エリザベス女王が1975年に来日した際、昭和天皇の前で語ったこと 大先輩に人生相談?

エリザベス女王、訪日時の様子 国際

エリザベス女王が1975年に来日した際、昭和天皇の前で語ったこと 大先輩に人生相談?(デイリー新潮 2022年09月14日)

来日していたイギリスのエリザベス女王(享年96)が、昭和天皇(1901~1989)に“人生相談”を依頼──。驚くべき事実が、一人のジャーナリストによって発掘されていた。

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多くのメディアが「エリザベス女王」と報じているが、正式にはエリザベス2世、もしくは、エリザベス・アレクサンドラ・メアリー。日本時間の9月9日未明、滞在先であるスコットランドのバルモラル城で死去した。

AFP=時事の記事などによると、17世紀以降、最も在位期間が長かった君主はフランス国王のルイ14世(1638~1715)で、72年と110日という記録になっている。

在位期間が70年と127日だったエリザベス女王は第2位となった。ちなみに昭和天皇の在位期間は62年と14日で6位に入っている。

エリザベス女王が昭和天皇にアドバイスを求めたのは1975年、夫のフィリップ殿下(1921~2021)と共に日本を訪問した時のことだ。

5月7日、夫妻は羽田空港に到着。昭和天皇と香淳皇后(1903~2000)が迎えられ、その夜に宮中晩餐会が開かれた。

一体、エリザベス女王は昭和天皇にどのような相談をされたのか、まずはその内容を紹介しよう。

《「君主というのは難しいものですね。陛下はもう在位五九年(注・四九年の間違いと思われる)にもなられますが、私はまだ二三年ですわ」》

引用したのは『エンペラー・ファイル 天皇三代の情報戦争』(文藝春秋)からの一文。ジャーナリスト・徳本栄一郎氏の著書だ。

天皇と海外要人の会談となると、基本的には極秘扱いとなる。にもかかわらず、なぜ徳本氏は内容を知ることができたのか。

生々しい証言

左から昭和天皇、1人おいてエリザベス女王、香淳皇后、フィリップ殿下

2007年4月、徳本氏は東京・有楽町の日本外国特派員協会で、バーナード・クリッシャー氏(1931~2019)の知己を得た。

クリッシャー氏は、ニューズウィーク誌の東京支局長として、1975年に昭和天皇への単独インタビューを行ったことで知られる。

日本に駐在する外国人記者から「ミスター・ジャパン」と呼ばれたほど日本社会に精通し、数々のスクープ記事を報じてきた。中でもクリッシャー氏のインタビュー記事は「天皇、首相、文化人からヤクザまで」が登場したという逸話が残されている。

そのクリッシャー氏は外交官の真崎秀樹氏(1908~2001)に、89年から90年にかけて長期間のインタビューを行っていた。

真崎氏は昭和天皇の通訳を長年にわたって務めた。そして天皇が海外の要人と会談した際、詳細な内容を記した英文日記を残していた。それを元にクリッシャー氏の取材に応じたのだ。

だが、諸般の事情でクリッシャー氏は記事化できず、残された20本のカセットテープが徳本氏に託された。

「率直に言って、テープを再生するまでは、『単純な外交辞令のやり取りしか記録されておらず、あまりニュース価値はないな』と考えていました。ところが聞き始めると、すぐに背筋が伸びました。何しろ、昭和天皇が海外の要人と政治的な話題について、非常に生々しいやり取りを交わしていたからです」(著者の徳本氏)

体操の演技を観覧するエリザベス女王とフィリップ殿下(前列左側)

リー・クアンユーの発言

徳本氏の『エンペラー・ファイル』から1例だけ、シンガポールの首相を務めたリー・クアンユー氏(1923~2015)との会談内容を紹介しよう。振り返っているのは、もちろん真崎氏だ。

《「首相は中国と日本の文明を比較して、朝鮮半島での影響について述べられました。中国文明は閉鎖的だが、日本の文明は外の世界に開放的だ、朝鮮は日本に占領されて良かったというんです。それに対して陛下は完全に無言で何も仰いませんでした。何も聞こえないように振舞い、沈黙を貫かれたんです。こうしたことに陛下はイエス、ノーと答えられません。何を言っても朝鮮半島の人々は嫌がるでしょうから。(満州事変を調査した)あのリットン調査団のレポートでも、植林事業など日本の半島での貢献に触れているでしょう。でも、それを私たちからは公言できないんです」》

要するにリー・クアンユー氏は、「韓国に謝罪するばかりが能ではありませんよ」とけしかけたのだ。最もデリケートな歴史論争を挑んだが、冷静な昭和天皇は沈黙をもって答えた。外交辞令どころの騒ぎではない。確かに、極めて生々しいやり取りだ。

49歳と74歳

体操を見学するご夫妻

どうやら海外の要人は、昭和天皇と会談すると、思わず本音を漏らしてしまうようなのだ。同書で徳本氏は次のように指摘している。

《皇居にやって来る各国の要人は国賓の王族や政府首脳も含まれ、国際政治に大きな発言力を持つ人間ばかりだ。いずれも政府が下にも置かないもてなしで招いた賓客だが、それが天皇の前に出た途端、驚くほど率直に内心の悩みや不満を吐露するのだ》

