「戦後日本経済」を10分で振り返り…改めて流れを追ったら〈現在の衰退っぷり〉がすごかった(幻冬舎ゴールドライフオンライン 2022.10.23)
敗戦後、焼け野原となった日本が奇跡的な復興を遂げ、すさまじい勢いで経済発展を遂げたのはよく知られているところです。その後、バブル経済からバブル崩壊を経て、長い景気低迷に入り、いまなお苦しい状況が続いています。それら一連の流れについて、経済評論家の塚崎公義氏が平易に解説します。
戦後日本経済は、バブル前後で大きく二つに分けられる
1945年に戦争が終わってから77年が経ちますが、この間の日本経済を振り返ると、バブルが崩壊した1990年頃を界として、大きく二つの時代に分かれていることがわかります。戦後の焼け跡から経済が順調に成長して世界一の経済だといわれるようになった前半と、失われた30年とも呼ばれる長期低迷期です。
前半は、戦後の復興期、高度成長期、安定成長期の3つに分けられますが、安定成長期の最後はバブルなので、別に考えたほうがよいでしょう。
後半は、バブルの後遺症に苦しんだ10年ほどと、その後の需要不足に苦しんだ20年強に分けて考えるとよいでしょう。
戦後の焼け野原から「10年で復興」
戦争で日本中が焼け野原になり、そこから人々がバラック建ての家を建て、海外に住んでいた人や海外で戦っていた兵士等が帰国し、地方に疎開していた人々が都会に戻ったわけですから、さぞかし大変だったでしょう。
しかし、食料が何とか手に入るようになり、焼けた工場が再建され、経済が戦前のレベルを回復するのに、10年しか要しませんでした。
あれだけの焼け野原から比較的早く経済が復興できた一因は、米国の占領政策が厳しくなく、むしろ食料援助なども行われたことでしょう。無条件降伏したわけですから、どれだけ賠償金を請求されても仕方なかったということを考えると、これは大変の幸運なことだったと思います。
もうひとつ、日本人が戦前から高いレベルの教育を受けていたことも重要かもしれません。家や工場は焼けてしまっても、高い教育を受けた優秀な人材が残っていれば、大いに復興に寄与するはずですから。
生活が格段に豊かになった「高度成長期」
高度成長期は、1955年頃(復興が一応成し遂げられた頃)から1973年の石油ショックまで続きました。新しい工場が大量に建ち、工業の生産量が飛躍的に伸び、年平均で10%近い経済成長率が長期間続いたのです。
経済が成長するためには、需要と供給がバランスよく伸びる必要がありますが、当時は需要も供給も急激に増加したのです。
新しい工場が建ち、人手で作っていたものを機械が作るようになったので、労働者の数の増え方よりも生産量の増え方のほうがはるかに多く、供給が急激に増えていました。
新しい工場が大量の労働者を必要としたので、労働力不足となり、労働者の奪い合いから賃金が急激に上がっていました。そこで、労働者たちは収入を得てテレビや洗濯機や冷蔵庫などを買えたのです。
いまに残る影響としては、もちろん日本が豊かになったことが最大ですが、農村から都会への人口大移動の影響も重要です。トラクターの導入で農家の労働力が余り、農家の子どもたちが都会に出てきて工場で働き、都会で結婚したのです。
量から質への転換の時代となった「安定成長期」
1973年の石油ショックがもたらしたインフレを抑制するため、厳しい引き締めが行われました。それを契機として高度成長期が終わり、そのあとは、安定成長期が続きましたが、それでも年平均5%近い成長でしたから、いまとは比べ物になりませんね。
安定成長期と高度成長期の違いとしては、生産量の増加から品質向上に企業の重点が変化したことが重要です。その結果、1980年代後半の円高期に、「円高なので日本製品は値上がりしたけれども、品質がいいので買いたい」という外国人が多く、日本製品の輸出があまり減りませんでした。
輸出激減に怯えていた日本人は、これに驚いて、「日本経済は凄い」と感じたわけですが、それが「日本経済は世界一だ」という驕りにつながってバブルの源となったのは残念なことでした。
地価と株価が異常に高騰した「バブル期」
