安倍元首相と北朝鮮 本人が明かしていた、5人の拉致被害者を巡る田中均氏との激論

2014年6月、横田めぐみさんの写真展で父滋さん(中央)、母早紀江さん(左)と写真に納まる安倍首相=衆院第1議員会館 政治・経済

安倍元首相と北朝鮮 本人が明かしていた、5人の拉致被害者を巡る田中均氏との激論(デイリー新潮 2022年07月31日)

安倍元首相は、韓国では伊藤博文に次いで嫌われた日本人

安倍晋三元首相が暗殺された。第一報が流れた瞬間、韓国を知る日本人や在日、韓国のメディア関係者は、「犯人が韓国人だと困る」と思ったようだ。私も、一瞬だが「犯人が韓国人だと大変だ」との思いが頭をよぎった。でも、犯人の背後関係はなお闇のままだ。

「犯人は韓国人でないといい」と、多くの人が考えたのには、理由がある。8年ほど前に韓国で安倍元首相を暗殺する小説が出版され、話題になった。『安重根、安倍を撃つ』のタイトルだった。日本政府も抗議していないし、日本のメディアも扱わなかった。

安重根は伊藤博文の暗殺犯だが、韓国では英雄だ。1909年10月26日に、中国のハルビン駅頭で伊藤博文をピストルで暗殺した。それが、現代によみがえり中国のハルビンで、安倍首相を暗殺するというストーリーだった。

伊藤博文は、日韓併合に反対し、韓国の儒学者と話し合うなど当時の政治家の中では、韓国理解に努力したが、韓国では「植民地支配の元凶」と教える。

日本では知られていないが、安倍元首相も韓国では、伊藤博文に次いで嫌われた日本人だ。韓国では、安倍元首相は極めて評判が悪い。新聞記事には、必ず「右翼政治家」「軍国主義者」「韓国嫌いの政治家」との形容句が付いた。

「総連から金をもらっていた議員」

安倍元首相は、日本のどの政治家よりも、中国と韓国、北朝鮮についてよく知っていた。特に、北朝鮮に拉致された日本人の救出では、当初から努力した唯一人の政治家だ。

拉致被害者家族は、当初は外務省や政党を訪ね、北朝鮮と連絡が取れる日本社会党や左翼系の人物にも接触し、解決を頼んだ。しかし、どこでも相手にしてもらえなかった。

父親の安倍晋太郎元外相を訪ねて来た拉致被害者家族に、秘書をしていた安倍元首相が温かく対応した。拉致被害者家族と一緒に外務省や警察庁など、政府機関を回ってくれた。

日本では、自民党と野党の政治家は、拉致被害者家族にひどく冷たかった。それどころか、「騒ぐと殺される」と脅された。後に「そのわけがわかった」と話してくれた。

自民党の国会議員が、朝鮮総連から現金をもらっていたのだ。これは、警視庁が、議員会館に出入りする朝鮮総連職員を尾行して、事実を全て確認していた。ショッピングバッグに現金を入れ、議員事務所に出入りし、与野党議員に現金を手渡していた。もちろん違法だ。

安倍元首相は「まさかと思う人も、もらっていた」と、何人かの名前を口にした。

「重村さんしか信用できない」

ある日、安倍元首相がTBSのインタビューで「朝鮮問題では、重村さんしか信用できない」と発言した。このテレビ番組を見ていなかったが、友人が教えてくれた。

安倍元首相に呼ばれた際に、なぜ言ったのか聞いてみた。

「恥ずかしいから、テレビで言わないでください。どうしたのですか」
「帰国した拉致被害者に、テレビは見ていますかと聞いてみた」
「何を聞いたのですか」
「テレビで発言している専門家の中で、誰が一番本当のことを話していますか」
「それは人が悪い、事前に教えてくれなきゃ」
「〇〇さんが、はっきりと重村しか信頼できない。重村以外は、北朝鮮を知らずに、いい加減なことをしゃべっている、と言われた。他の拉致被害者にも聞いたが、同じだった」

当時は、新聞社をやめ大学で教えていたが、政治家に物欲しげに接触するのはジャーナリストとしてしたくなかったから、頻繁にはお会いしなかった。電話で、時折お話しする程度だったが、韓国・北朝鮮問題では話を聞いていただいた。

帰国した拉致被害者については、心無い噂が流されていた。北朝鮮と連絡しているとか、日本政府に全部は話していない、夜中に北朝鮮から電話がかかるなど。いずれも、悪意のあるデマ情報だ。

私はテレビで、「拉致被害者は苦しい生活だったが、親切にしてくれた朝鮮人がいる。その友達に迷惑をかけたくないから、話せないこともある。ただ、日本政府には全て話している。彼らを救出しなかった愛情ない日本の政治家や北朝鮮支持者に、そんなことをいう権利はない」と、反論した。

