池上彰氏が解説「聖書を知らないと損をする訳」 世界情勢を知るうえで押さえたい前提知識

最後の晩餐 文化・歴史

池上彰氏が解説「聖書を知らないと損をする訳」 世界情勢を知るうえで押さえたい前提知識(東洋経済ONLINE 2022/11/12 16:00)

池上 彰 : ジャーナリスト

世界で最も読まれている書物である『聖書』を多くの日本人は読んだことがありません。しかし、『聖書』を知ることは、世界に通用する教養を身につけることであり、世界を理解することにもつながる、と池上彰氏は言います。同氏の著書『聖書がわかれば世界が見える』より、教養として押さえておきたい聖書の基本を一部抜粋して解説します。

『聖書』は世界の教養である

先日、あるイギリス映画を見ていたところ、主人公が友人たちの前で、自分の妻を褒め、次のような形容をしていました。

「ソロモンより賢く、サムソンより強く、ヨブより忍耐強い」

要は、私の妻でいられるのだから、という自虐的なギャグなのですが、ここに出てくる名前は、すべて『聖書』に登場します。これなど『聖書』の内容を知らないと理解できませんね。観客はみんなキリスト教の基礎的な素養があることを前提に映画が制作されていることがわかります。

国際政治の場でもキリスト教は登場します。アメリカの大統領就任式で、大統領は『聖書』に手を置いて宣誓します。アメリカの紙幣にもコインにも「我々は神を信じる」と記されています。アメリカがキリスト教国家であることがわかります。

欧州統一の動きが進むEU(欧州連合)は27カ国にまで増えましたが、トルコは加盟申請をしても、なかなか加入が認められません。EU側は言を左右にして認めませんが、本音はイスラム教徒の多いトルコを入れたくないからです。27カ国を見ると、カトリック、プロテスタント、東方正教会の違いはあれ、いずれもキリスト教徒が多数を占める国ばかりなのです。

その証拠に、欧州の国々には、国旗に十字架をあしらったものが多いですね。スイスはEUに加盟していませんが、赤地に白く十字が描かれています。赤十字を創設したアンリ・デュナンはスイス出身で、祖国の国旗の赤と白を逆にして赤十字の旗にしました。

長らく続く中東紛争。これは、欧州のキリスト教社会で迫害を受けたユダヤ人(ユダヤ教徒)たちが、『聖書』の記載を元に「自分たちの王国があった場所に新たな国をつくろう」とイスラエルを建国したことがきっかけです。

このように考えると、国際情勢を理解する上で、『聖書』の知識が必須であることがわかります。その点、日本はキリスト教徒が少ないから不利だなあ、などと思っていませんか。

でも、日本社会にもキリスト教由来のものがあります。たとえば1週間は、なぜ7日間なのでしょうか。それは、「旧約聖書」の冒頭で、神様がこの世界をお作りになったとき、6日働いて7日目に休まれたと書いてあるからです。かくしてヨーロッパのキリスト教社会で1週間というリズムが生まれ、日本にも輸入されたのです。

私たちの日常会話で「目からうろこ」という表現が出てきますね。これは「新約聖書」の中の「使徒言行録」に出てくるエピソードが由来です。後にキリスト教の熱心な伝道師になるパウロは、当初はキリスト教徒を迫害する側にいました。するとある日、目が見えなくなってしまうのですが、イエスを信じるようになった途端、「目からうろこのようなものが落ち」、再び目が見えるようになったというのです。

どうですか。さまざまな場面に登場する『聖書』。世界最大のベストセラー書籍の内容を知らないと、恥をかくことが出てくると思いませんか。

かく言う私はキリスト教徒ではなく、むしろ仏教に親近感を覚える立場ですので、「キリスト教徒になりなさい」などと宣教するつもりはありませんが、常識として、あるいは教養として、キリスト教を知っておく必要があると思います。

今回は『旧約聖書』から、3つの有名な話を紹介します。

エデンの園追放の物語

最初の人間は男で、名前は「アダム」。その名前は土の塵から造形されたからなのです。男のあばら骨から女は造られました。「人を助ける者」として創造されたというのです。この記述を根拠に男女格差は長らく是認されてきました。女性は男性を助ける役割だというわけです。

