エリザベス女王死去 旧植民地ルーツ、在日インド人が思うこと

エリザベス女王死去 旧植民地ルーツ、在日インド人が思うこと 国際

エリザベス女王死去 旧植民地ルーツ、在日インド人が思うこと(毎日新聞 2022/10/31 10:00 最終更新 10/31 10:14)

まもなく安倍晋三元首相の国葬を検証する与野党協議会が始まる。賛否が大きく割れた日本の国葬と異なり、英国のエリザベス女王が9月8日に死去した際、国葬について、日本のメディアは女王のその足跡をほぼ好意的に報じた。しかし、女王は、過酷な植民地支配という、大英帝国の負の歴史を背負う存在でもある。日本の報道に、旧植民地にルーツを持つ在日インド人の男性は何を思ったのか。各国のメディアは何を伝えたのか――。【大野友嘉子】

「略奪した宝石を喜んで身に着けた」

毎日新聞は「献身、世界が称賛」(9月9日夕刊)の見出しで、フランスのマクロン大統領など各国の首脳のメッセージを紹介。NHKは、同12日放送の「クローズアップ現代」で「エリザベス女王 世界が愛した存在」と題し、「秘蔵映像」とともに生涯を振り返った。

一方、英語圏のメディアでは、エリザベス女王の功績を振り返ると同時に、手厳しい評価も並んだ。大英帝国の植民地支配は、東南アジア、アフリカ諸国、インド、アメリカなど広範囲に及ぶ。

「彼女の時代を美化すべきではない」。エリザベス女王が亡くなった9月8日、米ニューヨーク・タイムズは、こう書かれたハーバード大学のマヤ・ジャサノフ教授のコラムを掲載した。ジャサノフ教授は、エリザベス女王の死は世界に悲しみをもたらすだろうと前置きした上で、脱植民地化を巡る血まみれの歴史を曖昧にした存在だったと批判した。

米ワシントン・ポストでも、ナイジェリアにルーツがあるコラムニスト、カレン・アティア氏がコラムの中で率直に語っている。

「北半球にある先進国では、女王は第二次世界大戦後の世界における礼儀正しさと安定の象徴だろう。しかし、英国が何世紀にもわたって侵略し、分割し、植民地化した地域の人々にとっては、控えめに言っても、96歳のおばあさんは、そして残りの王室の人々は、複雑な感情を呼び起こす存在だ」

アティア氏は1952年から63年にかけて、英国軍がケニアのマウマウ反乱を鎮圧し、数十万人のケニア人を強制収容所に送り込んだことを指摘。52年は、エリザベス女王が即位した年だ。

「王党派は、エリザベス女王が立憲的かつ象徴的な君主であり、治世中の悪い出来事に対してほとんど責任を負っていないと主張するでしょう。しかし、象徴は軽視すべきものではない。エリザベス女王は英国の権力と富を代表する役割を喜んで引き受けた。彼女は、以前の植民地から略奪した宝石を喜んで身に着けていた」と追及した。

英ガーディアンにも同様の記事が載った。カナダ・コンコーディア大の准教授が「コモンウェルス(英連邦):弁済し、謝罪せよ」と題したコラムの中で、「かつて植民地だった国の人々にとって、君主制は中立的な制度ではない」と指摘。「英国が植民地の犠牲の上に利益を得たことと、奴隷貿易において積極的な役割を果たしたことは、(大英)帝国の伝統を体現している」(9月13日掲載)とつづった。

独立後のインドの貧困に向き合ったのか?

英国の旧植民地の一つ、インドでは現在、英王室の冠に飾られているダイヤモンド「コ・イ・ヌール」の返還を求める声がネット上で再燃している。コ・イ・ヌールは、英国領になる前のインドのイスラム王朝であるムガル帝国や、インド北西部にあったシク王国などが所有していたが、19世紀にインド支配を強めた英国の手に渡った。

インドは1947年に英国から独立しており、エリザベス女王の治世時には既に植民地ではなかった。それでも、米タイム誌によると、エリザベス女王の死去を受け、インド圏のツイッターで「#Kohinoor(コ・イ・ヌール)」がトレンド入りした。返還を求める署名活動も行われ、大英帝国、王室に対する根強い反発が見て取れる。

エリザベス女王の功労ばかりに目がいきがちな日本社会が見落としている視点があるのではないか。「よぎさん」の愛称で親しまれるインド出身で、全日本インド人協会長、元江戸川区議のプラニク・ヨゲンドラさん(45)を訪ねた。

