<小沢一郎氏インタビュー>「政権交代こそ癒着や利権構造を断ち切ることができる一番の政治改革」「舞台裏で工作を仕掛けられる政治家がいない。僕がまた本格的に動かざるを得ないかもしれない」

「小沢マジック」で誕生した1993年の非自民・細川護熙連立政権 政治・経済

【小沢一郎氏インタビュー】自民党幹部に伝えた石破政権の宿命「連立をきちんと組まない不安定な政権では有権者に迷惑、短命に終わる」

【小沢一郎氏インタビュー】自民党幹部に伝えた石破政権の宿命「連立をきちんと組まない不安定な政権では有権者に迷惑、短命に終わる」(週刊ポスト 2024.11.28 06:57)

総選挙で自民党が大敗を喫し、与党過半数割れに追い込まれた。にもかかわらず、石破茂・首相は続投。終わりの見えない閉塞感がこの国の政治を覆っているように見える。その光景は、この男の目にはどう映っているのか。政権交代を2度起こした立役者であり、「政界の壊し屋」の異名を持つ小沢一郎・衆院議員(82)だ。“3度目”への道筋があるのか、どう動くつもりなのか、フリージャーナリスト・城本勝氏が問うた。(文中一部敬称略)【全3回の第1回】

無効票“84”の意味

「この前の首班指名は、久しぶりに政権交代の絶好の機会だったのに、そのチャンスを逃してしまった。本当に惜しいことをしたよ。でも、また好機は必ずやってくるさ」

自身の事務所、衆院第一議員会館605号室。椅子に深く腰をかけると開口一番、小沢はそう言った。口惜しさと呆れが混じった口調だった。しかし、その表情は血色もよく、気力も充実しているようにも見えた──。

2021年の総選挙で初めて小選挙区で落選・比例復活となり、かつて「豪腕」とも呼ばれたその影響力の低下も囁かれた小沢だったが、自らが党代表に担ぎ出した野田佳彦のもと、10月27日投開票の総選挙で立憲民主は大きく議席を伸ばす。自身は総合選対本部長代行という要職にも就いた。久しぶりに表舞台に立った高揚感の一方、立憲民主が選挙で自民に勝ち切れなかった挫折感も入り混じっているのだろう。

首班指名について小沢はこう続けた。

「決選投票では無効票が84票でしょう。石破221票、野田160票だから、84票が『野田佳彦』と書いたら逆転できていた。政権を取れてもおかしくなかったのに、本当に悔やまれる。大きな原因の一つは、国民民主の玉木雄一郎代表。選挙で躍進してはしゃぐのはいいのだけれど、自民に寄り過ぎてしまった。これでは野党をまとめることは到底無理だった。

選挙で自公が過半数を割ったのは、有権者が自民・公明に対してNOを突き付けたということ。それなのに最初から自民に寄り過ぎては有権者の気持ちを蔑ろにしていることと同義。選挙で示された民意はどうなのか、よくよく考えなければいけない」

野党がまとまらないから、政権交代が起きない──その現象について、小沢はこうも語った。

「どういうわけか、野党が結集して政権を取りにいこうという発想が出てこない。気概と自信がない。解散総選挙も(野党が候補を)一本化できていたら、もっと勝っていたはずだが、それがなくても自公を過半数割れに追い込めた。それなのに選挙後、野党第1党の立憲民主が、他の党を説得してみんなで一致して政権を取りにいこうとならなかったのが大きい。

立憲民主のなかには、『無理に政権を取らなくてもいい』という旧社会党のような万年野党の雰囲気すらある。選挙で議席を伸ばしたと言っても、自民のエラーや四球で得点しただけで大谷翔平(のような活躍)じゃない。もっと本気で権力を取りにいかないとダメだ」

石破政権の逃れられない宿命

一方、辛くも首相続投を果たした石破に対しても、小沢の見方は厳しい。

「かつての自民ならこれだけ負ければ当然、退陣論が噴出していた。しかし、いまの自民党にはそんな気力もない。このままだとケジメもなくダラダラと石破政権が続くことになる。僕はいま立憲民主にいる立場だが、旧知の自民の幹部に『きちんとした連立にしないと政権は不安定になる。少数与党なんてそんなに甘いものじゃない。だからもっと各党と話し合って、時間をかけるべきだ』とアドバイスした。

だが結局、石破君も早く首相の座を確定させたいから首班指名を急ぎ、バタバタと決めてしまった。補正予算案でも法案でも、国民民主が賛成してくれなかったら、たちまち政権は行き詰まる。こんなに不安定な政権では有権者にとっても至極迷惑な話」

どの民主主義国家の歴史を見ても、与党が過半数を持たない政権は極めて不安定で、短命に終わることが多い。石破政権も、その宿命からは逃れられないだろう。一方で、野党もまとまることができなければ、まさに「宙ぶらりん」の政治状況が続くことになりかねない。

