資本主義が静かに衰退を始めていると言えるワケ 「世界経済の3つの謎」をどう考えばいいのか(東洋経済ONLINE 2022/12/10 6:30)
小幡 績 慶應義塾大学大学院准教授
資本主義は崩壊しないが、今、静かに衰退を始めている。
「近代資本主義が終わった」と歴史的に認識されるのは、22世紀かもしれない。だがそのとき、「衰退が始まったのは21世紀初頭からだった」と明らかになるだろう。
「近代資本主義の終焉」でとらえる「世界経済3つの謎」
なぜ、資本主義が衰退を始めていると言い切れるのか。それは、そう考えれば、現在の経済的な常識、経済学では説明できないことの多くが、一貫したストーリーとして描くことができるからだ。
現在、世界経済は3つの大きな謎に包まれている。
第1に、2008年の世界金融危機(リーマンショック)後、長期停滞論が台頭してきた。先進国の成長経済は終わってしまったのか。21世紀に入って、なぜ急に成長が終わってしまったのか。これが第1の謎である。
第2の謎は、なぜ急にインフレーションが起きたのか、ということだ。
先進国経済は、低成長かつ不況でありながら、インフレーションが40年ぶりの水準まで高まっている。不況にもかかわらず、賃金は上昇している。失業率は低いままである。なぜ、低成長かつ不況なのに、インフレーションが起きているのか。賃金が上昇し、失業率が低いのはなぜか。これが第2の謎である。
第3は、格差拡大の謎である。1970年代までは、格差といえば南北問題であり、先進国と発展途上国の所得格差の拡大であった。経済理論では、途上国が安価な労働力で生産を拡大し、自由貿易が行われれば、キャッチアップがすぐに実現するはずであった。
実際には、そうはならなかった。20世紀末には、国家間の格差が理論と異なり現実には解消されないことが、開発経済学における最大の謎であった。ところが、21世紀になると、多くの途上国が著しい経済成長を遂げ、新興国と呼ばれるようになった。突然、21世紀にはキャッチアップが実現し、謎でなくなった。その一方で、1973年のオイルショック以降、国内の格差が拡大を始め、21世紀にはその差を急激に広げてきた。
なぜ、21世紀になって、20世紀には起こりえないと思われていた国家間の経済格差が急に縮小し、一方で、1973年以降、国内の格差が急激に拡大したのか。これが第3の謎である。
これらは、近代資本主義が終わろうとしている、ととらえれば、構造的に説明できる。
近代資本主義は事実上、1492年に始まった。クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に流れ着いた年である。コロンブスだけでなく、金(カネ)を稼ごうと、多くの西欧の冒険家が世界へ渡っていった。いわゆる大航海時代の始まりだ。近代資本主義とは、移動、拡大、膨張の時代のことである。
「2つの外部」が近代資本主義を動かした
西欧諸国は、略奪、征服、交換で、そのほかの地域から富を奪った。奪った分だけ経済は拡大した。
閉じていた経済では、技術革新があっても、品質が改良されるだけで、その改良分を以前よりも多く払うことはできない。所得は変わっていないから、その財に払える価格は前と同一で、その場合、経済的には価値は同じ(不変)となり、経済は拡大しない。よって経済成長もない。これが、中世までの繰り返しの循環経済である。
それが1492年以降、外部が生まれたことで、外部からの富の流入が経済の拡大をもたらした。所得が増えたから、払う総額も増えた。これに呼応して、売れる商品を作り始めた。
そして、17世紀には、さらなる経済のテイクオフ(離陸)が起きた。ぜいたくの始まりである。ヴェルナー・ゾンバルトが『恋愛と贅沢と資本主義』で主張する、近代資本主義の本格的な始まりのメカニズムである。伴侶や恋人を見せびらかすための宮廷でのパーティというものが「発明」されたことによる需要増加である。
それまでは、妻や恋人は人目につかないように隠していたが、彼女たちを着飾らせて、躍らせて、みなに見せびらかす、ということが始まったのである。ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世が妾のラ・ヴァリエールのために造り、そこは豪華絢爛に飾り付けられ、パーティが行われたと言われる。「国王に負けじ」とそのほかの貴族たちも妻や妾を着飾らせ、パーティで見せびらかした。女たちも、影の存在から一躍主役として舞台に踊り出た。ぜいたくは無限に膨らんだ。
これこそが、近代資本主義を膨張軌道に乗せた、循環経済の外部からの有効需要の注入であった。2つの外部の存在が、近代資本主義を動かしたのである。
略奪、交換の対象となる外部の経済。植民地の経済。ここからの富の流入が新しい需要になって、経済を膨張させた。中南米の銀山からのマネーの流入がインフレを起こしたといわれるが、銀はマネーであると同時に、銀という富だったから、現在の中央銀行のマネーサプライと異なり、実体経済をも膨張させたのである。
そして、西欧の各国内でも、循環経済の外から富が流入した。国王や領主貴族がため込んだ富を、ぜいたくとして消費した。宮廷の周りの職人たちは、宮廷のぜいたく需要で所得を得た。これが支出され、経済は循環でなく膨張を始めた。
