そうだったのか! 「イギリスと中国」決定的な違い 世界の国はだいたい2つの統治方に分かれる

「イギリスと中国」決定的な違い 世界の国はだいたい2つの統治方に分かれる 文化・歴史

そうだったのか!「イギリスと中国」決定的な違い 世界の国はだいたい2つの統治方に分かれる(東洋経済ONLINE 2022/08/28 9:00)

長沼 伸一郎 : 物理学者

ロシアによるウクライナ侵攻や、アメリカと中国の関係緊迫化など、今も世界のあらゆるところで国や地域間のせめぎ合いが行われているが、これまでの世界史では国による統治は、「世界統合型」の統治と、「勢力均衡型」の統治に二分されていることに気づく。本稿では物理学者である長沼伸一郎氏著『世界史の構造的理解』より、世界統合型と勢力均衡型の特徴を、説明する。

ローマ世界とギリシャ世界の「違い」

古くから「世界を根本的にどういうシステムで運営するか」の選択の問題として、「世界統合か、勢力均衡か」という問題が存在していた。そして、それを理解するための最初の入り口としては、むしろ時代をもっと古代までさかのぼって、ローマ世界とギリシャ世界を比べることから入っていくのがもっともわかりやすいと思われる。

この場合、「ローマ世界」というのは早い話、ローマが地中海世界を制覇して、ローマ帝国という単一の帝国に統合した世界である。それに対して「ギリシャ世界」というのは、多数の都市国家が対等な立場で並立する世界である。

後世のナポレオンは、ヨーロッパ全体をフランスの三色旗の下に統合するという、「世界統合型」のビジョンで動いていたのに対し、イギリスはむしろ大陸内部に単一の覇権国家が生まれることを阻止して、複数の国家がバランスをとりながら並立する「勢力均衡型」の世界を志向していた。

要するに、ナポレオンはローマ世界のような「世界統合型」を、イギリスはギリシャ世界のような「勢力均衡型」をそれぞれ目標としていたわけで、ナポレオン戦争はまさにこの2つの理念が激突する戦争だったのである。そして結果的にイギリスが勝つことで、ヨーロッパ世界のその後は、以前からの勢力均衡型の世界が守られてそのまま続くことになったわけである。

両者を比べると、それらが一長一短であることはすぐにわかる。たとえば「世界統合型」の体制は、「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」という言葉に象徴されるように、ひとたび帝国の支配を受け入れれば、自由と独立を手放した代償として、平和と安定を享受することができる。

一方「勢力均衡型」の体制は、たしかに自由と独立はもち続けることはできるが、その自由は時に戦争という手段で守られるものであるため、そこは日常的に戦争に明け暮れる世界である。そのため、どちらの体制が優れているとも一概には言えないようにみえるのだが、しかしここでもっとカメラを引いて、中国の歴史も同時に視野に収めると、その認識は少し変わってくる。

それというのも、西欧と中国の歴史を比べると、西欧社会は基本的に勢力均衡型として成り立っているのに対し、中国は基本的に単一の帝国から成る世界統合型として成り立っており、それは両者の文明の性格に根本的な違いとなって現われているからである。

中国史にみる統一世界の闇

西欧の場合、ローマ帝国の廃墟から再出発して生まれた新しいヨーロッパ世界は、イギリスやフランス、ドイツなどが力のバランスをとりながら共存するかたちの体制だった。それとは対照的に、中国の場合は紀元前221年に秦の始皇帝によって中国統一が成し遂げられて以来、単一の帝国に統治される世界が続いている。

しかしここで注目すべきは、その中国も始皇帝以前の時代は、いわゆる「戦国七雄」などのように、魏や楚などの有力諸国が並立する、勢力均衡型の世界に近いものだったということである。

ところが始皇帝の時代に中国が1つの世界に統合されて以後は、一時的にごくまれに、三国志時代のように短期間だけ、勢力均衡型の世界が例外的に出現することはあっても、基本的には単一帝国が支配する世界がメインとなり、かつての戦国七雄のような世界は、古い帝国が倒れて新しい帝国に代替わりするまでの繫ぎの期間に一時的に生まれるに過ぎなかった。その意味で始皇帝の中国統一は、いわば歴史上の特異点として、一種の巨大な不可逆変化だったのである。