まさに《驚くほど率直に内心の悩みや不満を吐露》した一人が、エリザベス女王だったというわけだ。

立憲君主の悩みは、立憲君主にしか分かりません。1975年に来日した際、エリザベス女王は49歳、昭和天皇は74歳でした。女王の父であったジョージ6世は病気のため、50代で崩御。女王は25歳の若さで即位しました。彼女は懸命に公務に励んだでしょうが、相談できる人も少なく、『自分は立憲君主としてどうなのか』と悩みは深かったと思います」(同・徳本氏)

エリザベス女王は昭和天皇に「父」を見たのではないか──そんな想像も決して現実離れはしていないだろう。君主とはどうあるべきか、“大先輩”にアドバイスを求めたのだ。

徳本氏がテープを聞くと、通訳の真崎は、その時の女王の印象を「冠をいただく頭は安んぜず」と語ったという。これは、イギリスの文豪シェークスピアの「ヘンリー4世」の中の台詞で、「偉大なる者に心安まる時はない」という意味だ。

激動の昭和史

昭和天皇を囲んで

「歴史上の君主と比較しても、昭和天皇ほど激動の人生を歩んだ人は、そうはいないでしょう。戦争回避を切望したものの、5・15事件、2・26事件とクーデター未遂が続き、日本は第二次世界大戦に突入。敗戦で国土は焼け野原になりましたが、奇跡的な復興を成し遂げた。昭和天皇は、数々の“修羅場”をくぐってきたんです。海外の要人には、一種の凄みを帯びて映ったのかもしれませんね」(同・徳本氏)

エリザベス女王と昭和天皇の人生には、不思議なことに共通点が少なくない。昭和天皇も25歳の時に践祚(せんそ)。共に第二次世界大戦を経験し、国民の敬愛を集め、長寿に恵まれた。

相違点にも興味をそそられます。年齢差は先に見た通りですが、昭和天皇は敗戦国の、そしてエリザベス女王は戦勝国の立憲君主。日本の皇室はイギリスの王室を手本にしてきたという長い歴史もあります。共に先輩の面と後輩の面があった。そんな2人が対面し、胸襟を開いて語り合う。それだけでもドラマチックな歴史的瞬間だと言えるでしょう」(同・徳本氏)

敗戦時は、昭和天皇を戦犯とする動きもあった。だが、最終的には戦争責任を問われることはなく、象徴天皇制は日本人の精神的支柱となった──こうした皇室の歴史にも、エリザベス女王は関心を持っていた可能性があるという。

昭和天皇の“反省”

エリザベス女王の右隣は香淳皇后

「イギリス外務省が機密指定を解除した対日外交文書を読み込んだことがあります。そこから、イギリスが戦後、天皇制の維持に注目し、昭和天皇が世界情勢の正確な情報を把握する必要性を、極めて重要視していたことを知りました」(同・徳本氏)

戦前から戦中の昭和天皇に、戦況や国際情勢の正確な情報が届けられていなかったのは、多くの証言が残されている。

「それこそが、日本が無謀な戦争に突入した原因の一つだとイギリスは考えていたのです。立憲君主とは、単にハンコを押すだけの存在ではないと。こうした分析は、当然ながら女王も共有していたでしょう」(同・徳本氏)

もちろん昭和天皇も、情報から遮断されたことを大きな反省点として受け止めた。だからこそ戦後は、共産主義の動向など国際情勢で、海外の要人と突っ込んだ情報交換を行っていた。

そんな2人が、君主とはどうあるべきかについて話し合った。残念ながら、エリザベス女王の“人生相談”に、昭和天皇が何とアドバイスしたのかは記録が残っていない。

そして徳本氏がテープを聞いていると、図らずもエリザベス女王らしいユーモアのセンスも垣間見えたという。

ご夫妻を迎えて、中央に昭和天皇

「教えを受けた」

「翌年、アメリカが建国200年を迎えるため、女王は式典出席のため訪米する予定が決まっていたのです。女王は昭和天皇に『かつて(独立戦争で)反乱を起こした国に行くのは変な感じ』と語っています。『でも200年経ってるから、もう問題ないでしょう』とも。

われわれが聞いても微笑が浮かびますが、ひょっとすると昭和天皇もお笑いになったかもしれません」(同・徳本氏)

産経新聞(電子版)は9月9日、「【英女王死去】『地球を半周、報われた』 昭和天皇への謝意」との記事を配信した。

1975年にエリザベス女王が来日した際、その通訳は外交官の内田宏氏(1918~2014)が務めた。内田氏もやり取りの記録を残しており、その一部を、季刊誌「皇室」に寄稿している。

記事は、その内容を紹介したものだ。エリザベス女王の発言部分を引用しよう。

《視察を終えて帰京する際、内田氏が「最もご印象の深かったのは」と尋ねると、女王は「陛下(昭和天皇)にお目にかかり、教えを受けたことです」と即答。「女王は孤独なもの」「重大な決定を下すのは自分しかいない」。内田氏にそう打ち明けた女王は「この立場が分かっていただけるのは、ご在位50年の天皇陛下しかおられません」と説明し、「自分が教えを受けられるのはこの方しかない」との気持ちで訪日したことを明かした》

この日本訪問時、エリザベス女王は49歳だった