それでは打つ手はないのか──そう尋ねると小沢は少し考えて言った。

「いまは、みんな茫然とした状態で気力も何もないからね。とはいえ、石破政権も不安定な状態が続くことになる。政権交代の好機は、近々必ずやってくる」

(第2回に続く)

【2度の政権交代を成し遂げた小沢一郎氏を直撃】舞台裏で工作を仕掛けられる政治家がいない…「僕がまた本格的に動かざるを得ないかもしれない」

【2度の政権交代を成し遂げた小沢一郎氏を直撃】舞台裏で工作を仕掛けられる政治家がいない…「僕がまた本格的に動かざるを得ないかもしれない」(週刊ポスト 2024.11.28 06:58)

総選挙で自民党が大敗を喫し、与党過半数割れに追い込まれた。にもかかわらず、石破茂・首相は続投。終わりの見えない閉塞感がこの国の政治を覆っているように見える。その光景は、この男の目にはどう映っているのか。政権交代を2度起こした立役者であり、「政界の壊し屋」の異名を持つ小沢一郎・衆院議員(82)だ。“3度目”への道筋があるのか、どう動くつもりなのか、フリージャーナリスト・城本勝氏が問うた。(文中一部敬称略)【全3回の第2回】

「玉木首班」の可能性

次の政権交代のチャンスはいつやってくるのか。政界では、来年夏の参議院選挙が一つの山になるという声が多いが、小沢はこう予想する。

「まず野党や有権者の危機意識がもっと高まることが大前提だ。そして、そのポイントの一つは内政の問題で言えば、例えば予算委員会。国民民主が主張する『103万円の壁』引き上げも、複雑な協議をまとめて国会を通すのはそう簡単ではない。国民民主を入れても絶対安定多数には到達しないからね。来年に向けて税制改正や本予算の編成もある。不安定な政権のままだと、いつ行き詰まってもおかしくない。

もう一つは緊迫する対外情勢。一番怖いのはトランプ次期大統領の存在だ。彼が主張する関税10~20%が実現したら、日本の経済には深刻な打撃になり、国民生活も影響を受ける。政治不信もさらに高まるだろう。少数与党で不安定な石破政権では行き詰まるのは目に見えている。その時が一つのタイミングになる」

小沢は2度政権交代を実現した。最初は1993年の非自民・細川護熙連立政権、2度目は2009年の民主党政権だ。

特に1993年は、比較第一党の自民党に対して、野党勢力を糾合して非自民・非共産の8党派からなる連立政権を樹立した。一人で水面下の工作を続け、少数政党の細川を担いで野党を一気にまとめあげた手法は「小沢マジック」と呼ばれた。

野党を糾合して政権交代を実現するためには何が必要なのか。小沢は当時を振り返りながらこう語る。

「1993年の時は、野党第1党の社会党の委員長(山花貞夫氏)でも、第2党の新生党の羽田孜代表でもなく、細川さんをトップにしたからまとまった。当時は社会党だって『羽田さんでいい』と言っていたのだが、僕は、それでは危ない(まとまらない)と思っていた。細川さんならいけるという確信があった。

二度目の政権交代で民主党政権をつくった時も、僕は代表を辞して代表代行として選挙に専念したから勝てた。政権を取った後は、僕が検察の意図的な妨害で表に出なかったことで政権運営がうまくいかずに民主党政権がつぶれてしまったが……。結局、こういう時は、『自分が、自分が』とやっていてはまとまるものもまとまらない。それぞれが我慢を覚えることが大切で、大きいところほど自分を殺し、相手に譲らなければならない。自分のことばかり言っていたら、他はついてこない。大事をなすには身を捨てる覚悟が必要。

いまの政治状況なら、例えば最大野党の党首である野田さんが譲って、連立政権のトップは少数政党の党首とすることにより、まとめやすくなる。その意味では、玉木首班という目もあるにはあったが、初めから彼がはしゃぎ過ぎたし、スキャンダルも出てしまったから、なかなか難しい」

過去2回の政権交代は小沢の舞台裏での工作が原動力になった。いま、そんな工作を仕掛けられる政治家はいるのか──そう問いかけると小沢はこう漏らした。

「1993年の時の僕のような存在がいまいるかって? それがいないから困ってる。権力を取るために動こうという熱意も意欲もない政治家ばかり。どうしてこういう状況になってしまったのか。僕もいまは与野党の政治家と水面下で話し合っているだけだが、『仕掛け』のタイミングがきて、他にやる人間がいなければ、僕がまた政権交代に向けて本格的に動かざるを得ないかもしれない」

【政治家として政権交代にこだわる理由】小沢一郎氏インタビュー「政権交代こそ癒着や利権構造を断ち切ることができる一番の政治改革」

【政治家として政権交代にこだわる理由】小沢一郎氏インタビュー「政権交代こそ癒着や利権構造を断ち切ることができる一番の政治改革」(週刊ポスト 2024.11.28 06:59)