そして何より重要だったのは、このときを機に社会の様相そのものが根本的に変貌してしまったことである。それ以前の春秋・戦国時代に勢力均衡型を保っていた中国では、中国社会のなかにも西欧と似た一種の潑剌さが感じられたのだが、始皇帝以後の中国からは、何だかそこに生きる人々のなかからそういうものが次第に希薄化していき、大きな権力の下で管理社会のなかの沈滞した精神のようなものに国全体が覆われていくようにみえるのである。

事実、世界統合型に移行した始皇帝以後の帝国のなかで、何か理想をもった若者がどう生きていくかを想像すると、一種の無力感に包まれてしまう。その青年はまずいわゆる「科挙」(中国で行われた官吏の採用試験。ただし正式な導入は隋の時代から)の苛烈な受験戦争を突破せねばならず、何とか試験をくぐり抜けても、巨大な官僚社会で上にへつらいながら生きていかねばならない。

その巨大な圧迫感や閉塞感の下で暮らしていれば、若者の精神のなかからは、無力感とともに子どものころに描いていた夢や理想が消えていっても不思議ではない。

そして社会がそのようになるか否かに関しては、その時代の世界全体の構造が勢力均衡型か単一帝国型(=世界統合型)かが、根本的な部分で大きな影響を与えているように思われる。つまり単一帝国型の場合、権力は中央政府にしか存在しないので、その世界で何事かをなそうと思えば、その中央政府のなかに入っていって、官僚社会に組み込まれるしかない。

それに対して、世界全体が勢力均衡型ならば、自国の政府が駄目でも、どこかほかの国に渡って、そこで味方をみつけてその力に頼るということが可能であり、人々の行動の自由度は全体的に大きくなる。

いったん統合型になると勢力均衡型に戻りにくい

また、単一帝国型の社会では、人々の地域的なつながりや伝統というものも希薄化して、横同士の絆や人間関係は、利己心だけに基づく関係性に置き換わっていく傾向にある。これは中央集権化が進みすぎると必然的に起こる現象で、そうした帝国では建前上、皇帝とすべての人民1人ひとりが平等につながっていることになっていて、横同士の人と人の絆は、本質的に帝国にとっては邪魔ものである。

それに対し、たとえばイギリスに根付くジェントルマン的社会(そこでは下級貴族層がもっとも力をもっている)では、いい意味で地域的な伝統に依存する面が大きく、実際にそうした伝統などが人間の欲望を抑制して、社会の腐敗を防ぐ防壁となってきたことは否めない。

ところが、ひとたびそういう伝統や習慣が壊されてしまうと、再生させることは容易ではない。つまり、いったん単一帝国型になってしまった世界では、壊れたそのデリケートな伝統を、社会全体でバランスをとるようなかたちでうまく再建することは非常に難しく、もし末端の地域社会が利己心の関係性だけで成り立つ無責任な状態に堕していると、そこでの秩序の維持を代行するために中央権力が介入せねばならないという悪循環に陥る。

これは企業組織などでも似たようなことがみられる場合があるが、ともあれ一般的な話としても、社会は勢力均衡型には戻りにくいのである。その意味で、世界統合型の巨大帝国への移行は一種の不可逆過程なのであり、中国史における始皇帝の中国統一は、その重要度において、中国史全体を見渡してもこれを上回るものが存在しないほどの最大の転換点だったのである。

長沼伸一郎(ながぬま しんいちろう) 物理学者
1961年東京生まれ。1985年早稲田大学理工学部応用物理学科(数理物理)卒業。1985年同大学院中退。1987年『物理数学の直観的方法』の出版で理系世界に一大センセーションを巻き起こす。「パスファインダー物理学チーム」(http://pathfind.motion.ne.jp/)代表。著書に『物理数学の直観的方法 普及版』『経済数学の直観的方法 マクロ経済学編』『経済数学の直観的方法 確率・統計編』(以上、講談社ブルーバックス)、『一般相対性理論の直観的方法』『無形化世界の力学と戦略』『ステルス・デザインの方法』(以上、通商産業研究社)など。