光もヒッグスも“同じ式”で語れる?:深いところにある物理現象が共通構造で結ばれている(ナゾロジー 2025.03.03 23:00:16 Monday)
「二重性」という言葉を聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。
たとえば光が「波」として振る舞うのに加えて、「粒子」としての性質も持ち合わせる――こうした現象は物理学の授業でも有名ですよね。
このように、もともとは別々だと思われていた物理的な概念や理論が実は同じ構造を持っているとわかると、人々は驚きとともに新たな視点を得ることになります。
これが物理学でいう「二重性(デュアリティ)」です。
これまでにも、重力が関係する理論とそうでない理論のあいだで数学的な対応関係があることが見つかったり、複雑な衝突実験の結果が実は別の形で説明できたりと、いろいろな二重性が報告されてきました。
そうした例の一つとして知られる「AdS/CFT対応」は、いまでも多くの研究者が熱心に探究するテーマとなっています。
二重性は「物理を統一的に眺める手がかり」を与える非常に大切な性質なのです。
ところが最近、素粒子の世界でも新たな二重性が浮上し、物理学者たちを大いに悩ませています。
名前は「対蹠双対性(たいせきそうついせい)」と言い、いままで考えられていた力の区分や粒子の違いをまたいで、不思議な一致が見られるというのです。
発見の瞬間、研究者たちは「なぜこんなにも似ているのか」と信じられなかったそうです。
従来の物理理論では簡単には説明できないその現象に、「もっと深い法則や構造が隠れているのではないか?」と期待が膨らむ一方で、まだ正体がはっきりしないため、みんなが頭を抱えているわけです。
では、いったいどんな実験や計算の過程で、対蹠双対性が見つかったのでしょうか?
そして「もっと深いところにある共通構造」とは、いったいどんな姿をしているのでしょうか。
本コラムでは、そうした疑問を追いかけながら、“二重性”というキーワードを軸に、最先端の素粒子物理が描き出す新しい可能性を探っていきます。
【元論文】
New relations for gauge-theory amplitudes
https://doi.org/10.1103/PhysRevD.78.085011?_gl=1zztaz5_gaNDc0MDg5NTkwLjE3MjAzOTI3NTM._ga_ZS5V2B2DR1*MTc0MTAwNjAwMC44Ni4wLjE3NDEwMDYwMDAuMC4wLjE1NzM0NjM0ODI.
Perturbative Quantum Gravity as a Double Copy of Gauge Theory
https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.105.061602?_gl=1835jw7_gaNDc0MDg5NTkwLjE3MjAzOTI3NTM._ga_ZS5V2B2DR1*MTc0MTAwNjAwMC44Ni4xLjE3NDEwMDYwNDEuMC4wLjE1NzM0NjM0ODI.
ライター:川勝康弘(Yasuhiro Kawakatsu)
ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者:ナゾロジー 編集部
『全然違うはずの物理現象が全て“コピペ”!?』数式が示す不思議な二重性
素粒子物理学では、ある粒子とある粒子が衝突した結果「どのような粒子が何個生まれるのか」を調べ、その確率を数式として表すことを「散乱振幅」と呼びます。
イメージとしては、2つの玉がぶつかったときに、どんなふうに砕け散ってどんな破片が飛び出すか――その可能性を全部足し合わせるような計算だと思ってください。
この散乱振幅は、粒子の種類や力の伝わり方によって計算方法が変わり、通常は「これはこの力がはたらくからこの組み合わせ」「あちらは別の力がはたらくから、まったく違う組み合わせ」となるはずです。
たとえば「2つのグルーオン粒子を衝突させて4つのグルーオンを生成する過程」と、「2つのグルーオンが衝突してヒッグス粒子1つとグルーオン1つを生み出す過程」は、登場する素粒子が異なるため物理現象的には別物と考えられていました。
本来なら、現象を示す方程式もかなり違う形になると思われていたのです。
ちなみにグルーオンは原子核をつなぎとめる強い力の媒体であり、ヒッグス粒子は質量の起源に関係する粒子として知られています。
この2つの衝突は、「バスケボールとテニスボール」「野球ボールとピンボール」をぶつける違いとは本質的に異なります。
ボールたちはどちらも多数の粒子から構成されており、古典物理で説明できる範疇の運動をしているからです。
しかし素粒子同士の衝突は、日常的な「ボールとボールがぶつかる」話とはまったく違うレベルの現象です。
グルーオンやヒッグス粒子のような基本粒子は、その内部構造をさらに分解できない存在と考えられています。
それぞれの粒子が担う物理法則も異なるため、衝突の結果を示す方程式は通常なら全く別のものになるはずだと考えられてきました。
(※素粒子そのものが物理法則を背負っている例として、光がかかわる物理法則は光子という素粒子によって背負われています。また素粒子の質量にかかわる物理法則はヒッグス粒子、核内の強い力がかかわる物理法則はグルーオンによって背負われています)
