覚悟の訪中、角栄氏「一命を賭す」 田中真紀子氏インタビュー 日中国交正常化50年

田中真紀子氏 政治・経済

覚悟の訪中、角栄氏「一命を賭す」 田中真紀子氏インタビュー―日中国交正常化50年(JIJI.COM 2022年09月25日07時16分)

50年前に日中国交正常化交渉のために訪中した田中角栄首相は、出発に当たり「一命を賭して行く」と覚悟を語った。長女の真紀子元外相(78)に当時の角栄氏の思いや様子を聞いた。(肩書は当時)

中国については、役人が準備してやったことではない。父は国交(正常化)が終わったころに「中国問題は外交というよりも、むしろ内政の重要な部分だとずっと認識してきている。日本政治の根底にあるものは常に中国問題であり、それを抜きに日本政治は考えられなかった」と書き留めている。

(角栄氏と福田赳夫氏が党総裁を争った)角福戦争という熾烈な派閥間抗争があって、彼は台湾、うちは完全に中国。父は戦後復興するには、資源を外国からどうやって持ってきて日本の経済をよくするか(を考えていた)。

対日の戦争賠償は100%放棄すると周恩来首相が言った(と伝わった)。父は「これだ」と。「戦争の損害賠償を言われたら日本の財政なんて吹っ飛ぶぞ」と言っていたが、向こうがそこまで踏み込んだ。

父は朝型人間だったが、(周氏夫人の)トウ穎超さんが(後に)「主人は夜型から、田中さんが(首相に)選ばれたときから『生活を変える』と言って朝早く起きるようになった」とおっしゃっていた。中国はそれほど真剣だった。

自民党内では台湾派からがんがん議論があり、生易しい環境ではなかった。父が言っていたことは、「誰かがやらなきゃ片付かない問題だ。見切り発車するしかない」「自分が首相になったばかりだから自分の責任でやる」と。

そしてニクソン(米大統領)とハワイで会ったときに、「日米基軸だが、日中国交回復をやる」と仁義を切った。腰を抜かしたでしょう。「ニクソンはたまげていたよ」と帰ってきて言っていた。父は曖昧さを残したりはぐらかしたりしない人なので、はっきり言ったんだろう。

妊娠中以外は全部(角栄氏の)外遊に同行したが、中国はだめだった。「お父さん、いつも連れて行くと言ったじゃない」と言ったら、「将来、お前たちの世代が自由に往来できる時代をつくるために一命を賭して行く。2人で殺されたら困るんだ」とすごい覚悟だった。

(台湾との関係については)今の状態でいいんじゃないか。日本は台湾と交流できているし、日本にとって不可欠な存在だ。中国が大人の外交をやり、台湾も経済発展して国民がハッピーだったら。わざわざ米国の下院議長が(台湾に)飛んで行って(どうなのか)という感じが私はしているが。

田中真紀子氏(たなか・まきこ)
早大商卒。田中角栄首相の長女で、地盤を継ぎ衆院当選6回。小泉内閣で外相に抜てきされたが官僚との対立で更迭。野田内閣で文部科学相も務めた。78歳。