神は2人に「善悪の知識の木」から実を取って食べることを禁じたにもかかわらず、エデンの園にいた蛇がイブを誘惑して実を食べるように唆します。

誘惑に負け、イブは知恵の実を食べ、アダムにも食べさせます。

「2人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、2人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした」

人間は、禁断の実を食べたことで知恵がつきます。神は人間たちが知恵をつけることを望んでいなかったというのです。人間は知恵を得たことで、その後の苦難の道が始まります。

ちなみに「知恵の実」はリンゴというイメージを持っている人もいると思いますが、『聖書』にはそうは書かれていません。後世にリンゴと誤解されるようになったと言われています。iPhoneなどで知られるアップルのシンボルマークは、リンゴの一部が齧られたもの。これも「知恵を持った」ということを示しています。ここにも『聖書』に関する知識が背景にあるのです。

2人が知恵の実を食べた日、神がやってきて2人が裸でないことに気づき、2人は知恵の実を食べたことを白状します。そして、アダムとイブはエデンの園から追放されてしまうのです。

ノアの箱舟の物語

地上に人間たちが増えると、悪いことをする人間が増え、神は人間を創造したことを後悔したといいます。

主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。

「私は人を創造したが、これを地上から拭い去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する」

神様でも後悔することがあるのですね。

この時代の神様は、実に人間的です。 後悔した神は、地上のすべての生き物を絶滅させようと考えるのです。神を怒らせると怖いですね。神の一存で、人間など消えてしまうのです。

神は大洪水を起こし、地上の生き物すべてを絶滅させようとしますが、ノアは信心深かったので、ノアとノアの一族だけは助けようと考えます。そこで事前にノアに「箱舟」を造るように指示します。

箱舟とは、屋根のある船です。大雨を降らせるので、船が浸水しないようにというわけです。

さらに集められるだけの食料を積み込み、あらゆる動物をメスとオスの一対ずつ船に収容させるように命じます。

これだけの巨大な船を、ノアの一族だけでどうやって建造できるのだろうと思ってしまうのですが、遂に箱舟は完成。あらゆる動物を収容し、ノアの一族が乗り込むと、扉を閉めて閉じこもります。

その直後、大雨が降り出し、40日間降り続けます。地表は水に覆われ、地上のあらゆる生き物は死に絶えてしまいます。

雨が止んだ後も110日間にわたって水は引きませんでしたが、やがて水は引き、ノアの一族は船から出ることができました。そのノアに対し、神は、二度と洪水によって地を滅ぼすことはないと約束します。

こうしてノアの一族は次々と子孫をつくり、世界に再び人間たちがあふれるようになりました。『聖書』によれば、日本に住む私たちもノアの子孫だということになります。

「バベルの塔」の物語

ノアの子孫の人間たちは、やがて不遜な行動に出ます。「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」と言い出すのです。

高い塔を建てて有名になろう。中東ドバイの世界一高い建物「ブルジュ・アル・ハリファ」は、確かに有名になりましたし、日本でも日本一高いビルの建設競争が続いています。

しかし、神はこれを見て不快に感じたようです。当時の人々は、みな同じ言葉を話していました。同じ言葉を話しているから建設作業員同士の意思の疎通が容易で建設が進んでしまう。人々の話す言葉をバラバラにして、工事ができないようにしよう。こうして人々は別々の言葉を話すようになり、工事は中断。塔は完成しなかったといいます。

神は混乱(バラル)させたので、「バベルの塔」と呼ばれるようになったといいます。日本では1980年代のバブルの時代、高層ビルや高層マンションが競って建設されましたが、バブルがはじけた結果、完成した建物が売れなくなったり、工事が中断したりするケースが相次ぎました。こうしたビルは「バブルの塔」と揶揄されました。

このように日常で使われる言葉も、『聖書』を知らなければその真の意味がわからないことはたくさんあります。常識として、あるいは教養として、ぜひこの機会に『聖書』を押さえてみてください。

「聖書がわかれば世界が見える」(池上彰著)