誰も言わなかった不都合な真実…日本の自然災害は「政治の人災」である《著名ジャーナリスト、怒りの警告》

シン・防災論―「政治の人災」を繰り返さないための完全マニュアル 社会

誰も言わなかった不都合な真実…日本の自然災害は「政治の人災」である《著名ジャーナリスト、怒りの警告》(現代ビジネス 2024.06.09)

鈴木 哲夫 政治ジャーナリスト

2024年元日に発生した能登半島地震は私たちの記憶に生々しく、現地の被害は依然として継続している。地震のみならず、台風、火山噴火、酷暑など自然災害の深刻化は焦眉の課題のはずだが、いまや政府対応の不十分さが「政治の人災」として被災地を襲っている感すらある。

災害とそれへの対応をライフワークとして取材し続けてきたジャーナリストの鈴木哲夫氏が、このほど『シン・防災論 「政治の人災」を繰り返さないための完全マニュアル』(発売・日刊現代/発行・講談社)を刊行した。政府も国民もいま認識しておくべき「災害激化時代の防災論」とは何だろうか?

防災というテーマはジャーナリズムの使命

33年前の1991年6月。「自然災害と防災」が私のライフワークであり、使命とさえ思うようになったきっかけがある。

長崎県雲仙普賢岳で発生した火砕流。山の斜面を高速で一気に流れ、町を飲み込んだ。そこにいた消防団員やマスコミの取材陣などが行方不明になった。翌朝、当時テレビ西日本の報道記者だった私は、福岡からヘリで現地に飛んだ。明け方近くに炎も随分おさまったが、まだ一部では火の手が上がり、一面を白く降り積もった火山灰が覆っていた。陸上からはまだ到底現場には入れない。

そんなとき、眼下の一角に、溶岩で潰された車と、その横に灰を被って倒れている遺体を見つけた。

あのショックは永遠に忘れることはない。遺体を目の前にして、無力な自分を思い知らされ、また、それまで意気がっていた私の報道も、自然災害にあまりに無知であり無力であると突きつけられた。この仕事を辞めようとも思った。数週間ほど悩み続け、私が出した結論は、「防災というテーマはジャーナリズムの使命だ。平時にあっても常に追い続ける」と自分に課すことだった。

私はその後、阪神淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震……。地震だけではない、豪雨、台風、火山噴火、酷暑など、自然災害とそれへの対応を取材し続けてきた。近年、自然災害は人知を超え、常軌を逸するレベルになりつつある。

どれほどの命が奪われたか。被災者にはなんの罪もない。しかし、政府の対応は、時間も予算も大がかりで法改正にも時間がかかるとあって、過去の教訓をその後に生かすことをせず、根本的な防災対策に取り組んでこなかった。挙げ句には「未曾有の災害だった」などとその度に言い訳をして逃げてきた。度重なる自然災害の犠牲や被害は「政治の人災」と言えるのではないか。

法律や既成の「平等」が壁に

今年、元日には能登半島地震が発生した。官邸の初動は明らかに遅かった。私はこの度刊行した『シン・防災論―「政治の人災」を繰り返さないための完全マニュアル』で徹底検証したのだが、対策本部を設置する経緯などを見てみれば、それは明らかだ。初動の遅れを挽回するかのように、岸田政権は中央指導で「やれることは何でもやる」と息巻いたが、「中央で旗を振る」こと自体、じつは過去の教訓を生かしていない。重要なのは、現場主義に徹することなのだ。

阪神淡路大震災では、右往左往していた官邸に、危機管理のエキスパートたる後藤田正晴元副首相が押しかけ、自社さ政権の村山富市首相に進言し、現地にベテラン政治家を派遣することになる。村山首相が「すべて現地で判断してくれ。現地が欲しいものは最優先で何でも叶える。法律違反というなら法律を変える。自分が責任をすべて取る」と現場主義に徹したからこそ、復旧へ動き出した。それをなぜ今回も実践しないのか。

また能登半島地震で、岸田政権は省庁の官僚らを送り込み、首相は「現地にミニ霞が関を作る」と豪語した。これも間違っている。

確かに実務は官僚がやるのだが、官僚や公務員は法律を犯したり、既成の平等概念を壊してまで物事を進められない。だが、災害時に法律や既成の平等は壁になるのだ。東日本大震災では法律によって使いたいところに公金を使えなかった。また、自治体は、避難所で食料や毛布の数が被災者の人数と同じに揃うまで配れなかった。寒さを少しでもしのぎ腹を満たせばいいものを、特定の場所だけ配ると不平等になるというのが理由だった。

つまり官僚を送りこんでミニ霞が関を作ってもしょうがないのだ。「一番困っている人たちを優先しろ。既成の平等などに縛られるな」と政治決断できる政治家、いわばもう一つの首相、もう一つの政府を現地に置かなければならないのだ。

このように過去の自然災害の教訓を生かせず、今年の能登半島地震でも繰り返した失政が多々あった。

軽々しく「寄り添う」と口にする行政

政治・行政が常套句のように使う「寄り添う」という言葉がある。だが彼らは、果たして本当の意味が分かっているのだろうか。

13年前の東日本大震災。復興庁によると、今年3月時点に至っても、避難者は何と22900人もいる。全国に散っている。福島や宮城の太平洋側の故郷に戻りたいが原発問題や町の産業や経済が不安でいまなお将来を見通せない。いずれ帰るのか、いやこのまま避難地を永住の地にするのか、いまも選択を自らに課している人たちがたくさんいる。

「息子が来年高校受験だが福島の高校を受験させたい。おととし避難指示が解除されたが、やはり心配で戻っても大丈夫なのか。相当迷っている」(福島県双葉町に居住していた建築業者、現在・新潟県在住)

「道路はきれいになったが元の町並みはなく、もはや知らない場所。人口も減ったから経済はどうなのか。子供たちは独立して妻と二人。帰りたいが、果たして食べて行けるのか」(宮城県石巻市に居住していた和菓子店主、現在・茨城県在住)

被災者はあの日を忘れない。心の中でも、暮らしにおいても、時は止まっているとも言えるのだ。「寄り添う」というのは、そういう被災者が自らの意思で前を向いて進み出すそのときまで、インフラや経済や仕事やあらゆる復興政策をずっと継続していくことではないのか。軽々しく「寄り添う」などと口にする政治・行政はその覚悟を持っているのか。

私は今度の新刊で、過去の自然災害の現場で起きていた政治・行政の舞台裏、被災地の数々のストーリー、後藤田正晴、石原信雄、達増拓也、小野寺五典、石破茂ら、政治家や官僚、自治体の首長などの当事者の体験と言葉、さらには津波から命からがら逃れた芸人のサンドウィッチマンの故郷・東北での活動など、これまで防災に関わって取材してきたテーマを集大成して問題提起させていただいた。

読者の皆さん、政治行政をはじめとする多くの方々に活用していただけると幸いである。

鈴木哲夫著
『シン・防災論 「政治の人災」を繰り返さないための完全マニュアル』
(発売・日刊現代/発行・講談社) 1870円(税別)