人々を追い出すのに時間をかけているからだ。
プーチン大統領が求めているのは「非武装化」と「中立化」だ。だが、なにをもって非武装とするのか、中立とするのかは、彼が決める。気に食わなければ「非武装化」、「中立化」ができていないとあくまで服従を求める。つまり、彼が求めているのは「なんでもいうことをきけ」という無条件降伏だ。
そもそも「非武装化」で丸腰になったら、ロシアが何をしてきても抵抗できない。「中立化」もEU諸国には一切近づくな、ロシアの属国でいろ、ということだ。
だから、ウクライナ人は徹底抗戦している。オレンジ革命以後、困難を乗り越えて、営々と築き上げてきた今の国の姿を変えさせないために、戦車の前に立ちはだかり、ロシア兵の周りに群がって「ウクライナから出ていけ。ここはお前たちのいるところではない」とシュプレヒコールを続けている。
男たちは、国境まで妻と子供を送り、涙の別れをしたあと、戦うためにウクライナ国内に引き返していく。日々さまざまなメディアを通じて送られてくる彼らの映像には心を動かさずにはいられない。
国のために戦うことを理解しない日本人
ところが、日本人の一部は、ツイッターでこうつぶやく。
「なぜ、国なんか捨てて家族と一緒に逃げないのか」
「命の方が大事なのだから、国のために戦う必要はない」
「ロシア軍に勝てるわけがない。無駄な犠牲を払うより、さったと無条件降伏したほうがいい」
これにたいして在日ウクライナ人はツイッターで激しく反発する。家族を愛し、ウクライナの人々を愛し、国を愛しているから、それらを守るためにロシア軍と戦うのであって、それは当たり前のことだ。むしろ、彼らは、なぜ日本人がそんな当たり前のことに疑問を投げかけ、批判するのか理解できない。
彼らからすればこうだ。逃げれば命は助かるだろう。だが、2度と自分達の街には帰ってこられない。帰ってこられても、自分が住んでいた家には別の人間が住んでいて、街には違う人々がいるかもしれない。国の姿もすっかり変わってしまっているかもしれない。なぜ、こんなことが日本人にはわからないのか。日本人には国を愛し、それを守るために戦わなければならないという意識はないのか。
あとで明らかにするように、それがないから、日本人の一部はウクライナ人の愛国的行動を理解できないのだ。
欧州に残るソ連の蛮行の記憶
おそらく、ウクライナ人が無条件降伏しないのは、彼らの頭にフィンランドとリトアニアの例があるからだろう。
1939年8月23日の独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づいてソ連がフィンランドに侵攻した。フィンランド軍は激しく抵抗し、一時ソ連軍を大敗させたが、時間の経過とともに劣勢となり領土の一部を譲る条件で講和を結んだ。その後、ドイツが進軍してきたときは、ドイツ側につき、奪われた領土を取り返したが、ドイツ軍が敗退すると、再びソ連と戦って大打撃を与えたあと、ドイツの敗戦の前の1944年9月19日にソ連との休戦に持ち込んだ。そして、東欧諸国のような共産化と属国化は免れた。
リトアニアも独ソ不可侵条約を受けて1939年9月28日にソ連の勢力圏に入れられた。そして、1940年6月14日、ソ連が一方的に押し付けた相互援助条約を誠実に守らなかったと言いがかりをつけられ、最後通牒を突きつけられ政権交代を要求された。これにリトアニア政府は抗しきれず、内閣は総辞職し、その後大統領のアンタナス・スメトナはドイツに亡命した。そのあとには、共産主義者ユスタス・パレツキスを首班とする傀儡政権が生まれた。旧政権の勢力は完全に駆逐され、以後、徹底的にソ連による属国化が行われ、再び独立を回復するのは1990年3月11日まで待たなければならなかった。実に50年間である。
これら2国の歴史は、ロシア(当時はソ連)の脅しに屈するとどうなるか、そうせずに戦うとどうなるか、を示している。どちらの国もウクライナと遠からぬところにある。今ウクライナ人は、リトアニアではなくフィンランドがした選択をしているのだ。
誤った歴史認識
