旧統一教会、日本会議、創価学会…自民党「宗教で票集め」の冷徹な実態

街頭演説 政治・経済

旧統一教会、日本会議、創価学会…自民党「宗教で票集め」の冷徹な実態(DIAMOND online 2022.7.26 4:00)

上久保誠人:立命館大学政策科学部教授

安倍元首相の銃撃事件を機に、世間では「政治と宗教」に対する関心が高まっている。歴史をひもとくと、確かに自民党をはじめとする政党は宗教団体と密接に関係し、選挙時の「集票マシーン」として利用してきた。その一方で、宗教団体が望む政策が実現したことはほぼなく、「政教分離」の原則は守られてきたといえる。それでも筆者は、政党が宗教団体を集票組織として安易に使うことは控えるべきだと考える。「政治と宗教」の関係を具体的に述べながら、その理由を詳しく解説する。(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)

「政治と宗教」が関心を集めているが、宗教団体は「集票マシーン」にすぎない

安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した事件について、事件の背景には容疑者の「世界平和統一家庭連合(以下、旧統一教会)」対する怨恨があったと報じられている。これをきっかけに、「政治と宗教」に対する人々の関心が高まっている。

メディアでは、過度な献金を求める宗教団体が、信者とその家族を苦しめてきた実態が批判的に報じられている。その一方で、宗教団体が政治と深い関係にあることも指摘されている。そして世間では、政治は宗教団体との関係を断ち切るべきだという論調があふれている。

私の考えでは、政党や政治家にとっての宗教団体とは、選挙時の「集票マシーン」にすぎない。特定の宗教団体が強く求める政策が、国民全体の利益よりも優先して実現されたことは、私の知る限りほとんどないからだ。

その代表例が、政治と神道の関係だ。神道系の宗教団体をルーツとする右派組織「日本会議」は、自民党の強力な支持団体として取り沙汰されることがある。メディアでは、日本会議の政界に対する影響力の強さが報道されることも少なくない。

また、自民党議員の多くが、日本会議と関連がある「日本会議国会議員懇談会」と「神道政治連盟国会議員懇談会」のメンバーである(本連載第179回)。

だが、第2次安倍政権時、日本会議が主張する保守的な政策を自民党が実行することはほとんどなかった(第144回)。むしろ、日本会議が忌み嫌っているはずの社会民主主義的な政策を次々と実現してきた。

例えば、外国人労働者の受け入れを拡大する「改正入管法」だ。この改正案を審議していた際、日本会議は完全に沈黙していた(第200回)。

確かに過去には、自民党の大物議員が「日本は神の国」「八紘一宇」などと発言して波紋を呼んだことがあった。だが筆者の目には、これらの発言は日本会議に対するリップサービスのように映った。

というのも、こうした発言をした議員たちが神様を熱心に信じ、「神道とは何か」を日々熱心に研究している印象は全く受けなかった。あくまで票をもらうために、日本会議に調子を合わせているだけのように感じたのだ。
 
とはいえ、自民党はこうしたご機嫌取りはするものの、日本会議が求める政策を実現しなかったのは前述の通りだ。言い換えれば、日本会議は自民党に票だけを取られてきた。

日本会議の中からは「安倍首相(当時)に裏切られた」という声も聞こえてきた。しかし、日本会議が自民党から離れることはなかった。

創価学会を支持母体とする公明党も、自民党にメンツをつぶされている

では、自民党の連立パートナー・公明党の支持母体である創価学会はどうか。公明党は1999年の自公連立政権成立後、約23年にわたって自民党に組織票を提供してきた。

宗教団体を支持母体とする公明党は「平和の党」を自認し、安全保障政策を前進させようとする自民党の「歯止め役」を果たそうとしてきた(第104回)。だが、その役割を十分に果たしてきたとはいえない。

その証拠に、安倍政権期の自民党は、北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の軍事的拡大といった日本を取り巻く安全保障環境の悪化に対応。「特定秘密保護法(2013年、第72回)」「安全保障法制(2015年、第115回)」「テロ等準備罪(共謀罪)法(2017年、第160回)」という安全保障政策を成立させてきた。

一方で公明党は、支持者が求める利益誘導において、自民党から便宜を図られてきた。消費増税に伴う「軽減税率」(第121回)や、「クーポン券」「商品券」などの景気対策、コロナ対策の「国民に一律10万円の給付金」(第239回)などだ。

