再稼働や新増設は安くない事実、90年代以降は失敗続く 原発をめぐる「無責任の構造」

六ケ所村の核燃再処理 科学・技術

再稼働や新増設は安くない事実、90年代以降は失敗続く 原発をめぐる「無責任の構造」(AERAdot. 2022/09/26 11:00)

筆者:添田孝史 AERA2022年9月26日号より

2011年の東京電力福島第一原発事故から11年。岸田文雄政権は原発の新増設検討など「原発回帰」の方向性を鮮明にした。原発政策の大きな転換だ。なぜ原発は再び推進されるのか。そこには無責任の構造があるという。

【図表】既設原発の2011年度以降の発電コスト推計はこちら

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岸田首相が「次世代革新炉」と呼ぶ新型炉には期待できるのだろうか。東芝の元原子力プラント設計技術者の後藤政志さんは、こう話す。

「既存の軽水炉ではダメなので何とか新しい機軸を立てたいとするあがきにすぎない。福島事故と同じ事故は起こさない、という一点の特徴だけで持ち出されたのではないか」

今の原発(軽水炉)は熱を取り出すのに水を用いるが、新型炉の一つ、高温ガス炉はヘリウムガスを使うので水素爆発を起こさないとPRされている。日本では1960年代から研究され、日本原子力研究開発機構は国内唯一の高温工学試験研究炉を持つ。98年に初臨界。11年以降、運転を停止していたが、昨年運転を再開したばかりだ。

小型モジュール炉(SMR)については、たとえば東芝と電力中央研究所が開発する4Sと呼ばれる炉は水の代わりにナトリウムを使っている。構想は50年代からあったものだ。

どちらも古くから研究され実用化が困難だったものだ。核廃棄物を生み出すのも旧来の原子炉と変わりない。

「トラブルや事故を経て改善・改良がなされるのが新規技術の宿命だから、経済性を争えるレベルまで新型炉が生き残れるかが勝負になる。しかし、見込みはほとんどない」(後藤さん)

既設炉の再稼働でも大きな壁となるのは、原発が安くないという事実だ。

発電エネルギー技術のコスト比較

既存原発の運転にかかる費用は、研究者や技術者で作る原子力市民委員会の試算では、多くの原発で太陽光(事業用、30年)の8.2~11.8円(キロワット時<kWh>あたり)を超える。

新型炉はもっと高くつく。政府が「次世代革新炉」の一つとして新増設を狙う欧州加圧水型炉(EPR)は、英国の事例で出力334万kWで4兆円以上の建設費が見込まれている。浜岡原発(静岡)5号機(05年運転開始)は138万kWで約3600億円だったから、桁違いである。大地震を考慮しなければならない日本では、新型炉はさらに割高となる。

一方、太陽光の価格は、75年ごろの100分の1以下で、10~19年の10年間でも価格は約8分の1以下になった。風力は約3分の1だ。政府が、新増設する原発の運転開始を見込む10年、20年後には、もっと下がっているだろう。

■90年代以降は失敗続く、世論調査で反対が過半数

日本でも原発なしで50年カーボンニュートラルの経済合理的な達成が可能だ、とする研究は増えている。再生可能エネルギーの導入拡大や、それを生かす送電網の充実がカギとなる。岸田首相はGX実行会議で、そちらの選択についても「政治の決断が必要な項目」と述べているが、どちらに注力すべきかは、もう自明だろう。

原発は、高度成長期の60年代に初めて登場した時も、電力需給の逼迫を背景に、最新の技術と経済性、安全性を売り文句にしていた。ところが90年代以降、大きな失敗が続く。「使った燃料以上の燃料を生み出す、夢の原子炉」とうたわれた高速増殖炉「もんじゅ」は95年にナトリウム漏れの火災を起こし、1兆円以上かけたのに稼働日数250日で廃炉になった。

核燃料サイクルの要となる再処理工場(青森県六ケ所村)の完成時期は今月7日に26回目の延期が報告された。当初97年完成予定だったが、25年遅れても完成のめどはたっていない。総事業費は約14兆円とされている。

そして福島第一原発での事故。後始末に少なくとも22兆円と見積もられ、今も3万人以上が避難を続ける。

既設原発の2011年度以降の発電コスト推計

原子力市民委員会の座長を務める大島堅一・龍谷大学教授は、原発の「無責任の構造」をこう説明している。

「野心的で過大な目標をたてる」

「それが失敗しても、原因究明しない、順調であるかのようにふるまう」

「根本的な解決、方針転換をしない、先送り」

「意思決定に関与した当事者の責任を問わない」

「国が原子力事業者を手厚く保護」

この繰り返しで原発は推進され、今回も同じ構造だと指摘する。

8月27、28日に朝日新聞が実施した世論調査では、原発の新増設について「賛成」34%、「反対」58%だった。朝日新聞によれば、首相は想像以上の世論の反発に「異様だな」と漏らしたという。原発をめぐる無責任の構造を世論が見透かし始めていることに、まだ気づいていないのだろうか。(ジャーナリスト・添田孝史)

※AERA 2022年9月26日号より抜粋