ではなぜ、一部の日本人がウクライナ人の愛国的行動を批判するのか分析してみよう。それは彼らの持っている誤った歴史認識が関係している。
彼らは日本が無条件降伏したと思っている。「無条件降伏しても、この通り大丈夫だ。大したことではない。だから命を大切にした方がいい」と考えている。日本は無条件降伏しなかったこと、そして降伏した相手がアメリカだから、日本が今ある姿になっているのだということを知らない。
これまで『歴史問題の正解』(第6章「日本は無条件降伏していない」)、『日本人はなぜ自虐的になったのか』(第4章「ボナー・フェラーズの天皇免責工作と認罪心理戦」)、『一次資料で正す現代史のフェイク』(第7章「日本が無条件降伏したというのはフェイクだ」)などでも明らかにしたが、日本は「国体護持」という条件つきで降伏している。その証拠に、真っ先に裁かれるはずの天皇は、極東国際軍事裁判でも、戦犯になるどころか起訴さえされていない。
当時のアメリカの世論調査では、天皇を絞首刑にしろとか、裁判にかけろとかという意見が圧倒的に多かったが、「国体護持」の条件つきなので、占領軍の最高司令官ダグラス・マッカーサーには、それはできなかった。それをすれば、日本側指導者は、約束が違うと立ち上がり、占領統治が困難になるからだ。
なぜ、ハリー・S・トルーマン大統領が「国体護持」の条件付き降伏まで譲ったのかといえば、硫黄島、沖縄での日本軍の死を恐れぬ戦い方を見て、本土上陸作戦を避けたいと思ったからだ。
1945年6月18日のアメリカ軍幹部と政権幹部の合同会議で、九州上陸作戦が行われれば、作戦に加わった19万人のアメリカ将兵のうち、約30%のおよそ6万3000人が死傷するという試算が示された。これは到底許容できるものではない。関東上陸作戦ではさらに膨大な死傷者がでることになる。そこで、本土上陸作戦の代替案として、日本が望む「国体護持」という条件付きで降伏を求めることを考えた。
この30%は、硫黄島、沖縄での死傷率からはじきだされたもので、戦争初期では15%前後だった。つまり、日本軍の抵抗は、アメリカ軍が日本本土に近づくに比例して激しくなったということだ。
日本の将兵は無駄死にしたと考える人がいるが、それは間違いだということがわかる。彼らの決死の戦いがアメリカ将兵の死傷率を高め、それが「国体護持」の条件付き降伏案を引き出したのだ。ウクライナ人に無駄死にだという日本人はこの事実を知らないのだ。
もう一つ、トルーマンがこの降伏案をとった理由は、ソ連の参戦だった。予想に反して、日本は原爆投下後も降伏しなかった。拙著『「スイス諜報網」の日米終戦工作―ポツダム宣言はなぜ受けいれられたか―』でも明らかにしたように、昭和天皇は「国体護持」できるという確証が得られるまで降伏するつもりはなかった。スイスやスウェーデンの情報から、降伏してもアメリカは少なくとも皇室を廃止しない公算が大きいと知って、降伏を決意している。
一方、ソ連のトップであるヨシフ・スターリンは、1945年8月15日に参戦するとトルーマンに言質を与えていたにも関わらず、原爆投下をみて、急いで8月9日に参戦してきた。早く日本を降伏させないと、日本をソ連と共同占領しなければならなくなる。もう無条件降伏にこだわってはいられなかった。
ただし、トルーマンは、アメリカ国民向けには、日本が無条件降伏したとしてプレスリリースした。そうしないとアメリカの世論は収まらないからだ。そして、日本の占領にあたって、マッカーサーに無条件降伏したものとして占領政策を進めるように命じた。
マッカーサーは、終戦の経緯から、また、東久邇宮総理が「国体護持」をスローガンとしているのを見て、天皇をそのままとどめ置き、裁判にもかけないほうが、占領が円滑にいくと判断した。そして、みずから選出した極東国際軍事裁判の判事団にそのような方向にもっていくよう圧力をかけた。
約束を破った占領軍
こうして、皇室の維持という点では「国体護持」がなされた。ところが、国家神道と軍国主義の除去という点では、「国体護持」の条件は守られなかった。