総選挙で自民党が大敗を喫し、与党過半数割れに追い込まれた。にもかかわらず、石破茂・首相は続投。終わりの見えない閉塞感がこの国の政治を覆っているように見える。その光景は、この男の目にはどう映っているのか。政権交代を2度起こした立役者であり、「政界の壊し屋」の異名を持つ小沢一郎・衆院議員(82)だ。“3度目”への道筋があるのか、どう動くつもりなのか、フリージャーナリスト・城本勝氏が問うた。(文中一部敬称略)【全3回の第3回】

嫌われてでも信念を通せ

野党結集が一向に進まない事情について、野党内からは「そもそも基本政策が一致しないのでは、選挙協力もできない」といった声が根強い。

そうした声について小沢はこう反駁する。

「『政策の不一致』を理由に各党が協力を拒んでいるが、それはあくまで建前論だ。政治は権力闘争であり、権力を取らない限り、やりたい政策は実現できない。そう言うと『権力亡者だ』と批判されるが、きれいごとばかり言っていても、政権を取らないことには自分たちの主張を実現できない。

だから政党、政治家は政権を取るということを『いの一番』に考えるべきだと思う。欧州における連立政権を考えてみてもらいたい。多少の政策の違いがあっても右も左もそれぞれ連携して政権を作っている。個別の政策は政権を取ったうえですり合わせればよい」

政策が一致しなければならない──この言葉が野党の一本化を阻んで、自民党の長期政権を許してきた。そして、それが長期政権の緩みと腐敗を生み出してきた。

「結局、何のために政権交代が必要か、ということがまったく分かっていない。いまの自公政権のように、長期政権になると、いろいろな利権構造が固まって必ず腐敗が進む。原発の問題一つとっても、省庁や電力会社などの企業、学者が利権を通じて裏でしっかり結びついている。

この癒着を断ち切るには政権を代えるしかない。先ごろ海上自衛隊の癒着疑惑が問題になったが、これも自衛艦などを建造できる企業が限られているからだ。こうした長い時間をかけてできあがった癒着や利権構造を断ち切ることができるのは政権交代だけ。僕は、それを言い続けているのだが、なかなか理解されない。何兆円という予算を無駄に使っているのに、そのことに多くの人が気付かない。政権交代こそ一番の政治改革というのはそういう意味だ。

しかし、マスコミは『政権交代よりも政策の実現だ』という主張のほうが目立つし、政治家もみんないい子ちゃんばかり。嫌われたくないのだろう。本気で改革をしようとすれば目の敵にされるから。

明治維新でも西郷隆盛の人気は高かったが、本当の意味で維新が成し遂げられたのは大久保利通の力が断然大きい。だが、国のため徹底して改革を推し進めた大久保は嫌われた。いまの政治の世界に置き換えても同じことだ。人気や評判が良いのはめでたいことだが、時には国家国民のために人から嫌われてでも信念を押し通す政治家が出てこないと大事は成せない」

極右・極左が台頭の懸念

そして、小沢は有権者にもこう訴える。

「これはマスコミも悪いが、日本人の特性でもある。いまは生活に困らないから危機意識がない。日々なあなあで何となく暮らしていける。しかし、それこそ『ゆでガエル』の状態で、ズルズルとまずい方向に進んでいる。これが、本当に国民生活が脅かされるような事態が起きて、その時に政権が機能しないとなったら、大変なことになる。あまりそういうことを想像したくないが、そんな危機が起きるかもしれない」

小沢は最後に政治を憂うような口ぶりでポツリとこう言った。

「極端に言えば、本当は自民も野党も含めてガラガラポン(政界再編)したほうがよいのかもしれない。自民も高市早苗君のような極右がいてどうもすっきりしないし、立憲も右と左の寄せ集め。考え方に違いがあるのはいいが、バラバラのままでまったくまとまらないというのでは、政策は一向に実現できないから国民の不満は高まるばかりで、いずれ米国のトランプや欧州同様に日本でも極右や極左のような極端な勢力が国民の不満の受け皿になって台頭することになる。

これに対外的な危機で民族意識が刺激されると、普段おとなしい日本人でも予想も付かない考えに走ってしまいかねない。歴史的に見てもそうだ。そうなれば、日本も混乱が避けられない。政治家もひいては国民も、もっと危機感を持ってほしい」

そう語る小沢の表情は、82歳の老政治家らしい穏やかさを感じさせたが、それでも言葉の端々からはなお権力闘争にかける執念や政権交代を起こすべく密かに与野党の政治家と接触していることが窺われた。

政治の閉塞感が続くなかで、果たして3度目の政権交代を起こす立役者となるのか。政界の長老となったいま、その時間は限られている。

※週刊ポスト2024年12月6日・13日号

城本勝(しろもと・まさる)
1957年、熊本県生まれ。ジャーナリスト。一橋大学卒業後、1982年にNHK入局。福岡放送局を経て東京転勤後は、報道局政治部記者として自民党・経世会、民主党などを担当した。2018年退局後、日本国際放送代表取締役社長などを経て、2022年6月からフリージャーナリスト。著書に1993年の政権交代の舞台裏を描いた『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』(小学館)がある。