バブル期には、金融が緩和されていたため、借金で土地を買う人が多く、地価が大幅に値上がりしました。株価も日本経済に対する自信から大幅に値上がりしました。
人々は、「日本経済は世界一なのだから、地価や株価が高いのは当然だ。もっと値上がりするだろう」と考えて積極的に土地と株を買いました。その結果、あとから振り返ると「異常だった」と感じる水準にまで高騰したわけです。
土地や株を持っていた人が儲かって贅沢したのはもちろんですが、「これからは日本の時代だ」と思った人々は、将来の給料増加を当てにして贅沢をしたので、景気は絶好調でした。皆が高級な家財道具等々を買っていたのです。
バブルの後遺症は「好況の反動」「金融危機」の2段階
バブル後遺症の第一弾は、好況の反動でした。バブル期に贅沢をしていた消費者たちは、バブル崩壊後に節約に努めました。そもそも高級な家財道具等はすでに持っているので買いませんでしたし…。
企業も、経済成長を信じて過大な工場を建て、そのために過剰な借金を背負い、過剰な人員を雇っていましたから、景気が後退すると苦境に立たされました。だれも工場を建てず、人も雇わなかったので、失業率が上昇したわけですが、そのタイミングで就職活動をした人々は大変苦労したようです。
好況の反動による需要の落ち込みが一段落したあとを襲ったのが、金融危機でした。バブル期に借金で不動産を購入した投資家(投機家?)が、不動産価格の下落によって倒産し、借金が返済できなくなり、銀行が巨額の損失を被ったのです。
銀行には、自己資本比率規制というものがあります。簡略化していえば、銀行は自己資本の12.5倍までしか融資をしてはならないのです。したがって、銀行が巨額の損失を被って銀行の自己資本が減ると、銀行は減った自己資本の12.5倍まで融資残高を減らさなければなりません。そのため、融資の依頼を断る必要が出てきます。「貸し渋り」といわれる現象ですが、それによって給料が払えずに倒産した中小企業なども、多数出てきたわけです。
金融危機後の20年…需要不足による経済の低迷が継続中
金融危機が収束したあとも、20年にわたって日本経済は低迷が続いています。原因は需要不足なのですが、なぜ需要不足なのかということは、実は明らかではありません。
給料が上がらないから消費ができない、といわれますが、人々が消費しないから企業が儲からずに給料が上げられない、ということなのではないでしょうか。
おそらく、人々が日本経済の将来や自分の将来に不安を感じるようになり、老後に備えて節約をして貯蓄に励むようになったことが重要なのだと思います。
それ以外の面でも、人々の意識が変化したことが影響しているのかもしれません。格好いい車で彼女をドライブに連れていき、高級なレストランで食事をする…というデートが減り、アパートでコンビニ弁当を食べながら2人でゲームをする、というデートをする若者が増えたなら、消費は盛り上がりませんよね。
今回は以上です。なお、本稿はわかりやすさを優先していますので、細かい所について厳密にいえば不正確だ、という場合もあり得ます。ご理解いただければ幸いです。
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塚崎公義 経済評論家
1981年東京大学法学部卒、日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。主に経済調査関連の仕事に従事したのち、2005年に退職して久留米大学へ。2022年4月に定年退職し、現在は経済評論家。
著書に、『老後破産しないためのお金の教科書―年金・資産運用・相続の基礎知識』『初心者のための経済指標の見方・読み方 景気の先を読む力が身につく』(以上、東洋経済新報社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)、『経済暴論』『一番わかりやすい日本経済入門』(以上、河出書房新社)、『退職金貧乏 定年後の「お金」の話』『なぜ、バブルは繰り返されるか?』『大学の常識は、世間の非常識』(以上、祥伝社)など多数。
趣味はFacebookとブログ。