「美しい国」「アベノミクス」「君と僕は、同じ未来を見ている」 安倍元首相の発言を振り返る

安倍首相、プーチン大統領と会談 政治・経済

「美しい国」「アベノミクス」 安倍元首相の発言を振り返る(毎日新聞 2022/7/8 19:14 最終更新 7/8 19:14)

「美しい国」「アベノミクス」「こんな人たちに負けるわけにはいかない」――。奈良県での選挙応援演説中に凶弾に倒れた安倍晋三元首相。国のトップに2度就任し、憲政史上最長の政権を担った元首相の過去の発言を振り返った。

「美しい国」

森喜朗政権で官房副長官に就任し、小泉純一郎政権でも再任した安倍氏は、北朝鮮の拉致問題解決に向けて尽力した。

「謝罪がなければ、日朝平壌宣言に署名すべきではない」。2002年9月、日朝平壌宣言に署名するかどうかの瀬戸際では、「拉致被害者8人死亡、5人生存」との北朝鮮側の説明を受けて、小泉首相にこう進言したとされる。

自民党幹事長や官房長官を経て、初めて首相に就任したのは2006年9月。所信表明演説で「私が目指すこの国のかたちは活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた『美しい国、日本』であります」と述べ、自身の著書にもある「美しい国」が第1次政権のキーワードになった。

「アベノミクス」

07年7月の参院選で大敗後に潰瘍性大腸炎が悪化し、退陣。第1次政権は1年で終わったが、12年12月に再び首相に返り咲いた。第2次政権発足後の記者会見では「大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の三本の矢で、経済政策を力強く進めて結果を出していく」と強調。この「三本の矢」に代表される経済政策は「アベノミクス」と呼ばれ、安倍政権の代名詞となっていく。

就任直後に拉致被害者の家族らと首相官邸で面会し、「この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく」と述べた。

7年8カ月の長期政権となった第二次政権では、記憶に残る発言も数多い。

13年9月にあったIOC(国際オリンピック委員会)総会の東京五輪招致のプレゼンテーションでは、福島第1原発の汚染水漏れを巡って「状況はコントロールされている。決して東京にダメージを与えることはない。五輪が安全に行われることを保証する」と発言し、物議を醸した。

東京五輪は21年夏に開催されたが、汚染水の問題は事故から10年以上たつ今もなお、解決していない。

「こんな人たちに負けるわけにはいかない」

さまざまな疑惑が報道された「モリカケ(森友学園・加計学園)問題」を巡っては、野党側の追及を受け、17年2月に国会で「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と発言した。

その年の7月、東京都議選の街頭演説。秋葉原駅前で「辞めろ」コールを浴びると、「こんな人たちに皆さん、私たちは負けるわけにはいかない」と発言したことも批判を浴びた。

野党などの抵抗勢力に対しては攻撃的な姿勢を隠さなかった。19年2月の自民党大会では「(09年衆院選で)あの悪夢のような民主党政権が誕生した。決められない政治。経済は失速し、後退し、低迷した」と述べ、「悪夢」という表現を使って旧民主党政権を強い口調で批判した。

「君と僕は、同じ未来を見ている」

首相在任中は外交分野に注力し、「地球儀を俯瞰する外交」を掲げた。

特にトランプ米元大統領とは蜜月関係を築いた。北朝鮮情勢を巡っては18年3月の日米電話首脳協議で「日米は100%ともにある」と述べ、強固な結びつきをアピールした。また、北方領土問題を解決しようとロシアのプーチン大統領とは首脳会談を重ね、19年には「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている」「ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で駆けて駆け、駆け抜けようではありませんか」と情感たっぷりのスピーチを披露した。

新型コロナウイルスの感染拡大への対応に奔走する中、自身の健康問題が再燃し、辞任を決意。20年の首相退任時には「私は政権を私物化したというつもりは全くないし、私物化もしていない。国家国民のために全力を尽くしてきた」と述べた。

首相退任後も自民党最大派閥の領袖として、政治的な影響力は大きく、その発言は度々、注目を集めた。

22年2月には米国の核兵器を日本に配備して共同運用する「核共有」政策を巡り、テレビ番組内で「日本はNPT(核拡散防止条約)加盟国でもあり非核三原則はあるが、この世界はどのように安全が守られているかという現実について議論していくことをタブー視してはならない」と述べた。