なぜ新聞テレビは小泉進次郎氏の「本命」報道を量産するのか…識者が明かす「いまの総裁選報道は競馬の予想と同じ」「政治部記者は永田町の住民」

総裁選の“台風の目”となっている小泉進次郎氏 政治・経済

なぜ新聞テレビは小泉進次郎氏の「本命」報道を量産するのか…識者が明かす「いまの総裁選報道は競馬の予想と同じ」「政治部記者は永田町の住民」(デイリー新潮 2024年08月30日)

自民党総裁選による“メディアジャック”が激しくなる一方だ。8月26日にはデジタル相の河野太郎氏(61)が出馬を正式表明、多くのメディアが争うように詳報した。このようにして大量に垂れ流される総裁選の関連報道で、かなりの記事が元環境相の小泉進次郎氏(43)を本命視している。これに首を傾げる人も多いのではないだろうか。

大本命・小泉進次郎氏のネット評価は極めて低い

何しろ“本命”という表現では飽き足らないのか“大本命”と書いたメディアさえある。確かに世論調査で小泉氏の人気はトップクラスだ。日本経済新聞とテレビ東京が21日と22日に行った調査では23%でトップ。産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が24日と25日に行った調査でも22・4%でトップだった。

だが、ネット上で小泉氏の評価は極めて低い。Xからいくつかをご紹介する。

《こんな人が総裁になったら日本は終わります。グローバリストのお坊っちゃまです》
《中身が無くて何が言いたいのか、サッパリわからないんですよね》
《知識も行動力も無く、常に薄っぺら、意味不明な発言であっても、自民党の国会議員、総裁としては的確なのか?》

──という具合だ。(註:改行や句読点などを補った)

朝日、読売、毎日、産経、NHK、そして民放キー局……大手メディアの総裁選に関する報道を見ていると、普通の国民が考えていること、感じていることとの乖離を感じる。その中で最も大きな違和感を覚えるのが、小泉氏の本命報道なのだろう。

政治アナリストの伊藤惇夫氏は「基本的に大手新聞社とテレビ局の政治部記者は、永田町の住民と言っていい存在なのです」と言う。

政治部記者は大騒ぎ

「永田町の住民ですから、政治部記者は永田町の内部情報だけしか取材しません。『政治家の誰が誰に何を言ったのか』というニュースを追いかけます。この時点で世間一般の物の見方とはズレが生じても当然でしょう。さらに今回の総裁選は複数のメディアが『前首相の菅義偉氏が小泉氏を支援へ』と報じたことも、小泉さんが本命という根拠の一つになっているのでしょう。また自民党の若手、中堅議員を取材すれば、『自分たちが選挙に勝つためには、見栄えのいい小泉さんが総理総裁となって総選挙を戦うのが最も都合がいい』という話を、いくらでもしてくれるはずです」(同・伊藤氏)

取材結果を元に政治部は記事を作成し、それを読んだ有権者の関心は小泉氏に向く。すると別のメディアが世論調査を実施し、「自民党総裁にふさわしい政治家」を質問する。結果、多くの人は小泉氏の名前を挙げてしまう──。

「これでは、一種のマッチポンプと批判されても仕方ないでしょう。新聞・テレビの政治部が、どれほど永田町という閉ざされた世界から情報を発信しているのかを如実に示していると思います。そして政治部の記者は“選挙と人事が大好き”ということも大きな影響を与えています。自民党総裁選はその両方が密接に絡みあいますから、彼らにとっては理想的な取材対象なのです。記者は総裁選で大騒ぎする傾向が強く、どうしても報道は過熱してしまいます」(同・伊藤氏)

競馬の予想と変わらない記事

自民党総裁選に大きなニューズバリューが存在するのは事実だ。現状で総裁に選ばれた国会議員は、ほぼ間違いなく首相となる。日本は首相公選制ではないため、国民の関心が総裁選に向くのは間違ったことではない。

「だからこそ、今の報道では競馬の予想と変わりありません。誰が本命馬、誰が対抗馬、と各社が勝手に指摘しているだけです。実際のところは投票日の9月27日にならなければ、本当に小泉さんが本命なのか分からないはずなのです。例えば自民党の青年局は総裁選の選挙管理委員会に公開討論会の開催を求めました。小泉さんは初めての出馬ですから、これまで一度も討論会に出席していません。もし討論会が実現すれば、全く違う立候補者に国民の注目が集まる可能性もあるのです」(同・伊藤氏)

政治部の報道に関する問題点は他にもある。今の日本では内政も外交も問題が山積している。果たして問題を解決できる候補者は誰なのか──こうした視点から総裁選を報じる大手メディアは皆無と言っていい。

「私は不思議で仕方ありませんが、『総裁選の候補者のうち、誰が日本にふさわしいリーダーか』、『今の日本に求められるリーダー像はどのようなものか』という視点での報道は全くありません。一方、Xでは『誰が日本のリーダーにふさわしいか』という議論が盛んです。私はネット上での政治的な議論を手放しでは評価していません。功罪どちらも大きいと考えていますが、新聞やテレビでは欠けた視点での見解がXに掲載されているのは事実だと思います」(同・伊藤氏)

ネットによる新たな視座

自民党総裁選を新聞やテレビがどう報じ、どこに問題があるのかと詳細に見ていくと、「いつから政治部の報道は、これほど劣化してしまったのか」という疑問を持ってしまう。だが伊藤氏によると、その疑問は事実に立脚したものではないという。

「昭和の昔から、日本の政治メディアは同じような報道を繰り返してきました。例えば1970年代から80年代まで続いた田中角栄さんと福田赳夫さんの“角福戦争”は、それぞれの番記者にとっても文字通りの戦争でした。永田町の情報だけで『角栄か福田か』という多くの記事が書かれ、なおかつ田中さんが勝利を収めると、大手新聞社は福田派の担当記者を一斉に“パージ”したのです。このように総裁選における過熱報道は日本の政治メディアにおける伝統的な病根と言っていいわけですが、それにしても私は『投票日までまだ一か月もあるのに、今から大騒ぎしてどうする』と呆れてしまいます」(同・伊藤氏)

確かに昭和の時代、国民に強い影響力を行使できるメディアとなると新聞とテレビが図抜けていた。

「今と同じような報道姿勢で自民党の総裁選を伝えても、当時の国民で違和感を覚える人は少なかったでしょう。ところがインターネットの技術が発達するにつれ、ネット上での言論も影響力を増していきました。政治部の報道を客観視できる新たな視点を国民が獲得したことで、『大手メディアの報道は自分たちの感覚と乖離を感じる』という人が増えたのではないでしょうか」(同・伊藤氏)

裏金事件に“加担”するマスコミ

政治部が記事で小泉氏を本命と決めつけているのも問題だが、それとは比較にならないほどの“ミスリード”に大手メディアは加担しているという。

「それは裏金事件についてのミスリードです。自民党は総裁選の報道を過熱させることで、少しでも国民が裏金のことを忘れるように画策しています。立候補の記者会見で裏金に関する質問は行われますし、それを報じる記事も配信されてはいます。とはいえ、全体の大きな流れで言えば、自民党の『裏金事件を忘れさせたい』という術中に新聞もテレビも嵌まってしまっていると批判せざるを得ません」(同・伊藤氏)

デイリー新潮編集部