エリザベス女王の国葬の翌日の9月20日。よぎさんは「確かに、ニュースの片面しか見ていないところはありますね」と言い、取材に応じた。

よぎさんは、英国領インド帝国時代の暗部の一つとして、第二次世界大戦中の1943~44年にベンガル地方で起きた大飢饉ベンガル飢饉」を挙げる。

ベンガル飢饉を巡っては、当時のチャーチル首相がベンガル地方の収穫物を戦地や他国に回すことで、大規模の飢饉を起こし、約300万人を餓死に追いやったことが指摘されている。インド人作家のマドゥシュリー・ムカージー氏は、著書「Churchill’s Secret War(チャーチルの秘密の戦争)」の中で、英国内閣がチャーチル首相に対し、インドからの過度な食糧輸出により、ベンガルで飢餓が発生する可能性を何度も警告していたことをエビデンスに基づいて主張している。

ベンガル飢饉が起きた当時、エリザベス女王は10代後半だった。

「女王に即位する前の出来事でしたが、物事を理解していたはずです」とよぎさん。その上で、「女王になってから何でもかんでも変えられないことは分かりますが」と、立憲君主制の中の王族という立場に理解を示しつつ、疑問を投げかける。

「影響力のある人物として、明確なメッセージを出すことができたのではないかと思います。しかし、女王は(即位後に)ベンガルで生き残った人たちのために手を差し伸べたでしょうか。独立後のインドが抱える貧困やスラムの問題に対して、資金援助を申し出たでしょうか。謝らなくても、『私(英国)たちのせいで旧植民地の国々は貧乏になった』という視点を持つべきでした」

ただ、植民地時代の出来事について、エリザベス女王が一切意思表示をしなかったわけではない。1997年にはインド北部アムリツァルで1919年に起きた「アムリツァルの虐殺」の現場を訪れ、花輪を手向けている。よぎさんは、「申し訳ないという気持ちを表したことはあります。だけど(支援などの)行動に移すことはありませんでした。独立後のインドへの復興支援もわずかでした」と批判する。

植民地時代に何が起きたのか

元国連事務次長で、インド下院議員のシャシ・タルール氏が2015年に英オックスフォード大で行った有名なスピーチがある。

英国が旧植民地に対して賠償すべきかどうかというテーマを巡り、参加者たちが賛成派と反対派の立場から議論を交わした時のものだ。

タルール氏はスピーチの中で、「英国がインドに上陸したとき、世界経済に占めるインドのシェアは23%だったが、英国が去る(インド独立の)頃には4%に縮小していた」と指摘。世界的に有名だったインドの手織り職人から織機を、インドから原材料を奪い、工場で生地を大量生産してから再びインドに売りつけ、インドの織物産業を壊したと糾弾した。

さらに、インド人に課税してつくられた鉄道網は、英国との貿易のために用いられたなどと事例を挙げ、大英帝国を「loot(泥棒)」と非難した。英国が豊かになった背景にはインドでの略奪があったと主張し、こうした過去の過ちを認め、償う姿勢を示すべきだと訴えたのだ。

よぎさんは、このタルール氏のスピーチを念頭に、「本当にリペレーション(賠償)を求めようとするなら、歴史を正しく理解しなければなりません」と話す。英国からの独立後、タルール氏が挙げたような事柄が、インドの歴史教育の中から抜け落ちていたという。

「インドが独立した時、英国は学校で使う教科書の内容をコントロールしました。戦後日本でGHQ(連合国軍総司令部)がしたように、です。植民地時代に起きた英国による大量虐殺はさすがに教科書に載っていますが、手織り職人が搾取されたことはほとんど教わりませんでした。つまり、インドが経済的に貧しくなった根本的な原因があやふやになったのです。ムガル帝国の衰退については詳しく教えるのですが……。今でも偏った内容になっている部分が残っています」。そう主張し、インドでも若い世代をはじめとし、自国の経済が破壊された背景を詳しく知らないことを懸念する。

よぎさんは「正直に言うと、(エリザベス女王の)前の世代がやったことを女王が謝罪する必要はないと思います」と明かす。残念なのは生前、大英帝国の繁栄の背景に何があったのかを掘り起こし、そうした歴史を認めるメッセージを明確に出さなかったことだという。

「何があったのか分からないままでは、お互いが前を向くことができないのではないでしょうか」