ノーベル医学生理学賞で注目「古代人の交雑」 私たちの先祖は“美女と野獣”だったのか?
ノーベル医学生理学賞で注目「古代人の交雑」 私たちの先祖は“美女と野獣”だったのか?(AERAdot. 2022/10/05 18:00)
『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師が、歴史上の偉人や出来事を独自の視点で分析。今回は、ノーベル医学生理学賞で話題となった「古代人の交雑」について“診断”する。
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10月3日、2022年のノーベル医学生理学賞はスウェーデン出身の人類学者スバンテ・ペーボ(Svante Pääbo)博士に授与決定したことが報道された。下馬評ではmRNAワクチンを開発した女性科学者の名が挙がっており、ここ数年の傾向では実用性の高い研究に授けられることが多かったため、少し意外ではある。しかしながら、ペーボ博士はこの領域では第一人者であり、独マックス・プランク進化人類学研究所に赴任した20世紀末から、筆者の恩師だった故・大野乾博士に最も将来を嘱望されていた科学者だけに、その受賞は当然ともいえる。
■クロマニヨン人とネアンデルタール人
一般に種が異なると、ラバやケッテイのように一代限りの雑種はできても稔性(子孫を作れる)の子孫はできない。現生(クロマニヨン)人は、形質や遺伝的に最も近いネアンデルタール人とは数万年ともに過ごしており、生存競争に勝ち残ったのが我々の先祖であり、体格は優れていても知的に劣ったネアンデルタール人は滅亡したと考えられてきた。
しかし、両者の形質を兼ね備えた化石人骨が出土したことから交雑の可能性が指摘されてきた。ペーボ博士は、クロアチアで出土した約3万8千年前のネアンデルタール人骨3体からDNAを抽出して全ゲノムシーケンスを解析し、5人の現生人類(アフリカ南部、アフリカ西部、パプアニューギニア、中国、フランス)のゲノムと比較した。
その結果、アフリカ2カ所を除く3人のゲノムとネアンデルタール人の一致が高く、アフリカで誕生したヒトの一部が、8万年前以降にアフリカを離れてユーラシア大陸に広がる前に中東近辺でネアンデルタール人と混血した可能性があるということ、さらに、ヒトの遺伝子の1~4%はネアンデルタール人に由来する可能性があることを明らかにした。
もともと、人類発祥の地であるアフリカでは遺伝子の多様性が高いのに対し、それ以外の土地では少ないため、たまたまの浮動でこのような結果が出た可能性は否定できない。 従来はPCRでネアンデルタール人と現生人類を比較し、交雑はなかったとする報告が多数を占めてきた。だが、ペーボ博士らは次世代シーケンサーを使って全ゲノムを網羅的に解析した結果から、定量的な結果を得たのだった。
■“美女と野獣”のロマン
さて、ここで気になるのは、たくましいネアンデルタール人男性とたおやかなクロマニヨン人女性が恋に落ちたか、逆にひ弱な(もちろん比較の問題だが)クロマニヨン人男性が野性的なネアンデルタール人女性と結ばれたかという問題である。
母系遺伝のみで伝わるミトコンドリアDNAで見た場合、現生人類とネアンデルタール人はかなり違っているので、ネアンデルタール人の遺伝子を受け継ぐヨーロッパ人やアジア人では「母方はクロマニヨン人で父方はネアンデルタール人」というパターンが考えられる。一方では、より多くの異性を求める性格は男性にこそ顕著なので、その逆も当然あったかもしれない。我々の遠い先祖が“美女と野獣”だったのかも……というのは少しロマンをかきたてられる。
■愛に言葉はいらない
『美女と野獣』は18世紀フランスの女性作家ジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモン(Jeanne-Marie Leprince de Beaumont)が編集したフランス民話集にある話の一つで、ここに出てくる野獣の姿は、版により猪だったり熊だったり狼だったりする。日本でも『宇治拾遺物語』から『遠野物語』まで蛇婿や猿婿、『南総里見八犬伝』の犬婿、遠野の「オシラサマ」の馬婿、『夕鶴』など異類婚姻説話があるし、中国の『聊斎志異』は動物のみならず、牡丹や菊など植物の精(花妖)との恋愛譚が登場する。
民話伝説はともかく、現実的な最大の問題は、ネアンデルタール人の喉頭の構造が複雑な言語を操るには未発達で十分な意思の疎通ができたのかどうかという点である。ただ、この点も「愛に言葉はいらない」のかもしれない。
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早川 智(はやかわ・さとし)
1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。83年日本大学医学部卒、87年同大大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)など。
ノーベル生理学・医学賞のペーボ博士は沖縄科学技術大学院大にも在籍、東北大・大隅教授が偉業を緊急解説
大隅典子 東北大学副学長・東北大学大学院医学系研究科教授
