2350億円の無駄では済まない「大阪万博」 中止こそが日本を救うと断言できる3つの理由…古賀茂明

2025年大阪・関西万博予定地の夢洲(左)。手前は咲洲。右上は舞洲 政治・経済

2350億円の無駄では済まない「大阪万博」 中止こそが日本を救うと断言できる3つの理由 古賀茂明(AERAdot. 2023/10/17/ 07:00)

大阪・関西万博中止が日本のためだというと、巨額の財政負担の話だと思うかもしれない。

確かに、万博の会場建設費用は、当初の1250億円が1850億円に引き上げられ、さらにこれが2350億円に増額される見込みだ。当初の1.8倍というのだから、いい加減にしろという声が上がるのも無理はない。

この他にも、カジノ開業も含めて、土地の整備費で当初予定になかった土壌汚染対策などの790億円を大阪市が負担することになったことが、「嘘つき」という批判を浴びた。

交通インフラ整備でも、万博へのアクセス道路となる高速道路の工事費は、当初の1162億円が2.5倍に膨らむ。大阪メトロの延伸工事でも250億円が346億円に増額されるなど、公的負担は拡大の一途だ。

つい最近も、警備費が増額されると発表されたが、なぜか国が200億円支出するということになった。

ここまでは、万博に直接関わる経費の問題だが、こんな大金を使って万博を開催して何の役に立つのかという声は大阪だけでなく、むしろ全国に広がっている。

そもそも、今どき万博なんて発想が古い。万博はオワコン。昭和のオヤジのノスタルジア。子育て支援などもっと有意義な使い道があるだろう。日本の財政は火の車なのに。などという批判が人々の心をとらえている。私もそのとおりだと思う。

別の視点からみても万博は中止すべき

今回は、そうした批判に加えて、さらに別の視点からみても大阪・関西万博は直ちに中止すべきだということを指摘したい。

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需要喚起すると、物価はあがり、人手も不足する

日本経済全体にとってマイナスばかり

前置きが長くなったが、ここから万博の話に戻ろう。

現在、需給ギャップが概ねゼロというのは経済全体の話だが、実は、建設土木分野では、以前から、明らかに需要超過の状態が続いている。資材価格も上がり、人手不足も深刻だ。このため、マンションも戸建て住宅も建設コストが上がり、家を買いたいという庶民にはとても手が出ない状況になっている。店舗や工場建設のコストも同様だ。

こんなときに、開幕に間に合わないのは確実と言われる万博のパビリオンの建設を何が何でも間に合わせようということになればどうなるか。当然、全国から業者や労働者を集めて突貫工事になる。そうすると、例えば、熊本で進んでいるTSMCの巨大工場建設や札幌で進むラピダスの工場建設などの工事との競争になり、ただでさえ高い工事費用は天井知らずに上がる可能性が極めて高い。住宅建設にも、また、民間のその他の工場や店舗などの建設にも影響は波及する。

住宅価格が上がれば売れ行きにブレーキがかかり、また、庶民は住宅をますます買えなくなる。設備投資を先延ばししたり規模を縮小したりする企業も増えるだろう。これはもちろん、日本経済全体にとってマイナスだ。

万博をやめれば日本のためになる

万博をやっても、終われば取り壊すだけ。大阪万博でも太陽の塔は残ったが、それ以外は一時的な夢をみる空間として機能しただけだ。

一方、住宅建設をすれば、住民の住生活向上に貢献し、工場建設が進めば、新しい産業や雇用が生み出される。

しかも、万博は巨額の財政赤字を残すのに対して、民間投資なら公的債務は増えず、産業活動が拡大すれば借金ではなく税収が増える。だから万博をやめれば日本のためになると言えるのだ。

万博に関してはもう一つ懸念がある。それは、労働基準法に定められた残業規制を緩和しろという圧力が高まっていることだ。人手不足の中で工期を短縮するために一人の労働者により長く働いてもらいたいということなのだが、そんなことをすれば、労働者の健康を守り、人間的な暮らしを保障するために最低限の規制をするという労働基準法の目的に真っ向から反することになる。

