能力や才能は誰のものか? ベーシックインカムについて考える

能力や才能は誰のものか? ベーシックインカムについて考える 政治・経済

能力や才能は誰のものか? ベーシックインカムについて考える(NewsCrunch編集部 2023.1.12)

小池百合子都知事が、少子化対策として都内に住む18歳までの子ども1人に対し、月5000円を給付する方針を発表。ベーシックインカムを支える哲学的な理論について考える。

小池百合子都知事は1月4日、少子化対策として、都内に住む18歳までの子ども1人に対し、月5000円を給付する方針を明らかにしました。新年度(令和5年度)からの導入を目指します。年齢制限はありますが「所得制限などは設けず、無条件に給付する」という、今回の方針に関しては、実質的な「ベーシックインカム」の導入であると考えていいでしょう。

ベーシックインカムとは「国民一人ひとりに対して、国家が生活に必要な最低限のお金を給付するシステム」です。年齢や性別などは考慮せず、無条件で一定の額が毎月支給されることになります。実業家のひろゆき氏や、イェール大学助教授の成田悠輔氏がベーシックインカムの必要性を主張し、一気に注目を集める政策になりました。

2017年9月、衆議院の解散に伴った総選挙を前にして、小池都知事は「希望の党」を結成しましたが、党のマニフェストにもベーシックインカムは含まれていました。大阪を支持基盤にする「日本維新の会」も導入に前向きな姿勢です。

今回は、ベーシックインカムの政策的な有効性を議論するのではなく、ベーシックインカムを支える哲学的な理論について考えてみたいと思います。

ベーシックインカムの理論を構築したのはマルクス

ベーシックインカムの起源は、16世紀の思想家であるトマス・モアが書いた『ユートピア』であると言われています。トマス・モアは「皆で食料を収穫し、皆で保管し、必要なときに、皆が自由に引き出せる世界」が「理想郷(ユートピア)」であると描いたのです。

この『ユートピア』を理論化したのが、19世紀のマルクスになります。ドイツで生まれたマルクスですが、危険な思想の持ち主であるとして、母国を追われイギリスに亡命します。当時のイギリスは「産業革命」の全盛期です。資本主義がもたらす問題をマルクスはリアルタイムで分析することができました。

マルクスの主著である『資本論』にも書いてありますが、当時のイギリスでは「児童労働」が横行していました。労働現場には、どんな人間であっても労働力として投入され、そこには多くの子どもたちも含まれていました。そのなかには、4歳にも満たない子もいたそうです。

階級の低い貧しい親たちは、自分の子どもをためらうことなく工場や炭鉱に送り込み、大人たちよりも、長時間にわたって過酷な労働に従事させました。マルクスは「リヴァプールに住む労働者階級の平均寿命が15歳」という衝撃の事実を伝えています。

こうした背景から、イギリスでは「義務教育」が始まることになります。つまり、義務教育の制度とは「親による子どもへの収奪を防ぐため」「親から子どもを隔離させるため」という、なんとも悲しい目的のために始まりました。貧しい親の手元に子どもを置いておくと、親が自分のために利用してしまうからです。

マルクスは『資本論』を発表して、資本主義からの脱却を目指しましたが、執筆の途中で亡くなってしまいます。そのため未完成な部分が多く、理論は不十分です。一部の人間(資本家)が労働の成果を独占する「私有財産」の問題点を指摘し、個人による私有財産を廃止した「共産主義社会」を構想したところまではわかっています。しかし、共産主義社会の具体的な運営方法については不明なままです。

能力や才能は神様からの「ギフト」である

資本主義は「能力や才能がある人間にお金が流れるシステム」になり、能力や才能のない人間は貧しくなってしまう社会です。現代社会では能力主義の傾向がますます強くなっています。

例えば「プログラミングができる、できない」という能力の有無によって、個人の賃金は大きく変わってしまいます。プログラミング教育が小学校から始まりましたが、家庭にパソコンがある子どもと、パソコンがない子どもの場合では、置かれている環境によって大きな影響(差)が生じることになります。

こうした能力や才能、環境による差を補う方法として、ベーシックインカムは考えられました。「能力(才能)は誰のものか?」と、ベーシックインカムはまず問いかけます。

英語では「能力(才能)」のことを「Gift」と呼びます。日本では「贈り物」を意味する「ギフト」になります。「能力や才能は神様からの贈り物である」と考えるため、ビジネスやスポーツで成功した欧米の人々は、卒業した高校や大学に多額の寄付をします。もちろん節税対策の意味もありますが……。

能力や才能、環境は「偶然性」によって、個人に振り分けられます。野球の大谷翔平選手を例にしましょう。大谷選手は“偶然”にも野球の才能を持って生まれ、そして“偶然”にも野球の能力を伸ばす環境に恵まれました。もちろん個人の努力も存在しますが、誰でも努力すれば、大谷選手になれるわけではありません。

「能力や才能、環境に恵まれない個人が、偶然性に左右されて貧しくなってしまうのは残酷ではないか」というのが、ベーシックインカムの理論を支えている哲学になります。

「自分に才能があることは幸運なことだ。だから、この才能をみんなのために使わないといけない」という考え方は「共産主義」に近いところがあります。「能力(才能)の私有財産」を廃止して、社会全体で共有するベーシックインカムは、マルクスの共産主義をアレンジしたアイデアと言ってもいいでしょう。

「働かざる者食うべからず」という努力信仰が強い日本社会のでなか、小池都知事が進めるベーシックインカム政策は、今後どのような展開を見せるのでしょうか。