「賃上げ5%」でも所得はほぼ増えないカラクリ 岸田首相の詐欺的レトリックを暴く 古賀茂明

岸田首相の詐欺的レトリックを暴く 古賀茂明 政治・経済

「賃上げ5%」でも所得はほぼ増えないカラクリ 岸田首相の詐欺的レトリックを暴く 古賀茂明(AERAdot. 2024/04/16/ 06:00)

「実質賃金2月1.3%減 23カ月マイナス、過去最長に並ぶ」

4月8日配信の日経電子版の記事の見出しだ。

厚生労働省が発表した2月の実質賃金指数の話だ。マイナスには慣れっこになっていたが、「過去最長」ということで少し大きなニュースになった。

今年の春闘(4月2日までの2620組合回答の連合による集計)では、定期昇給分とベースアップ相当分を合わせた賃上げ額が、平均で月額1万6037円、率にして5.24%だった。33年ぶりの5%超えと囃し立てる報道が溢れ、これにより今年こそ「実質賃金上昇」が実現すると思っている人も多いだろう。

しかし、「実は、岸田文雄首相は、今年は実質賃金がプラスになることはないと考えている」と聞いたら、皆さんはどう思うだろうか。

多くの人は、「そんなはずはない、岸田首相は今年こそ物価上昇を上回る賃上げを実現すると言っていたじゃないか」と反応するのではないか

確かに、岸田首相は、「賃上げ、賃上げ、賃上げ」と叫び続け、「物価高を超える賃上げ」という言葉も多用してきた。そして、今年の春闘でも、労使双方に向かって、思い切った賃上げをとはっぱをかけた。こうしたパフォーマンスを見た国民の多くは、今年はついに実質賃金が上がると期待したはずだ。

しかし、岸田首相は、実は、今年は実質賃金がマイナスのままでも仕方ないと思っている。信じられないかもしれないが、これは本当のことだ。

例えば、3月28日に2024年度予算の成立を受けて記者会見した岸田首相は、賃上げについて、「25年以降に物価上昇を上回る賃上げを必ず定着させる」と表明した。実質賃金上昇は25年以降だと言っているように聞こえる。

一方、今年、24年については、「賃上げと減税などで物価を超える『所得』の上昇」といいう表現を使った。

その意味するところは、実質賃金の上昇までは見込めないので、その分を補うために定額減税などを実施して、賃金ではなく、賃金とその他の給付金などを合わせた総所得の上昇が物価上昇を上回るようにするということだ。

この見通しは決して的外れではない。昨年も春闘では約3.6%と30年ぶりの賃上げ率(定期昇給を含む)となったが、厚労省発表の「名目」賃金上昇率は前年比1.2%増にとどまった。そこには2.4ポイントの落差がある。賃上げ率のうちベースアップ分と定昇分が明確にわかる組合の平均賃金上昇率3.69%のうちベア分は2.1%でしかない。さらに、連合の春闘に関係しない中小企業の賃上げ率が大企業に比べてかなり低いことや労働時間規制の強化で残業代が減ったこともあり、名目賃金の伸び率は春闘の賃上げ率に比べると大幅に低い1.2%にとどまった。消費者物価上昇率が前年比3%超だったので、実質賃金はマイナスに沈んだ訳だ。

この傾向を今年に当てはめると、春闘の賃上げ率は5%を超えるが、ベアは3.6%に過ぎない。連合傘下にない中小企業の賃上げ率はこれを大きく下回る可能性が高く、さらに、今年から物流業界などで労働時間規制が強化されることもあるので残業代の減少も予想され、名目賃金が3%以上上がるにはかなりハードルが高いというのが客観的情勢だ。

消費者物価の上昇率は直近では2%台に下がっているが、今後は、電気ガス料金補助がなくなることや原油価格の上昇、企業による積極的な値上げ姿勢に加え、記録的な円安の動きもあり、消費者物価の上昇圧力は高まっている。

すでに4月に入っているが、実質賃金がすぐにプラスにはならないと考えると、24年を通じた平均値での実質賃金のプラス転換は難しいと言った方が良いかもしれない。

当然のことながら、賃金と所得は異なる。賃金は、労働者が雇い主から労働の対価として受け取るものだが、所得には、それ以外にも利子や配当や株の売却益、不動産の賃料や売却益、さらには、政府からの給付金なども含まれる。

したがって、賃金の伸びが物価の伸びを上回らなくても、金融所得が伸びたり、あるいは今年のように所得減税を行ったりすれば、個人の全体の所得の伸びが物価の伸びを上回る状況を作ることは可能だ。

岸田首相は、「賃上げ、賃上げ」と声高に騒いで国民に「大幅な賃上げ」の期待を煽り、その結果として、国民が「物価の伸びを超える」という言葉を聞いた途端に、物価の伸びを超える「賃金」の伸びだと思い込むように仕向けた。

しかし、よく聞くと、最後のところでは、「賃金」という言葉の代わりに「所得」と言葉を置き換え、それが物価上昇を上回るという言い方で終わるような形で話をしていた。

相当な知能犯のように思えるが、これはおそらく官邸スタッフが岸田氏に振り付けたシナリオ通りに岸田首相が演じたということなのだろう。

ある薬を売るときに、この人はがんが治った、この人も治った、その人も、あの人もと挙げて、聞いている人に、これはがんに効く薬だと思い込ませておいて、薬を買ってみると、効能書きには、健康増進と書いてあったというような詐欺的商売と似ている。

