政治家が襲撃された主な事件【まとめ】

1960年、浅沼稲次郎・社会党委員長が17歳の少年に刺殺される事件が起きた 政治・経済

戦前に、首相経験者が襲撃されて死亡した事件

首相経験者が襲撃されて死亡した事件は戦後に例がなかった。安倍事件が初めて。

【戦前の事件】

伊藤博文・元首相 1909年10月 狙撃

日露戦争後の朝鮮・満州の処理問題に尽力し、1905年に初代韓国統監に就任した。韓国の国内改革と保護国化の指揮にあたり、3度にわたる日韓協約で漸次韓国の外交権や内政の諸権限を剥奪した。

1909年6月に韓国統監を辞職した後、10月26日、中国北東部のハルビン駅で、韓国の民族主義運動家・安重根に狙撃されて死亡した。

安は伊藤を「大韓独立主権侵奪の元凶」とみなしていた。

原敬・首相 1921年11月 刺殺

1921年11月4日、大阪で開かれる関西政友会大会に出席するため東京駅に到着し、駅長室から乗車口に歩きでたところ、大塚駅転轍手であった中岡艮一に心臓を刺され、死亡した。満65歳没。

日本の憲政史上、現職の首相が暗殺された初めての事件。

浜口雄幸・首相 1930年11月 銃撃

1930年11月14日、岡山へ向かうため東京駅を訪れる。神戸行きの「燕」の1号車に向かって第4ホームを移動中、愛国社社員・佐郷屋留雄に至近距離から銃撃を受けた。大手術の後に一命を取り留めたが、この時の傷が原因で翌年8月26日に死去した。

犯行の動機は「天皇の統帥権を犯した」というもので、濱口内閣がロンドン海軍軍縮条約に調印し、膨れ上がる軍事費を削減しようとする姿勢に反発した末の凶行だった。

犬養毅・首相 1932年5月 射殺

1932年5月15日に起きた、五・一五事件で暗殺された。

海軍急進派青年将校を中心とするクーデタ事件で、武装した海軍の青年将校らが官邸に乱入し、犬養毅首相を射殺した。

高橋是清・大蔵大臣(元首相) 1936年2月 暗殺

1936年2月26日に起きた二・二六事件で暗殺された。

武力による国内改革を企図した皇道派青年将校らが起こした事件で、首相官邸・警視庁なども襲撃され、陸軍省・参謀本部・国会・首相官邸などを含む永田町一帯が占拠された。

岸信介・首相 1960年7月 重傷

辞意表明後の1960年7月14日、後継首班に池田勇人が指名された直後、首相官邸レセプション会場で右翼活動家・荒牧退助に左尻(もも)を登山ナイフで刺され重傷を負った。

浅沼稲次郎・社会党委員長 1960年10月 死亡

総選挙の前哨戦として、1960年10月12日に日比谷公会堂で開催された自民・社会・民社3党首立会演説会に参加した社会党・浅沼稲次郎委員長は、演説中に突然壇上に上がって来た17歳の右翼少年・山口二矢に腹部を刺され、非業の最期を遂げた。61歳没。

三木武夫・首相 1975年6月 軽傷

公職選挙法、政治資金規正法改正、独禁法改正問題が大きくなっていた1975年6月16日、東京・日本武道館で佐藤栄作元首相の国民葬が行われ、玄関で、大日本愛国党の党員に顔を殴られ軽傷を負った。

この事件をきっかけに、要人警護は「目立たない警護」から「目立つ警護」に転換され、警視庁SP(セキュリティーポリス)が創設された。

野坂昭如・前参院議員 1983年12月 無事

1983年12月15日、ロッキード選挙で新潟3区に出馬立候補した野坂昭如前参院議員がナイフを持った男に襲われた。無事。

宮沢喜一・衆院議員(後に首相) 1984年3月 全治3週間の負傷

1984年3月8日、立正佼成会の会長秘書を騙る自称「ジャーナリスト」の男(当時54歳)とホテルで面会。ナイフを突きつけられた上、30分にもわたる取っ組み合いをし、灰皿で殴られるなど全治3週間の負傷を負いながらも、一人でその男を取り押さえた。

