「五公五民」と嘆きの声…日本の「税金・社会保障の“負担感”」はなぜこんなに大きいのか? その意外な理由(現代ビジネス 2023.03.08)
加谷 珪一
税と社会保障を合わせた国民負担率が47.5%という報道を受けて、「江戸時代の五公五民と同じだ」との声が飛び交っている。高齢化によって日本の国民負担率は高まる一方だが、この数字についてはどう考えればよいのだろうか。
もはや江戸時代と同じ?
財務省は2023年2月21日、税負担率と社会保障の負担を合計した国民負担率について、2022年度は47.5%になる見込みと発表した。国民負担率とは、国民や企業が得た所得の中から、税や社会保障の負担が何%あるのかという数字で、47.5%ということは、単純化すると稼ぎの約半分を負担している計算になる。
あまりにも負担が重いという感覚から、「五公五民」という話が出てきていると考えられるが、この数字は個人の給与の半分が税金や社会保障に消えているという意味ではない。
国民負担率というのは、国民や企業が支払っている税金や社会保険料の総額を国民所得で割った全体的な数字である。この中には、すべての税金が含まれており、社会保険料において企業が負担する分も含まれている。したがって、私たちが得ている給料から何パーセントの負担が生じているかという意味ではない。
日本の場合、所得税は累進課税となっており、所得が高い人ほど税負担が高く、所得が低い人ほど税負担が低い。また、年金や医療の社会保険料は厚生年金の場合、企業が半分負担してくれる仕組みになっている。
例えば、年収400万円程度を稼ぐ人の手取り収入は約320万円であり、税金や社会保障の実質的負担は80万円程度と考えてよい。したがって80万円程度の負担に対して年収が400万円という計算になるので、現実の負担率は20%程度ということになるだろう。
だが、そうだからといって日本の国民負担率が低いのかというとそうではない。
日本における社会保険の料率は年々増加しており、特に若年層における負担感の大きさは、以前とは比較にならないくらい大きくなっているのが現実だ。
なぜ負担感が大きいのか?
例えば、1980年における厚生年金の保険料率は約10%だったが、2000年には約14%になり、現在では約18%まで上がっている。税についても消費税の導入や税率アップが行われたことから、税の負担率も上がってきた。一方で日本人の給料は近年、横ばい、あるいは下落が続いており、負担率が増える中で賃金が上がらないという状態が続く。
特に若年層における負担感は、実際の数字以上になっていると考えるべきであり、中高年以上の世代におけるかつての常識で物事を考えてしまうと、今の現役世代の負担感の大きさは到底、理解できない。こうした世代間ギャップの存在が、税や社会保障負担に関する議論を難しいものにしている。
加えて日本の場合、政府や社会保障制度に対する不信感の大きさが大きく作用している。
実は諸外国において国民負担率という概念はあまりメジャーなものではない。GDPや国民所得に対する税負担の大きさ、あるいは社会保障の負担の大きさは統計としては存在しているものの、税負担と社会保険料負担は別物という認識が強い。
その理由は、税金は政府によって徴収されるお金と認識する人がほとんどである一方、保険料については将来、年金として自分が受け取るお金であることや、病気の時に利用する可能性が高いという現実を踏まえ、政府に取られるものではなく、返ってくるお金と認識する人が多い。このため社会保険料も含めた数字は国民負担とは認識されていないのだ。
では、なぜ日本において社会保険料までも負担として認識されているのかといえば、当然のことながら、その背景には年金制度や医療制度に対する不信感がある。
今後、年金の水準が低下するのはほぼ確実と言われており、若い世代は高齢者世代と比較して、取られ損との感覚を持つ人が多い。こうした状況が総合的に作用して、五公五民といった話がネットで取り沙汰されているのだ。
では本当のところ、日本における国民負担率というのは諸外国と比較してどのような状態なのだろうか。
大雑把に言うとフランスやスウェーデンなど欧州と比較すると負担率は低く、自由競争が貫徹されている米国と比較すると高いというのが現実である。
解決法はあるのか?
日本はこれまで、中福祉・中負担の国などと言われてきたが、国際的にはまさにその通りであり、税金が高いものの、手厚い社会保障が得られる欧州と、そうした措置が少ない米国との中間に位置している。だが困ったことに、今の日本はここ20年のゼロ成長や賃金の低下によって、中福祉・中負担の仕組みが崩壊しつつあるのが現実である。
私たちの生活は、輸入を通じて海外の物価から大きな影響を受ける。とりわけ医療費は国際水準に沿って決まってくるものであり、日本だけ薬や医療機器を安く買うことはできない。食糧など生活必需品の多くは輸入であり、最近は家電やAV機器など付加価値の高い製品まで輸入に頼っている。このため、賃金が上がらなければ、そのまま生活水準の低下につながってしまう。
このまま日本の低成長と低賃金が続いた場合、望むと望まざるとに関わらず日本は低福祉・中負担の国に転落する可能性が高まっているのだ。
日本の場合、諸外国の中でも突出して高齢化が進んでいることから、社会保障関連予算が増大するのは、ある程度やむを得ない面がある。だが、そうだからといって高齢者に偏重している予算を一気に削減し、若年層世代に付け替えるのは不可能であり、政治的にもあり得ない選択肢だろう。
この状況について一部の人は「シルバー民主主義」などと揶揄しているが、民主国家において一連の状況を打開する方法はひとつしかない。 それは継続的な経済成長の実現である。
経済が成長していれば賃金は継続的に上昇し、それに伴って保険料収入や税収も増える。多少、時間はかかるものの、継続的な成長が実現できれば、高齢者と現役世代の相対的な負担比率は是正されていき、現役世代の将来不安も解消する。
結局のところ社会保障の問題は全て経済の問題と考えてよく、そうであるからこそ、欧米各国は成長戦略を重要視している。日本とほぼ同じような賦課方式の公的年金制度を持つドイツが何とかうまく機能しているのは、日本と異なり継続的な成長を実現しているからである。
つまり企業の収益を拡大させて賃金を上げ、これを全体の成長に結びつける経済政策は、社会保障の問題を解決する唯一の施策と考えてよいだろう。
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加谷珪一 KEIICHI KAYA 経済評論家
1969年宮城県仙台市生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒業後、日経BP社に記者として入社。野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。独立後は、中央省庁や政府系金融機関など対するコンサルティング業務に従事。現在は、経済、金融、ビジネスなど多方面の分野で執筆活動を行っている。著書に『スタグフレーション』(祥伝社新書)、『貧乏国ニッポン』(幻冬舎新書)、『縮小ニッポンの再興戦略』(マガジンハウス新書)、『戦争の値段』(祥伝社黄金文庫)などがある。