帰国をめぐる攻防

2002年9月の日朝首脳会談で、拉致被害者5人が帰国できた。その際、5人を再び北朝鮮に帰すべきかで、次のような激しい論争が、外務省の田中均・アジア大洋州局長との間で交わされた、と話してくれた。安倍元首相は、田中局長を信用していなかった。

安倍元首相は、この歴史的な激論の内容を教えてくれた。安倍官房副長官(当時)と中山恭子拉致担当大臣、福田康夫官房長官、田中均アジア大洋州局長(外務省)の四人だけの会議が、官邸の官房長官室であった。

田中「4人を北朝鮮に一度帰してほしい。里帰りで帰国しているのだから、一度平壌に帰って、また来たらいい」
安倍「また来る保証はありますか。一度返したら、2度と帰国できない。日本人だから、日本に帰るのは当然のことだ」
田中「返さないと大変なことになる」
安倍「大変なこととは、何ですか」
田中「これからの日朝交渉が、難しくなる。困ったことになる」

後に安倍元総理から、「困ったこととは何だったのだろう、田中氏は何を言うつもりだったのか」と聞かれた。私は、「多分。交渉相手のミスターXが、責任を問われ粛清されると心配したのではないか」と説明した。

中山恭子拉致大臣と安倍元首相が、田中局長に決定的な質問をした。

中山「何が困るのか、どんなことが起きるのか、言ってください。拉致被害者を北朝鮮に帰すこと以上に困ることはあるのですか」
安倍「拉致された日本人を取り返すのは、日本政府の義務だ。拉致被害者を救出できなかったのは、日本政府の怠慢だ」
中山「日本政府は、国民の命も守れないのか」
田中「平壌に子供たちがいるから、帰すべきだ。人道問題になる」
安倍「本人も、北朝鮮には帰らないと言っている」
田中「残された子供たちはどうするのか、親子離れ離れにしたら、これこそ人道問題だ」
安倍「日本政府が、責任を持って取り返す。親子再会できるようにするのが、外交官の田中さんの仕事ではないか」
田中「そんなことは…」
中山「あなたは、日本の外交官か北朝鮮の外交官か。日本の外交官なら、日本国民を救出し、保護するのがあなたの仕事だ」

田中局長は黙った。福田官房長官は最初から最後まで沈黙していたが、拉致被害者を北朝鮮に返さないとの方針を、了承した。

朴槿恵への不信

韓国の朴槿恵元大統領への不信を口にしたこともあった。

「まだ若い頃、日本に来ると祖父の岸信介元首相や父親が、温かくもてなし交流した。私もお相手した。それなのに、大統領になったら当時の恩義も忘れている」

私は、朴槿恵の立場と事情を説明した。

「父親の朴正煕大統領暗殺後に、側近たちが手のひらを返したように、朴正煕の悪口を言い出した。自分をチヤホヤした人ほどひどかった。田中真紀子氏と似た境遇だ。大統領就任後は、父親の時代の人権侵害や拷問事件などで謝罪させられ、日本と親しい姿勢を見せれば親日派と攻撃された。義理と人情は薄く、世話になった人も平気で捨てる韓国人が信用できなかった。父親を全面否定した金大中への怨念だけが、政治行動の原点だ」

安倍元首相は、夫人が問題にされ、内政が揺れた。国会でのヤジも大人げなかったが、いわゆる腹黒い自民党政治家と違い、率直に感情を表す子供っぽい、正直な性格であった。夫人を愛していたから、何をされても受け入れた。

安倍元首相は安全保障や朝鮮問題では、はっきり発言するので、「好戦的」と誤解もされたが、基本は平和主義者で愛国者だった。

「国家の指導者には、国民の命と平和を守る責任がある。夜も眠れないこともある。首相には、戦争で犠牲になった兵士を弔う責任がある。首相の間は、靖国神社に参拝はしない。戦争は2度とさせない。このために、世界の指導者たちと常に交流し、相手の意向を直接聞き、こちらの意向をはっきり伝え、信頼関係を構築し誤解を生まないのが大切だ」

安倍元首相は、台湾への協力を表明し「台湾の危機は日本の危機」との立場を明らかにした。大阪でのG20首脳会議では、食事の席で習近平主席をトランプ米大統領と安倍首相が挟む形で座った。食事の間中、トランプと二人で習近平に台湾問題の平和的対応と、新疆ウイグル自治区の人権問題解決を説き続けた。その記憶があるから、習近平も心の込もった哀悼の言葉を送ってきたのだろう。

重村智計(しげむら・としみつ)
1945年生まれ。早稲田大学卒、毎日新聞社にてソウル特派員、ワシントン特派員、 論説委員を歴任。拓殖大学、早稲田大学教授を経て、現在、東京通信大学教授。早 稲田大学名誉教授。朝鮮報道と研究の第一人者で、日本の朝鮮半島報道を変えた。 著書に『外交敗北』(講談社)、『日朝韓、「虚言と幻想の帝国の解放」』(秀和 システム)、『絶望の文在寅、孤独の金正恩』(ワニブックPLUS)など多数。

デイリー新潮編集部