ところが最近、スタンフォード大学のランス・ディクソン氏とその共同研究者たちは、まるで関係のないように見えた2つの散乱振幅が驚くほど似通っていることに気づきました。
最初は「そんなはずはない」「計算のバグかもしれない」と疑われたそうですが、コンピュータを使った高精度の再計算でも同じ結果が得られました。
何千、何万という複雑な項を順番に比べても、どこまでも不思議な形の対応が崩れません。
こうして「2種類の違う散乱なのに、計算式の一部が同じ構造をしている」という謎の事実が浮上し、彼らはこの現象を「対蹠双対性」と呼ぶようになったのです。
そして複数の現象が同じようにまとめられてしまう“二重性”が見つかったことで、「私たちの世界が実はもっと単純な構造をしているのではないか」「まだ明らかにされていない深いルールがあるのではないか」という新しい可能性が広がりつつあるのです。
異なる物理法則を重ねる「二重性」
実は、私たちの宇宙を解き明かすためのさまざまな理論の中には、「一見まったく違う仕組みを使っているのに、深いところでは同じ構造に行き着く」という不思議な対応関係がしばしば見つかっています。
これを総称して「二重性(デュアリティ)」と呼びます。
たとえばある理論研究では、重力がある歪んだ空間(AdS)が、重力のない平坦な世界(CFT)を比べてみたとき、普通なら全然別の理論に見えるのに、深いところでは同じ数式で記述できる――という発見がありました。
両者が「実は同じ情報を別の角度から見ているだけ」だとすると、歪んでいるはずのものと平らに見えるものが深いところで同じ数式を共有していることになります。
物理学者たちも最初は信じられないくらい不思議な発想でしたが、今では数学的な証拠や多くの計算結果が積み重なって、実際に多くの人が「この対応は本物だ」と考えるようになっています。
こうした二重性が示唆するのは「異なる見方でも結局は同じことを語っている」という可能性です。
これはたとえるなら「一枚のコインにはオモテとウラがあるけれど、実は同じコインを見ているだけ」というようなイメージでもあります。
先ほどの光の粒子としての性質や波としての性質の二重性も、同じ光というものをベースにしています。
今回、新たに注目されている素粒子の「対蹠双対性」も、まったく別の粒子が関わる2つの散乱反応が、裏表のように似た構造をしており「いくつかの法則や力の区分をまたいでも、計算上はある種の対応が成り立つのではないか」と期待されています。
もっと深いところにある共通構造とは何か?
まったく違うはずの散乱反応が実は数式レベルでほとんど同じ形をとる──物理学者たちはこの結果についていくつかの仮説を立てています。
1つ目は数学的な“隠れた対称性”の存在です。
私たちが普段目にする世界は、3次元や4次元のように決まった形で見えますが、理論上はもっとたくさんの次元があって、そこではすべてが統一されているかもしれません。
たとえば、数学の中には「左右対称」や「上下対称」といった、見た目が反転しても同じ形になる性質があります。
「見かけ上は異なる相互作用や粒子の性質も、実はより高い次元や深いレベルでは同じ対称性によって束ねられている」可能性があるのです。
たとえば弦理論や高次元時空の仮説では、普段は4次元しか見えない世界の裏側に追加の次元があって、そこで粒子や力が統一的に説明されるかもしれないと考えられています。
粒子の世界でも、表面上は違う現象が、実はこの「隠れた対称性」によって同じルールで動いている可能性が考えられています。
言い換えれば、もしそんな“余剰次元”があれば、グルーオンとヒッグス粒子の違いは、実は表面上の見た目だけで、根本では同じルールに従っているのかもしれない、ということです。
2つ目は幾何学的アプローチや「粒子散乱のDNA」と呼ばれるものです。
これはざっくり言うと、衝突後に飛び散る粒子の様子から法則発見の活路を見いだす方法です。
「膨大な可能性の一つ一つを調べる」代わりに、粒子のエネルギーや運動量などの“パターン”を“文字”として定義し、それらを組み合わせて“単語”を作り、さらに単語を集めて“文章”を構成するように数式をまとめていくイメージです。
「飛び散る粒子の“散乱”に何の意味もないのではないか?」と思うかもしれませんが、違います。
これらのパターンをよく調べてみると、じつは不思議な規則性が隠れているとわかってきました。
研究者たちも初めは信じられませんでしたが、何千、何万という計算を重ね、この対応関係が偶然ではなく必ず成り立つことを確認しました。
ここで出てくるのが「粒子散乱のDNA」と呼ばれるようになった概念です。
たとえばDNAが「A、T、G、C」という4つの文字を組み合わせて生命の情報を作っているように、粒子の衝突結果も決まった「文字(letters)と単語(words)」に分解することで複雑な式を効率よくまとめることが可能になると判明しました。
しかも、この“文字の並び”には、まるで遺伝子暗号のような「特定の並び方は許されない」といった制限があることも分かりました。
そしてこの制限が、今回の対蹠双対性とも深く関係しているのです。
この新しい方法で計算を進めると、ある粒子の衝突結果を示す式を、文字の並び順をひっくり返すだけで、まったく別の衝突結果を示す式に変えられる場合があるとわかりました。
