「かあちゃん、必ず助ける」曽我ひとみさんが千葉で講演 北の新たな談話は「聞き捨てならない」

拉致問題について講演する曽我ひとみさん=2日、千葉県袖ケ浦市の袖ケ浦市民会館 社会

「かあちゃん、必ず助ける」曽我ひとみさんが千葉で講演 北の新たな談話は「聞き捨てならない」(産経新聞 2024/3/2 20:41)

北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさん(64)が2日、千葉県袖ケ浦市の袖ケ浦市民会館で「この21年を振り返って思うこと」と題し、講演した。母親で日本に帰国できていないミヨシさん=拉致当時(46)=とのいくつもの思い出を明かし、ミヨシさんも含め拉致被害者全員の早期救出を訴えた。北朝鮮が日本人拉致問題を解決済みとする立場を崩さないことに、怒りをあらわにした。

「北朝鮮のことは生涯、許すことができません」

曽我さんはこう語った。

昭和53年に新潟県佐渡市でミヨシさんとともに買い物の帰り道を拉致された。曽我さんは平成14年に帰国した。ミヨシさんの安否は不明なままだ。昨年12月、92歳になった。

「私の職場(老人福祉施設)で同じ年代の人がいると、『母はどんな暮らしをしているだろう』と母を想像する。心配の種は尽きません。コロナ禍では、高齢の母を思うと、いてもたってもいられなかった」

「母は昼も夜も働いていた。私と妹を学校に送ると工場へ。愚痴の一つもこぼさず、いつも笑顔を絶やさない、心の広い人でした」

「6歳のころ、母が迎えにきてくれ、自分の角巻(毛布の肩かけ)に私を入れてくれ、寒さから隠してくれた。母のぬくもりが私に移ったあの時を、今も忘れることはありません」

「私がたんすのお金を持ち出し、セーターを買ったときに私をしからず、『服の一つも買ってあげられなくて』とわびていた。娘におしゃれをさせたくても経済的余裕がなく、応えられない負い目があったのかと思うと、母にとんでもないことをしたと、自分がふがいなく、『母にこんな思いをさせてはならない』と、そのとき、誓いました」

会場には約650人の聴衆が集まったが、曽我さんのミヨシさんへのあふれる思いに時折、はなをすすり、涙をぬぐう人もいた。

講演では、平穏な生活の全てが奪われたうえ、見知らぬ地で監視下に置かれ続けた、24年間の自由のない暮らしも語られた。

今年2月15日に金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記の妹の金与正(キム・ヨジョン)党副部長が、日本人拉致問題を「障害物」としなければ、「岸田文雄首相が平壌(ピョンヤン)を訪問する日が来るかもしれない」とつづった談話を発表したことには「聞き捨てならない。あくまで拉致被害者全員の帰国が目標だ」と批判した。

最後に、こう結んだ。

「かあちゃん、今、どこにいますか。かあちゃんが一日も早く佐渡に帰ってこられるよう、私も元気でいなきゃと思っています。かあちゃんに『おかえり』と言いたい。必ず助けます」

講演会は自民党袖ケ浦市支部が主催した。