革命が起きても、この膨張は止まらなかった。何より、ブルジョワジーたちが堂々と貴族のマネを行ったからである。ぜいたくは、経済の富裕層全体に広がった。経済の膨張、つまり、バブルは始まった。近代資本主義というバブルは完全にテイクオフしたのである。
19世紀の途中まで富の投入は限定的だった
しかし、ここに、さらなる深い謎が生まれる。それならば「なぜ19世紀後半まで経済成長が起きなかったのか。同様に、なぜ19世紀半ばまで人口もはっきりとは増加しなかったのか。産業革命は18世紀にとっくに始まっているのに、数多くの技術革新が起きたのに、なぜ本格的な人口増加や経済成長が始まらなかったのか」ということだ。
上述の需要増加は、第1が外部からの略奪品、交易品であるが、これらは庶民のための必需品ではなく、富裕層のための嗜好品あるいは交換用の商品や商品作物である。第2のぜいたく需要は、まさにぜいたく品である。これらの獲得、生産のために資源と労働が投入された。
つまり、富は、衣食住という生存維持水準の必需品需要を満たすためには投入されなかったのである。だから人口は増えなかった。作物の収量が増えても、人口増加は一時的で、いわゆるマルサスのわな、つまり、食料生産の増加と人口増加のスピードは、前者が算術級数的であるのに対し、後者が幾何級数的であり、圧倒的に大きいから、すぐに食料が不足するようになった。その結果、人口が増え続けることはなかったのである。
一方、ぜいたく品の生産は増え、富裕層の消費は増えていった。しかし、経済全体で見れば、それは限られていた。だから、経済成長も人口増加も全体としては起きなかったのである。
これが一気に変化したのが、19世紀後半である。19世紀前半に多くの必需品に関する発明が行われた。電信、電気、そして電話。蒸気機関は内燃機関となり、内燃機関が動力として使われるようになった。これが欧米の経済を一新した。
では、それまでのぜいたく品生産、ぜいたく品需要と何が違ったのか。これらの技術革新は、交通・通信革命であったのだ。また、それ以前の技術革新とは何が違ったのか。それらの技術革新は時間を節約したのである。人々の時間に余剰をもたらしたのである。
ぜいたく品の生産、資源をぜいたく品に変えること、これはただの変形にすぎない。普通の服がきれいな服、豪華な服に変わるだけである。しかし、交通・通信革命で移動や意思疎通の時間を大幅に短縮することに成功すると、生産のための最大のリソースである時間が余る。これが新たな財の生産に向かい、経済全体の生産量は飛躍的に増加したのである。
一段と時間の節約が進んだ20世紀
さらに、20世紀になると、家事労働革命が起きる。水をくみに行かずに上下水道により家庭に水が届き、廃棄が行われる。洗濯機、掃除機、冷蔵庫により、それまでほとんどの時間を家事に使っていたのが、ほかの仕事ができるようになる。ミシンの普及により裁縫の時間も激減する。
また、農作業の時間が増え、賃金がもらえる仕事ができるようになる。農業にも動力が使われるようになり、生産力が増加する。冷蔵船のさらなる発達により、植民地から食料、とりわけ肉が輸入できるようになる。このように、衣食住の効率が大幅に上昇し、庶民の時間も余るようになる。それが労働投入増となる。よって生産力は急増する。
そして、自動車の普及である。移動時間が減る。馬のための施設、土地、汚物処理が要らなくなる。土地が余り、時間が余り、労働が増える。生産力が急増する。
これで、99%の庶民も含む社会全体の人々の生活水準が上昇し、市場向けの生産のための労働力の投入量が急増したのである。これで経済は急成長を始めた。そして、人口も、マルサスのわなを超えて増加を続けるようになった。これが、19世紀後半からの高成長時代の第1の経済成長である。
では、次の第2の成長とは何か。それは、庶民の時間が余るということである。
第1の成長と同じに見えるが、まったく違う。逆側である。すなわち、庶民は家事労働などから解放され、農作業の時間も増やし、賃金を得ることのできる外での労働時間も増やし、所得を増やした。さらなる技術進歩による必需品の効率的な生産がさらに進んだ。この効率化により、さらに庶民の時間が余った。
そして、余暇が生まれた。娯楽、レジャーの誕生である。庶民が、かつての国王、貴族のぜいたく、ブルジョワのぜいたく、それにならって、余った時間を消費活動に費やすようになった。エンターテインメント消費が誕生した。
これで消費が爆発した。庶民までがぜいたく品を消費するようになった。つまり、技術革新により必需品の生産の効率化が進み、時間が余り、第1には労働投入時間の増加となり所得を増やしたが、第2には、余った時間をぜいたく消費に充てるようになり、消費が増大したのである。
まず供給力が増え、次に需要が増えたのである。ここに成長は加速した。これがアメリカの20世紀の成長であり、日本の高度成長である。
「新しい」が価値そのものになった
しかし、これはオイルショックで止まった。必需品生産の効率化、必需品の技術革新による進歩が一巡して終わったのである。