占領軍は終戦から4カ月後の12月15日に「神道指令」を出して、軍国主義の中心にあった国家神道を禁止した。国のために命を捧げれば靖国神社に神として祀られるという思想を禁止した。
次いで、教育の場から徹底的に軍国主義を追放した。1946年2月4日、CIE(民間情報教育局)は、文部省に次のように解釈される要素を含む歴史教科書記述を削除することを命じた。
〇国民の英雄的及び一般的活動として戦争を賛美すること
〇天皇や祖国のために戦死を名誉とすること
〇人間の最高の名誉として、軍事的偉業や戦争の英雄を美化すること
〇天皇を防御し、国家発展のために、桜の花が散るがごとく人間の生命を犠牲にすること
〇天皇のために死ぬことを義務とする考え
〇天皇の勅令に対しての従属的な考え
われわれ日本人がよく知るように、こういった考え方や価値観は戦後教育において徹底的に排斥された。そして、日本人は、「戦争を賛美してはいけない」「戦争で戦う人を英雄視してはいけない」「国のために自分を犠牲にすることはよくない」「国のために死ぬことを名誉としてはいけない」という考え方を植え付けられた。
問題なのは、侵略戦争と自衛戦争を区別していないということだ。これは、憲法の戦争放棄条項を見てもわかるように、占領軍が意図的にしたことであって、侵略の戦争はもとより、自衛の戦争であっても、とにかく戦争はしてはいけないのだ。占領の目的が日本を自衛戦争さえできない国にすることだったからだ。
こうして、「国体」のうち、国家神道と軍国主義は破壊された。この点ではアメリカは終戦条件を守らなかった。しかも、これは次のようなハーグ陸戦条約に違反していた。
第43条 国の権力が事実上占領者の手に移ったら、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重し、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保するため、できる手段を尽くさなければならない。
第46条 家の名誉及び権利、個人の生命、私有財産ならびに宗教の信仰及びその遵行を尊重しなければならない。
結局、日本は「国体護持」できたのかといえば、半分はできたが、残りの半分はできなかったといえる。やはり、占領されるということはそういうことだ。
亡国の民の心情を想像せよ
無条件降伏していたなら、半分も「国体護持」ができなかったことは明らかだ。また、降伏相手がアメリカだったからよかったが、ソ連だったら、傀儡政権を作ったのち、日本人の半分ほどをシベリアに強制移住させたあと、ロシア人を入れて日本本土を支配しただろう。つまり、国を奪われていたのだ。
こうしてみると、なぜ一部日本人が祖国防衛のために身を挺して戦うウクライナ人の行動を理解せず、批判するのかわかる。要するに彼らの歴史認識が間違っているのだ。
彼らは無条件降伏しても別にどうということがないと思っているが、それは日本が「国体護持」の条件を獲得するために最期まで戦ったことを知らないからだ。また、日本の場合は、たまたま領土的野心を持たないアメリカに降伏したので、国を奪われずにすんだが、ウクライナ人の場合はそうはいかないということが理解できていないのだ。
占領軍によって植え付けられたマインドセットから抜け出せていない日本人は、自衛の戦争であっても「戦争はよくない」といい、国のために戦うな、犠牲になるなといい、勝ち目がないし、無駄だから、さっさと無条件降伏すればいいという。国を奪われること、亡国の民となることがどんなことか理解していない。
彼らはウクライナ人がおかしいという。国際的に見て、おかしいのは占領軍のマインドセットから抜け出せていない日本人の方なのだ。
有馬哲夫(ありまてつお)
1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学社会科学総合学術院教授(公文書研究)。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書に『原発・正力・CIA』『歴史問題の正解』など。
デイリー新潮編集部