鈴木宣弘 東京大学大学院農学生命科学研究科教授
輸入農産物の安全性は大丈夫なのだろうか。東京大学大学院教授の鈴木宣弘さんは「『日本の食は安全』というのは神話だ。アメリカから輸入を迫られれば、危険性が疑われる食品であっても、政府は輸入に踏み切ってきた。ただ、そんな外交を続けていては、国民生活が持たないだろう」という――。(第2回)
※本稿は、鈴木宣弘『世界で最初に飢えるのは日本』(講談社+α新書)の一部を再編集したものです。
アメリカ産の「生のジャガイモ」は輸入禁止だった
アメリカではジャガイモシストセンチュウという害虫が発生している。そのため、アメリカ産の生鮮ジャガイモは、日本への輸入が禁止されていた。
しかし、例によって日本政府は、アメリカからの「要請」に応じることになる。
2006年、ポテトチップ加工用に限定し、かつ、輸入期間を2月~7月に限定して、アメリカ産の生鮮ジャガイモ輸入を認めた。
これは限定的な輸入だったが、2020年2月に農水省は、米国産のポテトチップ加工用生鮮ジャガイモの「通年輸入」を認める規制緩和を行う。
さらに、アメリカの要求を受けて、ポテトチップ加工用という制限を外し、生食用ジャガイモの全面輸入解禁に向けて、協議を始めることにまで合意している。
もちろん、「協議を始める」は「近々解禁する」と同義であろう。
防カビ剤を食品添加物に指定した理由
加えて、ジャガイモ用の農薬についても、規制緩和が行われた。
2020年6月、厚労省は、ポストハーベスト農薬として、動物実験で発がん性や神経毒性が指摘されている殺菌剤ジフェノコナゾールを、生鮮ジャガイモの防カビ剤として食品添加物に指定した。
あわせてジフェノコナゾールの残留基準値を改定し、これまでの0.2ppmを4ppmと、20倍に緩和している。
日本では収穫後の農薬散布はできない。だが、アメリカからジャガイモを輸送するために、防カビ剤の散布が必要になる。
それゆえ、ジフェノコナゾールを食品添加物に指定することで、ジャガイモへの収穫後の農薬散布を可能にした、ということだ。
日本人が知らない「日米レモン戦争」
これと同様のことが、過去にも行われたことがある。
いわゆる「日米レモン戦争」である。
1970年代、アメリカから輸入していたレモンなどの柑橘かんきつ類から、オルトフェニルフェノールとかチアベンダゾールといった防カビ剤が検出された。
これらは、膀胱ぼうこうがんや腎障害の原因になるとして、日本では禁止されていた。そのため、これが検出されたアメリカ産レモンを海洋投棄し、アメリカに対して使用禁止を求めたのだ。
だがアメリカはこれに激怒し、日本からの自動車輸入を制限すると脅した。
日本政府は慌あわててレモンへの防カビ剤は食品添加物であるとして、輸入を認めることにしたのである。
「農薬として使用が禁止されている薬物が、収穫後に使用すれば食品添加物であるため使用できる」というのは、あまりにウルトラCであり、苦しい言い訳に過ぎない。
ジャガイモへの防カビ剤を食品添加物に指定したのは、これと同じことに過ぎない。
「遺伝子組み換えジャガイモ」がポテトチップスに?
さらに、もう一つの懸念事項がある。
食品安全委員会は、2017年に、米国シンプロット社が開発した遺伝子組み換えジャガイモを承認した。
この遺伝子組み換えジャガイモは、RNA干渉法という遺伝子操作で作られたものだ。
通常、ジャガイモを高温で加熱調理すると、発がん性物質であるアクリルアミドが生じるが、遺伝子組み換えジャガイモは、このアクリルアミドの発生を低減するほか、打ち身で起きる黒ずみも低減されるという。
また、食品安全委員会は、2019年にも新たな品種の遺伝子組み換えジャガイモを承認している。
2021年には、低アクリルアミドとともに、疫病えきびょう抵抗性を付加した2品種が安全と評価された。
ちなみにRNA干渉法とは、RNAを用いて、遺伝子の働きを止める技術である。
ただ、遺伝子操作の際に、目的とする遺伝子の働きを止める以外に、別の遺伝子の働きや別の生物の遺伝子の働きを止めてしまう可能性があり、さまざまな生物に劣化などの問題を引き起こしかねない、という指摘がある。
アメリカでは、すでにシンプロット社が開発した遺伝子組み換えジャガイモが広く流通している。
このシンプロット社は、米国マクドナルドのジャガイモ納入業者でもある。
米国マクドナルドは消費者の遺伝子組み換えジャガイモへの拒否感を背景に、この遺伝子組み換えジャガイモを取り扱わないと表明している。
しかし、この遺伝子組み換えジャガイモが、日本のポテトチップスや、ファーストフード店などのフライドポテト等に使われる可能性が指摘されている。
遺伝子組み換えジャガイモ」知らずに食べている可能性も
外食産業でこの遺伝子組み換えジャガイモが利用されていても、日本では、遺伝子組み換え表示の義務がない。
従って、消費者は遺伝子組み換えジャガイモであると気づかないまま、食べてしまっている可能性がある。外食では遺伝子組み換え食品を選択的に避けることができないのだ。
現状、国内メーカーや外食チェーンで採用する動きはない。
「遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン」が公開質問状を送ったところ、ポテトチップスメーカーや多くの大手外食チェーンは、遺伝子組み換えジャガイモを使うつもりはないと回答している。
とはいえ、今後どこかで使われる可能性は当然あるだろう。
もちろん、アメリカで加工されたフライドポテトは日本に入ってきている。
2021年4月から、日米貿易協定に基づき、冷凍フライドポテトの関税撤廃が行われた。こうした加工食品の原料として、遺伝子組み換えジャガイモが使われている可能性がある。
ジャガイモ問題で頑張った官僚は左遷
このように、ジャガイモの安全性は、量と質の両面で崩されてきている。
日本の食品輸入規制の緩和は随時進められていることに注意しなくてはならない。
ジャガイモについては、これまで長いあいだ、輸入を迫るアメリカとの間で、攻防が繰り広げられてきた。
筆者としては、むしろ、ここまでよく踏みとどまってきた、という感すらある。
ある農水省OBからは「歴代の植物防疫ぼうえき課長の中で、ジャガイモ問題で頑張った方が、左遷させんされたのを見てきた」という話を聞いたことがある。
ジャガイモが持ちこたえられたのは、我が身を犠牲ぎせいにしても、食の安全を守ろうとした人たちのおかげでもある。
しかし、残念ながら、米国の要求リストを拒否するという選択肢は、日本には残されていないかのようだ。
要求リストの中から、今年応じるものを選ぶだけ、いわばアメリカに差し出す順番を考えるだけで、ズルズルなし崩し的に要求に応じる外交が続けられている。
そんな外交を続けていては、国民生活が持たないだろう。
鈴木宣弘(すずき・のぶひろ) 東京大学大学院農学生命科学研究科教授
1958年三重県生まれ。82年東京大学農学部卒業。農林水産省、九州大学大学院教授を経て2006年より現職。FTA 産官学共同研究会委員、食料・農業・農村政策審議会委員、財務省関税・外国為替等審議会委員、経済産業省産業構造審議会委員、コーネル大学客員教授などを歴任。おもな著書に『農業消滅』(平凡社新書)、『食の戦争』(文春新書)、『悪夢の食卓』(KADOKAWA)、『農業経済学 第5版』(共著、岩波書店)などがある。