山口鶴男・社会党書記長 1989年5月 負傷

1989年5月12日、滋賀県大津市で行われた演説会において右翼の襲撃を受け中村鋭一が流血を伴う負傷、山口鶴男・社会党書記長も首を殴打されるなどしたが、犯人が確保されるとそのまま演説を開始した。

本島等・長崎市長 1990年1月 重傷

1990年1月18日、本島等・長崎市長が市役所前で、右翼団体「正気塾」の幹部、田尻和美に拳銃で左胸を撃たれ、重傷を負ったが、一命をとりとめた。

田尻は、「市長の天皇に関する戦争責任発言などが許せず、鉄槌を加えようと思った」などと供述していた。

丹羽兵助・衆院議員 1990年10月 死亡

1990年10月21日午前、陸上自衛隊守山駐屯地(名古屋市守山区)で行われる記念式典に来賓出席するため、車で司令部庁舎に到着。隊員の案内で1階ロビーの喫煙コーナー前を歩いていたところを、部外者の男(統合失調症で守山荘病院に措置入院中。当時は一時退院中であった)に首をナイフで刺された。

出血多量により心肺停止状態で病院に搬送され、その後手術を受けたが、11月2日に死去した。79歳没。

金丸信・自民党副総裁 1992年3月 弾丸は全て外れる

1992年3月20日、栃木県足利市で山岡賢次の応援演説中に右翼団体の構成員に拳銃で撃たれたが、弾丸は全て外れたため怪我はなく、その場で構成員が取り押さえられた。

この構成員側は「北朝鮮への外交姿勢などが許せず、けがをさせれば反省して政界を引退すると思い襲撃した」などと主張した。

細川護熙・前首相 1994年5月 無事

1994年5月30日、東京・新宿のホテルに滞在中、右翼団体「松魂塾」元構成員の男が、至近距離で拳銃を天井に向け発砲。怪我はなかった。

首相就任直後の1993年8月10日に行われた記者会見で「日中戦争に始まる先の戦争は私自身は侵略戦争であった間違った戦争であると認識している」やその後の所信表明演説に関連し、退陣後に威嚇発砲。

柳川喜郎・岐阜県御嵩町長 1996年10月 重傷

産業廃棄物処分場計画に慎重な姿勢を示していた岐阜県御嵩町の柳川喜郎町長が、1996年10月30日、自宅マンション4階のエレベーターで2人組の男性に襲われ、一時意識不明となる。

石井紘基・衆院議員/民主党 2002年10月 死亡

2002年10月25日、世田谷区の自宅駐車場で迎えの車に乗ろうとしたところを、指定暴力団の山口組系の一人団体である「右翼標榜暴力団」『守皇塾』代表の伊藤白水に包丁で左胸を刺されて死亡した。61歳没。

翌26日に警察に出頭し逮捕された伊藤は動機について、「資金提供の仲介をした恩をあだで返すような言動をしてる」と供述した。

加藤紘一・元自民党幹事長 2006年8月 実家を放火・全焼

2006年8月15日、右翼団体構成員の男が、山形県鶴岡市の実家と事務所を放火し全焼した。

伊藤一長・長崎市長 2007年4月 死亡

2007年4月17日、市長選挙の遊説後、JR長崎駅近くの選挙事務所前で、暴力団幹部の男に背後から拳銃で2発撃たれ死亡した。61歳没。

安倍晋三・元首相 2022年7月 死亡

2022年7月8日11時31分頃、第26回参議院議員通常選挙のための街頭演説を奈良県奈良市の近鉄大和西大寺駅前付近にて行っていた際に、山上徹也容疑者自作の銃で背後から2発撃たれ、その内1発が命中し心肺停止状態になる。病院に救急搬送されて蘇生措置を受けたが、17時3分、銃撃による失血死のため死亡が確認された。67歳没。

山上容疑者は、ある宗教団体の名前を上げ、「家を破産させられた。もともとトップを殺そうとした」「安倍元総理がその団体とつながっていると思い込んで犯行に及んだ」という趣旨の話をしている。