長崎原爆の日 脱・核抑止論へ共に行動を(中國新聞 2023/8/10 最終更新: 2023/8/10)
長崎もまた、核抑止論からの脱却を訴えた。
きのう長崎市であった平和祈念式典は台風接近で規模を縮小しつつ、鈴木史朗市長が就任後初めての平和宣言を読み上げた。核兵器保有国と「核の傘」に依存する国のリーダーに向け、はっきりと「勇気を持って決断すべき」と求めた姿勢は心強い。
広島原爆の日に核抑止論を否定した広島市の松井一実市長、広島県の湯崎英彦知事と同じく、被爆地が今、発信しなければならないメッセージと判断したのだろう。なおのこと核戦争の危機を痛感させられる。
ロシアのウクライナ侵攻で明確になったのは、核兵器に依存する限り、恐怖から逃れられない現実だ。核兵器を持てば安全が保てるとの核抑止論は、理性的な判断力に乏しいリーダーがいれば破綻する現実もあらわになった。それでも先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)の核軍縮文書「広島ビジョン」は、核抑止論を肯定した。
だが長崎の平和宣言が強調したように、米国による原爆投下後の78年間、核兵器を使わせない「抑止力」となったのは被爆者の声である。身をもって非人道性を訴え続けてきたからに他ならない。
G7サミットを広島で開いた意義といえば、米英仏の核保有国を含む政治リーダーが原爆資料館を訪れた点だろう。長崎にも行って確かめてはどうか。被爆の実態を知ることは核を使わない唯一無二の歯止めであり、核廃絶こそが人類を持続可能にできる選択肢である。核なき世界を目指す合意が成果と強調するからには、そのための具体的な行動に踏み出すべきだ。
被爆者がいなくなる日は近づく。長崎で核廃絶運動をけん引し、6年前に亡くなった被爆者の谷口稜曄(すみてる)さんの言葉が平和宣言を通して重く響いた。「私は忘却を恐れます。忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます」。被爆体験を継承し、長崎を最後の被爆地にできるのか、私たちも問われている。
次世代にどう響かせるのかに知恵を絞りたい。若い人に核抑止論を肯定する人が増えているのは、自らも被爆者になりかねないとの想像が及ばないからではないのか。
長崎では「被爆体験者」の救済が課題となっている。原爆に遭いながら、国が指定した援護対象区域の外にいて被爆者と認められていない人たちだ。医療費などの援護策に大きな隔たりがある。
広島では、国指定区域外で原爆投下後の「黒い雨」に遭った人も、特定の病気発症で被爆者と認める新基準の運用が昨年4月に始まった。一方で国は長崎の被爆体験者を巡って今年1月、客観的な記録がないとして被爆者認定を否定する見解を示した。平和祈念式典で鈴木市長と長崎県の大石賢吾知事が改めて救済を求めたのは理解できる。
国は国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館にある被爆体験記の調査を始め、当時の雨や灰の降下状況を検証するという。援護策に差をつけない手だてに結びつけてほしい。