世界的音楽家の坂本龍一さん死去 悼む声、国内外から…吉永小百合さん「言葉が見つかりません」、ビートたけしさん「仲間がみんないなくなってしまいました」 生涯をかけて訴えた「反戦反原発」、神宮外苑再開発にも反対

辺野古新基地の埋め立て海域の大浦湾の美しい海を船上から視察し、感想を語る坂本龍一さん=2020年、名護市辺野古沖 社会

世界に知られた日本の顔 YMO時代に萌芽 坂本龍一さん死去

世界に知られた日本の顔 YMO時代に萌芽 坂本龍一さん死去(毎日新聞 2023/4/3 05:00 最終更新 4/3 05:00)

3月28日に亡くなった音楽家の坂本龍一さんは、指揮者の小澤征爾さんや芸術家の草間彌生さんらと並び、世界的に名の知れた日本のアーティストの「顔」的な存在だった。

坂本さんの世界志向は、出身である音楽グループ「YMO」時代にすでに萌芽があったといえる。グループは「イエロー・マジック・オーケストラ」と称し、白色人種でも黒色人種でもない、アジアの黄色人種のバンドであることをメンバーたちは強調。人民服風の赤いコスチュームに身を包みワールドツアーで演奏するなど、欧米人が席巻していた当時の音楽界に相対することで地歩を築いた。

本格的に世界に打って出たのは、映画と関わるようになってからだ。1983年公開の映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)では音楽を担当しただけでなく陸軍大尉役として出演。デビッド・ボウイ演じる敵軍捕虜と対峙することで存在感を示した。映画はカンヌ国際映画祭に出品され、同映画祭での受賞は逃したものの英国アカデミー賞作曲賞を受賞。世界から坂本さんに視線が注がれた。

87年公開の映画「ラストエンペラー」(ベルナルド・ベルトルッチ監督)でも、日本人将校を演じるとともに音楽を手がけ、同作は米国のアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞でいずれも作品賞と作曲賞を獲得。坂本さんは一躍グローバルな名声を得て、90年にはニューヨークに拠点を移した。92年にはバルセロナ・オリンピックの開会式の音楽を担当、指揮台にも立ち、テレビ中継を通じて世界に顔を知られる存在となった。

その後もベルトルッチ監督の「リトル・ブッダ」やブライアン・デ・パルマ監督の「スネーク・アイズ」「ファム・ファタール」といった名監督の映画音楽を手がけるだけでなく、世界3大映画祭のうち、ベネチア国際映画祭とベルリン国際映画祭のコンペティション部門で審査員を務めた。またデビッド・シルビアンやアルバ・ノトら欧米の著名アーティストとのコラボレーションにも注目が集まった。近年は、北京でインスタレーションを中心とした個展も開催。その活動地域をさらに広げていた。

坂本龍一さんの主なアルバム・映画音楽

1978年 アルバム「千のナイフ」
 80年 アルバム「B―2ユニット」
 83年 映画「戦場のメリークリスマス」の音楽
 84年 アルバム「音楽図鑑」
 87年 映画「ラストエンペラー」の音楽
 89年 アルバム「ビューティ」
 93年 映画「リトル・ブッダ」の音楽
 95年 アルバム「スムーチー」
 98年 アルバム「BTTB」
2002年 映画「ファム・ファタール」の音楽
 04年 アルバム「キャズム」
 07年 映画「シルク」の音楽
 09年 アルバム「アウト・オブ・ノイズ」
 15年 映画「母と暮せば」の音楽
 17年 アルバム「async」
 21年 映画「MINAMATA―ミナマタ―」の音楽
 23年 アルバム「12」

吉永小百合さん「言葉が見つかりません」 坂本龍一さんを悼む声

吉永小百合さん「言葉が見つかりません」 坂本龍一さんを悼む声(朝日新聞 2023年4月3日 0時17分)

音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)のメンバーとして活動し、映画「ラストエンペラー」で米アカデミー賞作曲賞を受賞するなど世界的に活躍した音楽家の坂本龍一さんが71歳で死去した。交流のある関係者にも驚きが広がり、SNSなどを通じて坂本さんの死を悼んだ。

坂本さんが音楽監督を務めた「東北ユースオーケストラ」に朗読で参加するなど、親交のあった俳優の吉永小百合さんは2日、「今は言葉が見つかりません」とのコメントを出した。

歌手の加藤登紀子さんは自身のツイッターで「本当に素晴らしい音楽家であり、思想家であり、行動者だった坂本龍一さん。彼の亡き後も、彼の思いを受け継ぎ、音楽家として思考し、行動するひとりでありたいと願っています。心から哀悼を捧げ、共に生み出した音楽を大切に歌っていきます」と記した。

脚本家の北川悦吏子さんが脚本に加え自ら監督もした「新しい靴を買わなくちゃ」で、坂本さんは音楽監督を務めた。北川さんはツイッターにこうつづった。

「坂本さんも、(YMOのメンバーだった高橋)幸宏さんも、お会いして飲んだけれど、本当にふたりとも全くえらぶらないで気さくで、笑って、そして、天才なのだ。戦場のメリークリスマスで、YMOなんだ。バグる。そして、もう、いない。涙。私は、その音楽と、その人自身に、めぐり逢えて幸運でした。お疲れ様でした。天国でゆっくり」

