小説「夏の終り」などで知られる作家で天台宗の尼僧の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう、旧名・瀬戸内晴美=せとうち・はるみ)さんが9日午前6時3分、心不全のため京都市内の病院で死去した。99歳だった。
10月に体調を崩し入院していた。自らの不倫経験や性愛も包み隠さず著書につづり、流行作家として活躍するさなか、51歳で得度(出家)。執筆の傍ら尼僧としても精力的に活動し、ユーモラスな法話でも人気を博した。
人間の業と愛を描き、波乱万丈の人生を駆け抜けた寂聴さんが極楽浄土への旅に出た。
経歴
日本の小説家、天台宗の尼僧。代表作は『花芯』『夏の終り』『花に問え』『場所』など。
生: 1922年5月15日
没: 2021年11月9日(享年99)
1922年(大正11年)5月15日 徳島県徳島市塀裏町(現・中州町)の仏壇店を営む一家の次女として生まれる。体が弱く、本を読むのが好きな子供だった。
1940年(18歳) 東京女子大学国語専攻部に入学。大学在学中の1943年にお見合い結婚をし、翌年に女の子を出産する。その後、夫の教え子と恋に落ち、夫と3歳の長女を残し家を出て京都で生活。
1950年(28歳) 協議離婚。三谷晴美のペンネームで少女小説を投稿し『少女世界』誌に掲載される。その後、東京へ行き童話や少女小説で生計を立てる。
1957年(35歳) 『花芯』を発表するも、ポルノ小説であるとの批判にさらされ、批評家より「子宮作家」とレッテルを貼られる。
1963年(41歳) 不倫の恋愛体験を描いた『夏の終り』で女流文学賞を受賞し、作家としての地位を確立する。
1973年(51歳) 出家。尼僧としての活動も熱心で、週末には青空説法を行っていた。講演では「笑うこと」が大切であると説き、座右の銘は「生きることは愛すること」。長女とは出家後に和解したという。
2021年11月9日 瀬戸内寂聴は99年の生涯を閉じた。墓石には「愛した、書いた、祈った」と刻むことを決めていた。
瀬戸内寂聴の名言
世界中が幸せであるようにと願うなら、まずは、あなたの隣にいる人を笑顔にしましょう。
それが幸せの一歩です。
◇ ◇ ◇
自分自身の可能性をできるだけ大きく切り開いて生きること、これもひとつの幸せです。
しかし、あなたがこの世に生きて送り出されたのは、誰かを幸せにするためなんですよ。
自分の命は誰かの役に立つためにあるのだと考えれば、この世はむなしいという気持ちもなくなるでしょう。
◇ ◇ ◇
一日一日を大切に過ごしてください。
そして、「今日はいい事がある。いい事がやってくる」
「今日はやりたい事が最後までできるんだ」
この事を思って生活してみてください。
◇ ◇ ◇
一日に一回は鏡を見る方がいいです。
できればにっこりと笑ってみてください。
心にわだかまりがない時は、表情がいきいきしているはずですよ。
◇ ◇ ◇
人生はいいことも悪いことも連れ立ってやってきます。
不幸が続けば不安になり、気が弱くなるのです。
でも、そこで運命に負けず勇気を出して、不運や不幸に立ち向かってほしいのです。
◇ ◇ ◇
たくさん経験をしてたくさん苦しんだほうが、死ぬときに、ああよく生きたと思えるでしょう。
逃げていたんじゃあ、貧相な人生しか送れませんわね。
◇ ◇ ◇
人間は万能の神でも仏でもないのですから、人を完全に理解することもできないし、良かれと思ったことで人を傷つけることもあります。
そういう繰り返しの中で、人は何かに許されて生きているのです。
◇ ◇ ◇
愛に見返りはないんです。
初めからないと思ってかからないと駄目です。
本当の愛に打算はありません。
困ったときに損得を忘れ、助け合えるのが愛なのです。
◇ ◇ ◇
人に憎しみを持たないようにすると、必ず綺麗になりますよ。
やさしい心と奉仕の精神が美しさと若さを保つ何よりの化粧品なのです。
◇ ◇ ◇
人間として生まれると、他の動物にはない誇りが心に生じるのだと思います。
学校の成績より、他者の苦しみを思いやれる想像力のある人間こそ素晴らしいのです。
◇ ◇ ◇
あらゆる戦争は悪だと思っています。
戦争にいい戦争なんてありません。
私たち老人は、そのことを語り継がなければなりません。
◇ ◇ ◇
私たちの生きているこの世で起きることにはすべて原因がある、これが「因」です。起こった結果が「果」です。因果応報というように、必ず結果は来るのです。