いや、本来は、さらなる必需品の技術進歩も、物理的、技術的には可能だった。しかし、それは経済的には合理的ではなかった。なぜなら、すべての人々がぜいたく品の消費を始めたからだ。ぜいたく品は好奇心をひきつけ、目新しさが欲望を刺激したからだ。
新しいぜいたく品、イノベーションという名の下に、次々と新製品を売りつけるほうが手っ取り早く売れた、儲かったからである。必需品はみなが経験済みである。だから、本当に進歩しているか、必要な新製品か、誰にでもわかるから、ごまかしが利かない。役に立つ技術進歩が難しいのである。
一方、新しい製品は、要は新しければよかった。役に立たなくても、エンターテインメントだから、必要でないものであり、ただ楽しむもの、物欲を満たすものであればよかったから、生み出すのは簡単だった。
ここに広告やマーケティングが発達し、ブランド戦略が発達した。差別化というのが、企業の最も重要なキーワードとなった。必需品であれば、差別化というものは存在しなかった。差は関係なく、絶対的に役に立つかどうかがすべてであったからだ。
これが、現在の第3の経済成長段階である。次から次へと新製品が生み出され、「新しい」ということが価値そのものとなったのである。
そして現在、これは最終段階を迎えている。なぜなら、人々は「新しい」こと自体に価値を見いださなくなってきたからである。つまり、「新しい」ものに飽きたのである。「新しいもの」を消費することは「新しく」ないのである。新しいものを消費することの繰り返しに飽きたのである。
これに企業はどう対応したか。
新しいぜいたく品を売りつけても、人々は飽きている。あるいは、すぐ次の新しいものに移る。賞味期限が短くなっている。これでは、持続的に儲けられない。
そこで、単なるぜいたく品ではなく、ぜいたく品を必需品に仕立て上げ、すべての人々に永続的に消費させるようにしたのである。必需品たるぜいたく品、やめられないぜいたく品、そう、すべては「麻薬」になったのである。
かくして「麻薬」は途上国へ
現在の経済成長は、次々と新しい麻薬を生み出して、本当は必要のないぜいたく品を必需品に仕立て上げて、消費を増大させ続けようと、企業がしのぎを削っているのである。
それが、テレビ番組であり、ゲームであり、スマートフォンであり、SNSであり、動画投稿である。スマホは便利だが、本当の必需品は電話やメールだけといってもいいくらいである。仕事や家族間の連絡が取れれば十分だ。しかし、スマホのほとんどの機能、99.9%はそれ以外のエンターテインメント、暇つぶし、寂しさを紛らわすためにある。
麻薬経済の到来である。ということは、みなが中毒になり、社会はおかしくなる。近代資本主義社会は衰退せざるをえなくなるだろう。
このように考えてくると、冒頭の3つの謎がわかるはずだ。第1の先進国が低成長となった理由は明らかだ。新しいぜいたく品を人々は必要としなくなったのであり、麻薬にも限界があるから、消費はこれ以上増えないのだ。だから、量的拡大という経済成長は起きない。
第2に、経済が拡大しないのに、働き手が不足し、インフレが起きるのはなぜか。ぜいたく品と麻薬の生産にかまけたため、必需品の生産が手薄になり、必需品を提供する労働力も不足するようになったからである。しかし、必需品は儲からないから、それを生産する企業は増えない。よって、食料、資源、単純労働、サービス労働の価格高騰が起きる。
第3に、富裕層は、必需品が高くなっても購入できるから問題ないが、貧困層は生活に苦しむ。実質的な格差が拡大する。新しい製品への開発投資に金が向かわないから、投資はほとんどが金融市場に向かう。金融市場に多額の資金が流入すれば、当然値上がりする。バブルになる。富裕層は、資産を増大させる。
ただし、これは評価額にすぎず、このバブルが持続不可能になったときに崩壊する。ただし、庶民にも投資を勧める社会となっているから、ババをつかまされるのは庶民かもしれない。暗号資産でそれは始まっているが、ほかのリスク資産にも波及するだろう。よって、国内の富裕層と貧困層の格差は広がる。
一方、途上国はまだ前述の経済成長の第1段階および第2段階だったから、高成長が続いた。必需品が普及し、効率化する過程にあった。だから、国家間の格差は縮まったのである。
しかし、まもなく彼らも麻薬経済の第3段階の成長局面に入ってくるだろう。そして、世界全体で近代資本主義は衰退していくのである。
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小幡 績(おばた せき) 慶應義塾大学大学院准教授
株主総会やメディアでも積極的に発言する行動派経済学者。専門は行動ファイナンスとコーポレートガバナンス。1992年東京大学経済学部首席卒業、大蔵省(現・財務省)入省、1999年退職。2001~2003年一橋大学経済研究所専任講師。2003年より慶應大学大学院経営管理研究学科(慶應義塾大学ビジネススクール)准教授。2001年ハーバード大学経済学博士(Ph.D.)。著書に『アフターバブル』(東洋経済新報社)、『GPIF 世界最大の機関投資家』(同)、『すべての経済はバブルに通じる』(光文社新書)、『ネット株の心理学』(MYCOM新書)、『株式投資 最強のサバイバル理論』(共著、洋泉社)などがある。