2022年のノーベル生理学・医学賞が10月3日に発表され、沖縄科学技術大学院大学教授で、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所所長のスバンテ・ペーボ博士が受賞した。ペーボ博士は9月に東北大学でセミナーを実施するなど日本との縁が深い。ペーボ博士の友人で、セミナーの招聘を実現させた、東北大学副学長・東北大学大学院医学系研究科の大隅典子教授に、偉業を緊急解説してもらった。
文学部から医学部に転身したペーボ博士 ミイラの解析から古代人ゲノムの解析に発展
10月に始まるノーベル賞受賞者発表の一番手は、必ず生理学・医学賞だ。ここ数年は、筆者は研究室でPCの画面を大きなモニタに映して、パブリックビューイングを行っている。
毎年のことながら、選考委員長のトーマス・パールマン博士の電話を1時間前に受けたのは誰なのか、固唾を呑んでライブ配信を見守っていたところ、最初のスウェーデン語の受賞者発表で、馴染みのある名前が呼ばれた。「スバンテ!!!」という私の声に、学生は驚いたことだろう。
2022年のノーベル生理学・医学賞の受賞者、沖縄科学技術大学院大学教授でドイツのマックスプランク進化人類学研究所の所長であるスバンテ・ペーボ博士は、古生物遺伝学の開拓者だ。
生物学的な父親であるスネ・ベリストローム博士は、プロスタグランジンや関係する脂質分子の発見でノーベル生理学・医学賞を受賞した。ペーボ博士は父親のDNAを受け継ぎながら、当初はスウェーデンのウプサラ大学文学部でエジプト学などを学んでいた。
しかし、そこからさらにペーボ博士は医学部へと進学。さらにはミイラのDNAを解析できるのではと考えて実行し、今回のノーベル賞受賞の研究テーマとなったネアンデルタール人などの古代人ゲノムの解析につながった。
ネアンデルタール人の骨からDNAを採取 人類にもネアンデルタール人のゲノムが残ることを証明
絶滅したネアンデルタール人は、化石となった骨にその“実態”を残している。化石を用いた従来の解析は、例えば頭蓋骨のサイズを計測し、脳の容積が現生人類に至る過程でどのように大きくなったのかなどを“推察”するものだった。
しかし、ゲノムに遺伝情報が書き込まれていると教わったペーボ博士は、ならばネアンデルタール人のDNAを抽出して、その塩基配列を決定すれば、さまざまな情報を得ることができると考えた。
「貴重な古代人の化石を砕いてDNAを採取するなどもってのほかだ」、と糾弾した化石人類学者は、当時は多数いたことだろう。
「エジプトのミイラならともかく、何万年も前の古代人のDNAなんて、ズタズタに壊れてしまっていて、何も分からないのでは?」という分子生物学者の批判もあったに違いない。
しかしペーボ博士は揺るぎない信念のもとに予備実験を重ね、辛抱強く周囲を説得して、小指のかけらほどの化石試料からDNAを得ることに成功した。そして、2010年にネアンデルタール人のゲノムのおおよその配列を決定して、米科学誌サイエンスに発表したのだ。
この論文でペーボ博士は、ネアンデルタール人と現生人類が欧州で共存していた事実と併せ、現生人類の中に数%、ネアンデルタール人のゲノムが混在しており、それが2種の人類の交雑の証拠であるという議論を展開している。興味のある方は、ペーボ博士の著書『ネアンデルタール人は私たちと交配した』(文藝春秋、2015年)をお読みいただきたい。
初対面の第一印象は「この人は天才」 日本人研究者コミュニティでも知名度は高い
筆者がペーボ博士の研究所を尋ねたのは2013年1月だった。上記のネアンデルタール人ゲノム配列決定だけでなく、チンパンジーとヒトのゲノムの比較から、FOXP2という“言語の遺伝子”を見出していたペーボ博士にぜひ、会いたいと思っていた。
そこで共通の友人であるドレスデンのマックスプランク分子細胞生物学および遺伝学研究所所長であるウィーランド・フットナー博士にご紹介いただき、ライプツィヒの進化人類学研究所を訪問し、セミナーする機会に恵まれた。ぺーボ博士はちょうど、別の古代人であるデニソワ人のゲノムの解析を進めているところだった。
実際に会った第一印象は、「あぁ、この方は天才だなぁ……」というものだった。凡庸な科学者が思いもつかないレベルで世界を捉えることができるペーボ博士の研究室には、随所にアートが溢れていた。
比較的ゆっくりとした英語で話すペーボ博士の脳の中では、その何十倍もの速度で、記憶されている情報との照合が為され、重要なものは記憶されて、次のアイディアにつながる、そんな印象を持った。
ペーボ博士はその後も古代人ゲノムと現生人類との比較を続け、コロナ禍ではCOVID-19の罹患に関わる領域がネアンデルタール人由来である可能性を指摘する研究成果を発表した。また上記のフットナー博士との共同研究では、ヒト脳がどのように進化していったのかについて実験発生学的なアプローチを展開している。今後の展開がさらに楽しみだ。
木村資生博士の貢献など、日本の進化生物学が世界的に強いこともあり、ペーボ博士は日本人の研究コミュニティでも知名度が高い。
16年に慶應医学賞、20年には日本国際賞を受賞している。
筆者はペーボ博士が沖縄科学技術大学院大学に研究ユニットを持つことになったと知り、「だったら、ついでに東北大学にも寄ってね。15万人の日本人ゲノムコホート研究を行なっているので」とセミナーをお願いしていた。ところが、コロナ禍で延び延びとなってしまい、ちょうどようやく先月、実現したところだった。
ペーボ博士が今回のノーベル賞受賞に至る過程で、進化生物学で強い日本の研究者からも認知されていることが後押しになったのだとすれば誇らしく思う。