世界が絶賛する「日本では暴動が起きない」社会の最大の弱点

日本では、なぜ略奪も暴動もおきないのか 社会

世界が絶賛する「日本では暴動が起きない」社会の最大の弱点(幻冬舎 GOLD ONLINE 2022.12.6)

岡田 豊 ジャーナリスト

世界では、デモや集会が暴動へと発展するケースがあります。同質社会の日本は、混乱が起きにくいという強みを持つ一方で、個性を発揮しにくいという弱みがあるのかもしれません。ジャーナリストの岡田豊氏が著書『自考 あなたの人生を取り戻す不可能を可能にする日本人の最後の切り札』(プレジデント社、2022年2月刊)で解説します。

「日本の奇跡」と評する海外メディア

■世界が称賛した日本人、同質社会の強みと弱み

2011年3月11日に起きた東日本大震災。未曽有の原発事故も発生。大勢の人が犠牲になりました。被災地では大勢の人が昼夜なく必死に生き抜こうとしていました。

震災から数日後、海外メディアが報じた日本人のニュースのことをよく覚えています。

「これだけの大災害なのに、暴動などが見られないのはなぜか。日本には敬意と品格に基づく文化があるからだ」
「我々も日本から学ぶべきだ。同情の気持ちと深い尊敬の念を表したい」

各国のメディアは、被災地のスーパーやコンビニなどで、冷静に整然と並ぶ住民の長蛇の列や、節電のために自主的にネオンが消された都内の繁華街の様子を伝え、日本人を称賛しました。

「日本の奇跡」と評する海外メディアもありました。

「大災害に対して冷静に秩序正しく対応し、安定した、礼儀正しい社会であることを示している」
「日本という国の芯の強さに世界の称賛が向けられている」
「悲劇は計り知れないが、日本が持つ非常に魅力的な面をこの悲しい出来事が示している」

こうした報じ方を見て、日本人は素晴らしいとあらためて認識しました。同様の災害が起きた場合に、暴動や大混乱が起きてしまう国もあるでしょう。

「日本人は礼節を心得ている」「自分が我慢し、他人を思いやることができる」といった評価は的を射ていると思います。

ここから話が飛びます。震災時のこうした日本人の素晴らしい評価の後で、こんな話をするのはとても気が引けるのですが、海外には「日本社会は同質性が高いから混乱が起きにくい」という分析もあります。

「自己主張を我慢する」「他人の顔色をうかがう」「出る杭になると打たれるから、それを避ける」

こうした特徴があるために、混乱が自己抑制されるという分析です。別な角度からは「個性を我慢しなければいけないために平均値に押し込められ、同質な社会になっている」といった見方もあります。

どこまで本質を突いた分析なのか分かりませんが、同質社会は、混乱が起きにくいという強みを持つ一方で、個性を発揮しにくいという弱みがあるのかもしれません。

「個人」を尊重しない自民党の改憲案

■「憲法改正草案」から削られた「個」、「公の秩序」を優先する発想

「第十三条 (すべて)国民は、(個人)として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、(公共の福祉)に反しない限り、立法その他の国政の上で、(最大の)尊重(を必要とする。)」

これが日本国憲法の第十三条です。基本的人権の内容を書いた第三章に置かれ、日本国憲法の三大原理の根底となる「個人の尊厳」を規定しています。

しかし、自民党が掲げる「憲法改正草案」では日本国憲法の第十三条を次のように変えようとしています。

「第十三条 (全て)国民は、(人)として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、(公益及び公の秩序)に反しない限り、立法その他の国政の上で、(最大限に)尊重(されなければならない。)」

カギカッコ「( )」をした部分が変更箇所です。

最も大きな違いは、現状の「個人として尊重される」を「人として尊重される」と変えたことです。尊重されるのは、「個人として」から「人として」に変わりました。つまり、「個」を削除しようとしています。さらに「公の秩序に反しない限り」が追加されます。「公の秩序」を優先する考え方です。

この「憲法改正草案」が成立すると、懸念されるのは、「個人」を尊重しない国家になるのではないかということです。自民党の「憲法改正草案」の中で私が最も危惧しているのがこの十三条です。

自民党憲法改正推進本部の副本部長だった礒崎陽輔・元参議院議員は、自身のホームページで、この「憲法改正草案」について次のような解説をしています。

『第13条は、従来幸福追求権の規定と言われており、そのことに変更はありませんが、「個人として尊重される」という部分については、個人主義を助長してきた嫌いがあるので、今回「人として尊重される」と改めました。従来の「個人として尊重される」がやや意味不明な文言であり、「人の人格を尊重する」という意味で「人として尊重される」で十分と考えたところです』

礒崎さんは自治省の官僚出身。安倍政権で首相補佐官などを歴任し、憲法草案づくりに携わってきました。その礒崎さんは『「個人として尊重される」という部分については、個人主義を助長してきた嫌いがあるので、今回「人として尊重される」と改めました』と主張しています。「個人主義を助長してきた嫌いがある」という認識で憲法を変更しようとしました。

私の認識は彼とは真逆です。個を尊重する考え方は、まだまだ日本に浸透していないと心配しています。個人より国家が優先されがちなのが現状ではないでしょうか。礒崎さんの認識には正直、驚きを感じました。自民党政権の本質の一端を見せつけられたようでした。

国家の統制・管理を強め、私たち個人をさらに息苦しくするような発想だとすれば、強い懸念を示したいと思います。みなさんは、どう受け止めているのでしょうか。

岡田 豊 ジャーナリスト

1964年、群馬県高崎市生まれ。日本経済新聞記者を経て1991年から共同通信記者。山口支局、大阪支社、経済部。阪神淡路大震災、大蔵省接待汚職事件、不良債権問題、金融危機など取材。2000年からテレビ朝日記者。経済部、外報部、災害放送担当(民放連災害放送専門部会委員)、福島原発事故担当、ANNスーパーJチャンネル・プロデューサー、副編集長、記者コラム「報道ブーメラン」編集長、コメンテーター、ニューヨーク支局長、アメリカ総局長(テレビ朝日アメリカ取締役上級副社長)。トランプ氏が勝利した2016年の米大統領選挙や激変するアメリカを取材。共著『自立のスタイルブック「豊かさ創世記」45人の物語』(共同通信社)など