ラジオパーソナリティーのジョン・カビラさんは「CBS/SONY、J―WAVEで大変お世話になりました。世界を驚かせた創造性溢(あふ)れる刺激に感謝しきれません。Please rest in peace―a true visionary.」とツイッターに投稿した。

ロックバンド「サカナクション」の山口一郎さんは自身のツイッターに「悲しいです。ご冥福をお祈り致します」とつづった。

坂本龍一さん悼む声、国内外から…ビートたけしさん「仲間がみんないなくなってしまいました」

坂本龍一さん悼む声、国内外から…ビートたけしさん「仲間がみんないなくなってしまいました」(読売新聞 2023/04/03 11:46)

世界的に活躍した音楽家、坂本龍一さんが3月28日に死去したことが明らかになったことを受け、国内外に悲しみの声が広がった。

ビートたけしさん(76)は、「『戦場のメリークリスマス』の大島渚監督が亡くなってデビッド・ボウイが亡くなって、坂本龍一さんが亡くなって仲間がみんないなくなってしまいました」とのコメントを出した。平和を願う活動や被災地支援を通じて親交のあった女優の吉永小百合さん(78)も「今は言葉が見つかりません」とコメントを発表した。

米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は「ジャンルを超え様々な音楽家と共同制作し、アカデミー賞やグラミー賞、2度のゴールデン・グローブ賞を受賞した」とたたえた。長年住んでいたニューヨークで、行きつけだったレストランのBGMを自ら選曲したエピソードを紹介し、「日常生活でも音へのこだわりを追求していた」と報じた。

英BBC放送はウェブサイトで「日本の電子音楽マエストロ死去」と見出しを掲げた。映画「戦場のメリークリスマス」で英出身のデビッド・ボウイさんと共演した経歴など、英国とのつながりに焦点を当てた。

テクノ人気が根強いドイツのメディアは、2018年にベルリン国際映画祭の審査員を務めた坂本さんの功績を速報。DPA通信は1970~80年代に「テクノの王様」とみなされていたと指摘した。韓国グループ「BTS」メンバーの SUGA(シュガ)さんは、自身のSNSに「先生の遠い旅が安らかでありますようにお祈りします」と投稿した。

坂本龍一さん「福島のおじいちゃん、おばあちゃんが入っていけるデモを」 庶民のサカモト 神宮外苑再開発にも反対 

坂本龍一さん「福島のおじいちゃん、おばあちゃんが入っていけるデモを」 庶民のサカモト 神宮外苑再開発にも反対(東京新聞 2023年4月2日 23時22分)

71歳で死去した坂本龍一さんは2013年12月、東京・内幸町にある東京新聞(中日新聞東京本社)に来訪し、本紙記者と熱い討論を交わした。東日本大震災以降、本紙は原発報道で支持を集めたが、「原発と報道に対する考えをさらに深めたい」と依頼すると坂本さんは快く応じ、時間を割いてくれたのだった。

坂本さんは原発や政治に話が及ぶと「福島のおじいちゃん、おばあちゃんが入っていけるようなデモの形を考えないと」「避難している人たちがまだたくさんいる。その人たちをほっといて、なぜ東京で五輪をするのか」。その言葉は震災と原発事故で被災した人々への思いに満ちていた。

01年9月11日の米中枢同時テロをニューヨークで、11年3月11日の東日本大震災を東京で経験したといい「9・11では米国が帝国主義、覇権主義の国といわれることを、3・11では日本は本当に民主主義の国なのかと、考えさせられました」とも語った。

震災3年後の14年3月、坂本さんは、原発事故による帰還困難区域として全住民の避難が続いていた福島県双葉町を訪問。「戦場が、そのまま残されたかのよう」「原発を推進してきた人、推進しようとしている人に被災地の現実を見てもらいたい」と、変わり果てた町を目にした衝撃を本紙に語った。

同年7月に中咽頭がんが見つかり、年内の活動休止を発表。その年の11月、本紙記者との討論をまとめた本「坂本龍一×東京新聞 脱原発とメディアを考える」が発売され、コメントを求めると、マネジャーからメールで「申し訳ないですが、難しいようです」と返信が届いた。

その後寛解したが、今度は直腸がんに。闘病中の23年3月、福島の原発事故から12年の思いを本紙に寄稿。政府の原発回帰の方針に「なぜこの国を運営する人たちはこれほどまでに原発に固執するのだろう」と批判した。

同じころ、東京の明治神宮外苑地区の再開発問題に対する書面インタビューにも応じ「生まれ育った東京が美しく魅力的な場所であってほしい」と語った。

インタビューは、美しい樹木や景観、環境を壊す開発のあり方に反対し、東京都知事らに陳情の手紙を送ったことを取材してほしいという坂本さん側からの申し入れで実現。故郷・日本の人々への思いを託されたかのようだった。