沖縄に寄り添う天皇陛下 戦争と平和への思い 即位後初訪問

天皇皇后両陛下が沖縄訪問 文化・歴史

沖縄に寄り添う天皇陛下 戦争と平和への思い 即位後初訪問(毎日新聞 2022/10/22 05:00 最終更新 10/22 05:00)

天皇、皇后両陛下は22日、即位後初めて沖縄県を訪問される。国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭出席のためで、開会式(23日)には天皇陛下がおことばを述べる。陛下は1987年に初めて沖縄を訪れ、これまでに5度訪問してきた。太平洋戦争末期、住民を巻き込む地上戦で多くの犠牲者を出し、戦後も苦難を歩んできた沖縄。訪問を前に、関係者の証言などをもとに陛下の思いをたどる。

天皇陛下の沖縄訪問

「本当に戦争は悲惨だな」。初めて沖縄県を訪れた87年9月、陛下(当時は浩宮さま)は南部戦跡を巡る車内でそう漏らしたという。同乗した東宮侍従が「平和な風景ですが、まだ遺骨の収集も終わっていないそうです」と説明したことを受けての言葉だった。外にはサトウキビ畑ののどかな田園風景が広がっていた。

ひめゆりの塔で宮良ルリさんの説明を受けられる浩宮さま(現在の天皇陛下)=1987年9月19日

陛下は、多くの命が絶たれた摩文仁(まぶに)の丘を望む県営平和祈念公園(糸満市)を訪れ、国立沖縄戦没者墓苑で供花した。ひめゆりの塔(同市)では、ひめゆり学徒隊の一員として学徒動員された宮良ルリさん(2021年に死去)の説明を受けた。

「沖縄の人々は先の大戦を通じ“ぬちどぅたから”(命こそ宝)の思いをいよいよ深くしたと聞いていますが、この平和を求める痛烈な叫びが、国民すべての願いとなるよう切望します」。その日に出された陛下の感想には、平和への強い思いが込められていた。

翌日には国民体育大会の開会式に出席。3泊4日の日程だったが、現地で酒を酌み交わす機会もあった。県立博物館の職員だった琉球大名誉教授の高良倉吉さん(75)はその一人だ。

職員らは陛下の宿舎に招かれ、泡盛を飲みながら歴史談議に花を咲かせた。高良さんによると、陛下は膝を乗り出して質問をすることもあった。

「沖縄のことを勉強し、吸収したいという思いが強いという印象でした。非常にフランクな雰囲気で、我々もリラックスしてやり取りができた」

97年7月には、皇后雅子さま(当時は皇太子妃)と2度目の訪問を果たし、戦没者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」(同市)を訪れた。案内した知事公室長(当時)の粟国正昭さん(79)によると、両陛下は礎の名前に目を凝らしていたという。

平和の礎では、名前の分からない子どもについては「○○の子」と表記されている。「『この世の中に実在していたと証明するためにそうした書き方をしています』『一家全滅したご家庭もあります』と説明したところ、実に真摯に聞いていただいた」と粟国さんは振り返る。

平和の礎を訪れ、粟国正昭さんの説明を受けられる皇太子ご夫妻(現在の天皇、皇后両陛下)=沖縄県糸満市の平和祈念公園で1997年7月15日

99年1月、雅子さまは歌会始で沖縄の光景を「摩文仁なる礎の丘に見はるかす空よりあをくなぎわたる海」と詠んだ。あの日、公園内にある「平和の火」越しに見えた真っ青な海と空を粟国さんは今も覚えている。「強い印象を持たれたのだろう」

陛下はその後、3度沖縄を訪問し、いずれも戦没者墓苑で供花をしてきた。

今年5月に行われた沖縄復帰50周年記念式典にオンラインで出席した陛下は、初訪問時の感想にある「ぬちどぅたから」に改めて言及した。

「大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は“ぬちどぅたから”の思いを深められたと伺っていますが、その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます」

高良さんは「平和が大事だとする『ぬちどぅたから』という沖縄の言葉を引用された。沖縄に寄り添う言葉だった」と話す。

訪問が近づく今月18日、高良さんは御所に招かれた。高良さんが災害や戦火で失われた歴史資料を巡る取り組みなどを紹介すると、両陛下はメモを取りながら熱心に耳を傾けた。側近によると、今回の招待は、沖縄の文化や歴史について改めて理解を深めたいという両陛下の意向があったという。

戦後も27年間にわたり、日本と切り離された沖縄。昭和天皇の戦争責任論を含め、皇室への複雑な県民感情を抱える中で、75年7月には上皇ご夫妻(当時は皇太子ご夫妻)がひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられる事件も起きている。それでも上皇ご夫妻は11回にわたり訪問を重ね、沖縄の人々と向き合い続けてきた。

上皇さまの沖縄訪問

天皇陛下は復帰50周年記念式典のおことばで、中学1年生だった本土復帰の日、上皇ご夫妻とニュースを見たことに触れた。高良さんは「ご両親と一緒に気持ちを合わせて沖縄に向き合う気持ちでいる。僕はそういうメッセージだと思う」と話す。「ご両親が努力なさったことを含めて、自分が継承していくという静かな覚悟を感じました」