岸田首相の「詐欺師ぶり」はなかなかのものだ。

詐欺といえば、もう一つ、子育て支援金のことを思い起こす人も多いだろう。

4月9日、子育て支援金の負担額が年収600万円の人で月1000円になるなどという試算をこども家庭庁が発表したが、多くの国民から見ると、「え?」という驚きの数字だった。

最初の政府の発表が、医療保険制度全体の加入1人当たりの平均月額 500円弱(後に平均月額450円程度と発表された)というもので、「ワンコイン」という報道がされたこともあり、これが多くの人の頭に入っていたからだ。

この話には3つのトリックがある。

第一に、450円というのはあくまでも平均であって、保険料は所得別に計算されるので、所得によってはこれを超える金額になるのは当たり前のことだ。

しかし、岸田政権は、最初の段階では、あえて他の数字に言及せず、450円という平均の数字「だけ」を発表することによって、それを国民の頭の中に強く刷り込んだ。

第二のトリックは、「加入者」と「被保険者」の違いを説明せず、最初の発表では、「加入者」1人当たりの平均だけを発表したことだ。

加入者とは、医療保険制度によってカバーされる人全員を含む。保険料を払っていない扶養家族が含まれるので、数は多く、それを分母に1人当たりの負担額を計算するので、負担額は小さな数字になる。

負担額の話をするなら、本来は、保険料を払っている人、すなわち「被保険者」にとってどれくらい増えるのかということを示すべきだ。被保険者には扶養家族は含まれず、その数は「加入者」に比べて大幅に減るため、被保険者1人当たりの負担額は大きくなるのだが、政府はその額を当初ははっきりとは言わなかった。

野党に繰り返し要求されて、ようやくその数字を年収別で出したのだ。

それによれば、被保険者一人当たりの負担額が28年度時点で、所得が200万円なら月350円と安いのだが、400万円なら650円、600万円なら1000円、800万円なら1350円とかなり高くなる。600万円の家庭では年間1万2000円。馬鹿にならない額だ。

さらに第三のトリックがある。

この負担額には、企業や国などの負担額が含まれていないということだ。保険料については、被保険者の他に、企業や国が同額を負担することになっている。この分は、労働者から見ると直接の負担にはならないから負担感は生じない。

一方、企業は、この負担を経営の中で吸収する必要があるが、最も簡単な方法は、本来行えるはずの賃上げの率を下げる、ボーナスの支給額を減らす、正規社員を減らして保険の対象にならない非正規を増やすなどの対策だ。

つまり、企業の負担は、簡単に労働者の負担に付け替えることができるのだ。

例えば、年収600万円の人は支援金による年間1万2000円の負担増とともに、気付かぬうちにボーナスが本来よりも1万2000円少なくなって、合計2万4000円の負担になるかもしれない。

しかし、そういう議論は、ほとんど聞こえてこない。

岸田首相は、支援金の負担が増えても「実質的な負担は増えない」という、これまたとんでもないデタラメを言っている。ここでは、言葉のすり替えのトリックが使われた。

元々は、被保険者1人当たりの保険料の負担の議論をしているのに、それとは全く異なる「社会保障負担率」というものをまず引き合いに出した。言葉だけ見ると、なんとなく社会保障の負担の割合と読めるので、議論されていることは同じ話なのかなと勘違いしそうだ。

しかし、この数字は、「個人や企業など国民全体の所得=国民所得」を分母として、これに占める社会保険料(医療だけでなく介護なども含む)の負担の総額を分子として、その割合を示す数字に過ぎない。政府は、この定義をもとにして、さらにデタラメな説明を加えた。

まず、「分子」となる保険料の負担増を、医療・介護の「歳出改革」でできるだけ抑えれば、社会保障負担率の上昇を抑えられるという主張だ。

しかし、この「歳出改革」とは何かといえば、医療や介護のサービスのカットに他ならない。これは、食品値上げなどで見られる価格の値上げをせずに容量を減らすというステルス値上げと同じ手法だ。国民から見れば実質的には負担増なのに、これで「負担を減らす」という嘘をついているのだ。

さらに、政府は「分母」となる国民所得を賃上げによって増やせば、やはり社会保障負担率は下がると説明した。

しかし、賃上げは政府がするものではなく、企業などが行うもので、どれだけ上がるかは企業任せ。景気が悪くなれば、逆に下がる可能性もあり、政府の主張に根拠はない。

こんな説明がまかり通るなら、増税をしても賃上げがあれば、増税の負担はありませんと言っているのと同じだ。誰が見ても直観的におかしいと感じるので、この嘘で国民を騙すことにまだ成功はしていない。

賃上げや子育て支援についての岸田首相の言動を見ると、この人は、真面目に国民に向き合って、重要な政策について本当のことを説明する気は最初から全くないということがよくわかる。

筆者から見ると、その場その場で嘘を重ねて国民を騙せば良いという「とんでも詐欺師」にしか見えないのだが、皆さんにはどう見えるだろうか。

古賀茂明(こが・しげあき)/古賀茂明政策ラボ代表、「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者。1955年、長崎県生まれ。東大法学部卒。元経済産業省の改革派官僚。産業再生機構執行役員、内閣審議官などを経て2011年退官。近著は『分断と凋落の日本』(日刊現代)など