大阪・関西万博は、国家の一大事業だからというのだが、そのために労働者の健康や安全を犠牲にしろという主張が出てくること自体、この万博がいかに時代錯誤の産物かを物語っている。

大阪・関西万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」だが、そのために労働者が「いのちを削る」ことになるのだ。開いた口が塞がらない。

万博は夢を広げると言うが、その逆になる

主催する協会や自民党の要望に対して、さすがに維新や政府は今のところ慎重姿勢だ。しかし、現場の規制当局が取り締まりを行おうとしたときに、万博の開幕に間に合わなくても良いのかというような圧力がかかることは十分あり得る。こうしたことにも十分目を光らせていくことが必要だ。

最後に、もう一つ心配がある。

万博は夢を広げると言うが、実は、その逆になるのではないかという心配だ。現在のところ、世界の目を引くような万博の目玉はほとんどない。空飛ぶ車がデビューすると言っていたが、今や、世界中で空飛ぶ車が飛び始めている。

企業の新技術や新製品の紹介は、昔と違い、万博などなくても日夜世界中で行われる展示会やネット配信で拡散されている。大阪・関西万博よりも、中国の一都市で開かれている様々な展示会の方がはるかに夢があり先進的なものになるかもしれない。

万博に大した魅力がないとなれば、日本の「終わり」を宣伝することになりかねない。それでは、「祭典」どころか「葬儀」ではないか。

「維新の威信がかかっている」などという冗談を言っている場合ではない。

どう考えても、万博はやめるべきだ。もちろん、早ければ早いほど傷は浅くてすむ。

と言っても、2025年4月の開幕まであと1年半。ここまで来てやめるのは無理だと思う人も多いだろう。

しかし、つい最近、国の威信をかけた巨大プロジェクトの一部をやめたというニュースが世界の注目を集めたことをご存じだろうか。

巨大プロジェクトを縮小させた首相とは

10月4日、イギリスのスナク首相はHS2(ハイスピード2)と呼ばれる次世代高速鉄道計画の縮小を発表した。当初は、最高時速360キロでロンドンからバーミンガムへ、さらに西側はマンチェスター、東側はリーズなどまでを結ぶ壮大な計画だった。

スナク首相は、建設コストの上昇などを理由にバーミンガム以北の路線全ての建設中止を決めた。削減予算は6兆5000億円。これを北部や中部などの新しい交通プロジェクトに充てるという。北部地域活性化の最大の目玉であり、国の威信をかけて進めていたHS2の建設を途中でやめるというのは、日本で言えば、東北北部、北陸、上越などの新幹線計画をやめたというのに等しいインパクトだ。

大阪・関西万博と比べると政治姿勢の違いが際立つ。特に、イギリスでは総選挙が近づいていて、これだけの大型プロジェクトを途中で半分程度にまで縮小するという決断は、相当勇気のいることだ。

日本では、貰えるものは何でも貰おうと国民が考えるのに対して、イギリスでは、無駄なものは造らずもっと意味のあるものに使って欲しいという賢い国民が多いのだろう。

そう考えると、大阪の住民、そして日本の国民の民度が問われているのかもしれない。

10月11日には、札幌市と日本オリンピック委員会が2030年の冬季五輪招致を断念するという発表を行った。34年以降の招致は諦めていないようだが、背景に市民の理解が得られないということがある。そういう意味では、日本にも少しは希望があるのかなと思える話だ。

大阪でも、これに続いて、万博、そしてカジノまで、「やめる」という勇気ある決断を住民が後押しすることを期待したい。

古賀茂明(こが・しげあき)
古賀茂明政策ラボ代表、「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者。1955年、長崎県生まれ。東大法学部卒。元経済産業省の改革派官僚。産業再生機構執行役員、内閣審議官などを経て2011年退官。近著は『分断と凋落の日本』(日刊現代)など