【特集】元衆議院議員 愛知和男さんお別れ会 政治人生振り返る「地球市民はSDGs先取りだった」

元衆議院議員 愛知和男さんお別れ会 政治・経済

【特集】元衆議院議員 愛知和男さんお別れ会 政治人生振り返る「地球市民はSDGs先取りだった」(ミヤテレ 2024年6月15日 9:00)

仙台市青葉区のホテルで開かれた愛知和男さんのお別れ会。
生前、交流のあった支援者らおよそ500人が参列し、故人を偲んだ。

5月3日、86歳でこの世を去った愛知和男さん。

大蔵大臣などを歴任した義父、愛知揆一さんの地盤を引き継ぎ、衆議院旧宮城一区などで9回当選。環境庁長官などを歴任し、自民党内でも国際派の政策通として知られていた。

出席者
「まじめ」
「クリーンでした」
「清廉潔白。きれいな政治家いなくなったね」

一方、人となりと比べその信念や活動については必ずしも知られてはこなかった。

「脳性小児まひがあっても活躍できる事例を作ってくれた」

愛知さんには信頼を寄せていた元側近がいる。
栗原市出身の国際政治学者で、東洋学園大学の櫻田淳教授。

櫻田淳教授
「余裕と品格を感じさせる方私は憧れていた」

櫻田教授は、脳性小児まひのため日常生活に支障がある。
しかし、愛知さんは櫻田さんの大学院での研究実績を高く評価し、政策秘書に抜擢。

9年間、外遊に同行したほかスピーチなどの原案の作成を担っていた。

櫻田淳教授
「脳性小児まひでの障害があっても場を与えれば活躍できる事例を作ってくれたのが愛知先生。感謝してもしきれない」

1990年、愛知さんは53歳で環境庁長官に就任。
当時、地元の支援者に出迎えられ、こんな意気込みを語っていた。

「地球環境保全」国境を越えた取り組みを模索

愛知和男
「地球環境保全のことは人類に関わる話 いっぱいあります」

気候変動のリスクをいち早く感じ取っていた愛知さんは当時、環境問題をテーマにした本を立て続けに出版した。

この中で「地球市民」、「地球政府」、「地球安全保障会議」といった地球規模で解決策を考える独自の理念を掲げていた。
そして、海外の議員との草の根外交を展開し、国境を越えた取り組みを模索しました。自腹で外遊することも多かったと言う。

櫻田淳教授
「普通の人はあまり2,3歩先のことは考えられない。」

愛知さんがエコツーリズムに関する法案を提出する際、議論を交わした文教大学の海津ゆりえ教授。
愛知さんはSDGsを先取りしていたと指摘する。

海津ゆりえ教授
「地球市民と言っていることはSDGSを先取り、地球のためにやらないといけないということがある。先に見えているビジョンが大きくて。」

Q 時代が早かった?
「早かったかもしれない」

具体的な政策提言もしていた。
環境問題解決のため、各国が財源を拠出しあう「地球市民税」「世界大蔵省構想」。
これは後に国連で提唱され、現在、議論が進んでいる「国際連帯税」を先取りしていた。

また、国連改革としては、安全保障問題を切り離し「環境問題だけを話しあう第二国連を設立し、日本に誘致する」という大胆な構想も打ち立てていた。

なぜ、環境問題にここまで力を入れたのか。

海津ゆりえ教授
「バブルがはじけなんでもお金で解決できる時代ではなくなって今あるものの中でこの先何を残していくかが問われた。もう少し注目されるべきだった」

理念は埋もれ、ライバルは「インフラ整備」で心掴む

その後、自民党を離党して新党に参加したものの復党するなどした結果、重要ポストに恵まれず愛知さんの理念や構想は埋もれていった。
交流のあった元仙台市議会議長の鈴木繁雄さん。地元での評価はライバル・三塚博さんと常に比較され、不利な立場だったと指摘している。

鈴木繁雄さん
「細かい要望事項に的確に実行したのは三塚博先生が1枚も2枚も上手」

中選挙区時代、旧宮城一区で愛知さんと三塚さんは「三愛戦争」と呼ばれる激しい選挙戦で、しのぎを削った。
三塚さんは運輸、通産、外務、大蔵大臣といった重要閣僚のほか、自民党幹事長などを歴任。宮城初の総理総裁との期待を一身に集めていた。

三塚さんは東北に新幹線や高速道路などインフラを整備することで有権者の心を掴んだ。

鈴木繁雄さん
「インフラ整備が盛んにおこなわれた時代、当時の国情、当時の日本の現状からみれば、ピタッと有権者の要望にはまった」

一方、愛知さんは選挙期間中も地元を留守にすることも多く、有権者からは「地元のため汗をかいてくれない」「要望や陳情には冷たい」といった評価に甘んじていたという。

鈴木繁雄さん
「愛知和男さんの提言は日常の生活感の中で消え失せてしまうか、スポットライトが当たらないような部分」

SDGs時代が愛知さんに追いついてきた

近年、気候変動は世界共通の深刻な課題となり、また、SDGsの考え方も、徐々に定着してきていた。
晩年、環境政策について議論を交わしてきた専門家は時代が愛知さんに追いついてきたと振り返る。

愛知さんと議論交わした 真板昭夫客員教授
「愛知さんが求めるものと一致してきた。世界のレベルで彼のスケール感の大きさ、再評価、政治家のあるべき姿、モデルを未来に向かって提示している」

時代の先を見据え、歩んできた愛知和男さん。今、その足跡を再評価する声が静かに広がっている。