ユダヤとパレスチナの「3000年」続く因縁…憎しみが憎しみを生む悪循環はいつ始まったのか(東京新聞 2023年10月29日 06時00分)
イスラム組織ハマスが7日にイスラエルへの攻撃を始め、イスラエル軍が大規模な空爆で報復を続けて28日で3週間になった。ハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザでは子ども3000人以上を含む大勢の犠牲者が出ているが、イスラエル側は本格的な地上侵攻の構えを崩さない。終わりの見えない泥沼の争いには長い歴史的な因縁がある。(外報部)
ダビデ王の建国
旧約聖書は神がエルサレムの地をユダヤ人に与え、紀元前1000年ごろにユダヤのダビデ王が王国を築いたと記す。
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流浪の運命
紀元70年、ローマ軍にエルサレムが破壊され、2世紀前半、ユダヤ人はローマ帝国に征服された聖地エルサレムから追い出された。ディアスポラ(国外離散)の始まりだ。
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反ユダヤ主義の迫害
その後パレスチナの地はイスラム勢力や十字軍に制服される。一方、欧州ではユダヤ人が迫害を受けた。
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故郷へ帰ろう
19世紀にシオンの丘(エルサレム)にユダヤ人国家建設を目指すシオニズムが本格化し、ユダヤ人の入植も増えた。
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英国の三枚舌外交
1914年に第1次大戦が始まると、オスマン帝国と戦った英国は、各勢力の協力を取り付けるため「三枚舌外交」を展開。フセイン・マクマホン協定(アラブ人に国家独立を約束)▽サイクス・ピコ協定(フランス・ロシアとオスマン帝国分割に合意)▽バルフォア宣言(ユダヤ人に国家建設を約束)という「空手形」を切り、現在まで続く対立の火種をつくった。大戦後、パレスチナは英国の委任統治領となり、ユダヤ人の移住が進む。
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ホロコースト
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)で約600万人のユダヤ人が殺害された。惨劇を目の当たりにした欧米諸国は戦後、シオニズム運動への支持に傾く。
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国連のパレスチナ分割決議
国連総会は1947年、パレスチナをユダヤとアラブの2国家に分け、エルサレムを国際管理下に置く決議を採択した。
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イスラエル建国
国連のパレスチナ分割決議を受け、1948年にユダヤ人の国イスラエルが建国を宣言した。だが、建国は新たな混乱の始まりでもあった。70万人以上のパレスチナ人(パレスチナに住むアラブ人)が難民となった。イスラエルの存在を認めないアラブ諸国は建国翌日に攻撃(第1次中東戦争)を始めたが、返り討ちに遭う。
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パレスチナ難民
1956年から1973年まで第2~4次の中東戦争を経て、イスラエルはガザ、東エルサレム、ヨルダン川西岸などに占領地を広げ、大量のパレスチナ難民が発生した。
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第1次インティファーダ
1987年、占領に不満を募らせたパレスチナ人がインティファーダ(反イスラエル闘争)を始めた。石を投げるパレスチナ人に対し、イスラエル軍は近代兵器で抑え込んだ。この闘争からイスラム組織ハマスが生まれ、福祉事業などを通じてガザ住民に支持を広げた。
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オスロ合意
和平の機運が最も高まったのは1993年だ。パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長(当時)とイスラエルのラビン首相(同)がオスロ合意に調印。互いの存在を認め、将来的にパレスチナ国家とイスラエルが共存を目指す「2国家解決」だ。インティファーダは収束し、パレスチナ国家樹立への道筋ができた。
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第2次インティファーダ
しかし、双方とも合意に反発する声は根強く、難民帰還などの交渉は停滞。ハマスなどの自爆攻撃とイスラエルの報復という負の連鎖は止まらなかった。2000年にイスラエルの右派政党党首だったシャロン氏(後に首相)がイスラム教とユダヤ教双方の聖地「神殿の丘(アルアクサ・モスク)」を訪問すると、パレスチナ人の不満は第2次インティファーダとして噴き出した。
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衝突続く
オスロ合意の枠組みは事実上崩壊。ハマスが2007年にガザを武力制圧すると、イスラエル軍は壁を建設して封鎖し、ガザは「天井のない監獄」と呼ばれるようになった。イスラエルはヨルダン川西岸の占領地でもユダヤ人入植地を増やし続け、国際社会の非難を無視。イスラエルとハマスは数年おきに大規模衝突を繰り返した。
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ハマス大規模攻撃
憎悪が憎悪を生む悪循環を断ち切ることができず、2023年10月7日、ハマスが大規模攻撃。イスラエルはガザを空爆し、双方の市民を含む犠牲者が増えている。
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