具体的には、「2つの粒子がぶつかって4つの粒子ができる」という計算と、「2つの粒子がぶつかって1つの粒子と別の粒子ができる」という計算が、並べ替えだけで似た形になるという驚きの事実です。
これが「対蹠双対性」の核心部分であり、「まさかこんなところで2つの反応がつながっているなんて!」と研究者たちは驚きました。
素直に信じきれなかった研究者たちの中には何千、何万というたくさんの項を比較し、何千回、何万回と再計算を繰り返しましたが、それでも対応が崩れなかったため、「これはただの偶然ではない」と確信されるに至ります。
ちょうどDNAの配列を読む順番を逆にしてみたら、まったく別のタンパク質の情報が浮かび上がる──そんなイメージを抱いていただけると、この発見の衝撃が伝わりやすいかもしれません。
つまり、粒子の衝突結果には、まだ私たちが気づいていなかった深い共通の仕組みが隠れている可能性がある、ということが示されたのです。
(※他にも「アンプリチュヘドロン(amplituhedron)」という、散乱の確率をまるでポリゴンや立体の体積のように捉える手法も開発されています。簡単には説明しきれないほど奥が深いのですが、いずれにせよ、複雑きわまりない素粒子の世界で「思いがけず同じパターンが共有されている」のを見つけたのは、とてもエキサイティングな出来事でした。)
なぜ対蹠双対性のような不思議な一致が起こるのか、どんな数学や物理法則がその根本にあるのかは、まだ十分に解明されていません。
それでも多くの研究者が「ここに新しい扉がある」と信じ、計算精度を上げたり理論を拡張したり、哲学的な視点を取り入れたりしながら、この謎を解き明かそうとしています。
もしこの先、対蹠双対性を含む“隠れた共通構造”が大きく花開けば、それは私たちの宇宙観そのものを根底から見直すきっかけになるかもしれません。
いまだ正体不明のこの“共通構造”を探る道は、素粒子物理学の冒険の中でも最もエキサイティングな領域の一つと言えるでしょう。
次はやや視点を変えて、この「深いところで理論がつながっている」ということを科学哲学の分野ではどのように考えるかを紹介したいと思います。
科学哲学的にどう解釈したらいいのか?
一見するとまったく異なる世界を描いているように見える理論が、実は深いところで“同じ構造”を共有している――この「表面の違い vs. 内部の統一」という構図は、科学哲学においても大きな関心事です。
たとえば重力がはたらく歪んだ空間と、重力のない平坦な空間が同じ数式を共有するという AdS/CFT 対応のように、矛盾しそうな二つの視点が「実は同じ情報を別の角度から見ているだけなのかもしれない」という考え方を示唆するからです。
このとき、構造実在論(Structural Realism) という考え方が登場します。
これは「理論が変わっても、“背後にある関係や構造”こそが物理的世界の本質を表している」という立場です。
たとえ理論の表面(たとえば歪んだ空間 vs. 平坦な空間)が違っても、数式や場の構造が共通ならば、「私たちは実は同じ“世界”の姿を別の視点から描いているのでは?」というわけです。
たとえば、山あり谷ありの地形図と、都市の道路網を示した地図はまるで違う絵に見えても、よく見れば同じ国を示している――そんなイメージに近いかもしれません。
これに対し、道具主義(インストゥルメンタリズム) という立場も存在します。
この立場は「どれほど似ていようと、それが実際に“同じ現実”を描いているとは限らない。単に複数の理論を計算上対応づけたにすぎない可能性もある」と考えます。
「数式が当てはまっているのは事実だけれど、だからといって重力がない世界と重力のある世界が本当に“同じ”だとは言い切れない」という見方です。
これは、目の前の現象を正しく予測できれば十分であり、「理論を道具として使えればいい」という考え方とも言えます。
さらに、パラダイム論で有名なトーマス・クーンの視点を取り入れると、別々の理論や方法論が、ある次元では重ならないパラダイム同士でも、ふとしたきっかけで共有する“接点”が見いだされることがあります。
重力あり・なしというまったく異質な理論空間が、実は大きなメタ理論や高次元の枠組みではつながっているかもしれない――そうした直感を、二重性の発見は後押ししているのです。
つまり、これらの理論は完全に独立したパラダイム同士ではなく、もっと上位のレベルで一本化できるヒントが潜んでいる可能性があります。
このように、 “表面上の違いが大きい理論ほど、深層構造の一致が見つかったときのインパクトは絶大”と考えられます。
たとえば 今回の素粒子同士の衝突で見られる対蹠双対性のように、「全然違う性質を担うはずの粒子や時空が、なぜか数式レベルで結びつく」といった事実が明らかになると、「私たちの住む宇宙は思ったよりもシンプルで統一的なのかもしれない」という期待を抱かせるからです。
構造実在論的にいえば、それは“世界の本質的構造”がちらりと見えた瞬間ということになりますし、道具主義的にいえば「面白い対応だけれど、あくまで計算がうまくいくだけかもしれない」とも言えます。
いずれにせよ、こうした二重性や統一的視点の発見は、私たちが「自然は複雑そうに見えて、実は背後に大きな統一性を潜ませているのではないか」という新たな世界観をちらっと垣間見るきっかけとなるでしょう。