すなわち公明党は、自民党からの利益誘導でご機嫌を取られながらも、「平和の党」としてのメンツをつぶされ続けているわけだ。それどころか、参院選後は「改憲勢力」の一角として憲法改正に取り組むはめになりそうだ。それでも、公明党の支持母体・創価学会は黙っている。

旧統一教会が望む政策も、全く採用されない現実

今、注目が集まっている旧統一教会については、その関連団体で反共産主義を掲げる「国際勝共連合(以下、勝共連合)」と、安倍元首相の祖父・岸信介元首相が極めて近い関係にあったのは事実だ。

だが現在は、あくまで自民党の支持団体の一つとして、集票に徹しているように見える。

政策的には、旧統一教会は日本会議の主張と似ていることが指摘されている(北丸雄二『安倍元首相殺害事件が照射する自民党とカルト宗教との親和性』論座)。合同結婚式を主催してまで伝統的な結婚の聖性を維持しようとすることも、伝統的な「家制度」の維持をうたう日本会議と似ている。

また勝共連合は、「ジェンダーフリーや過激な性教育の廃止」「男女共同参画社会基本法の改廃」などを政治目標に掲げている。だが、これまで述べてきたのと同様、安倍政権以降の自公政権は、これらの政策を全く採用していない。

旧統一教会は、その成り立ちから韓国・北朝鮮と深い関係があるとされる。しかし、「従軍慰安婦問題」「元徴用工問題」がいまだ尾を引いているように、今の日韓関係は全く良好ではない。

昨今は「韓国海軍レーザー照射問題」「韓国による日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄(後に撤回)」などが原因で、関係が“最悪”になったのも記憶に新しい(第219回)。

また、安倍政権期に北朝鮮拉致問題は全くといっていいほど前に進まなかった(第244回)。これらの事実から、旧統一教会と韓国・北朝鮮のコネクションを、安倍元首相が交渉の裏ルートとして使ったということもなさそうだ。

要するに、さまざまな宗教団体が自民党の支持団体となり、自民党のために集票している。だが、宗教団体の政策的な目標は必ずしも実現されない。また、宗教団体が政治の裏部隊で暗躍する「陰謀論」のような話もあり得ない。

冷徹な扱いを受けているにもかかわらず、宗教団体が熱心に政治と関わる理由は何か。

宗教団体も資金繰りに苦労、政党の「お墨付き」が信者獲得に寄与

その理由を端的に言えば、自民党など政党の有力な支持団体となり、「社会的な信用」を得ることだ。政党の有力な支持団体という「お墨付き」を得れば、信者を集めやすくなる。信者を集められれば「献金」「お布施」「寄付」などの資金集めもやりやすくなるのだ。

宗教団体の経営は、見た目ほど安定していない。少子化による人口減や、宗教に対する根強い不信感の影響から、信者・資金集めに苦労している宗教団体は少なくない(ZUU online編集部『経営に四苦八苦する宗教法人 「非課税メリット」の苦労とは?』ZUU online)。ゆえに、政党からの「お墨付き」を求めて、宗教団体は選挙活動を熱心に手伝ってきた。

旧統一教会についても、選挙活動支援の熱心さがメディアに報じられた。例えば、国会議員事務所を旧統一教会関係者が訪れ、日常的にほぼ無償の形で手伝いをしていた。選挙時には信者を動員して運動を繰り広げていたという。

加えて、自民党の青山繁晴参院議員が明らかにしたように、自民党では「各業界団体の票だけでは足りない議員については、 旧統一教会が認めてくれれば、その票を割り振る」こともしていた(青山繁晴の道すがらエッセイ/on the road『自由民主党の立候補者と(旧)統一教会の関係をめぐって、わたしが参院選を前に行動したこと』)。

ちなみに、宗教団体と関係を持った政党は、自公だけではない。旧民主党系の野党も宗教団体と密接な関係を持ってきた。

与野党を問わず、宗教団体と関係を持っている

立正佼成会や崇教真光、パーフェクトリバティー(PL)教団などが作る「新日本宗教団体連合会」(新宗連)という団体がある。いわば創価学会とライバル関係にある新興宗教の連合組織である(小川寛大『“創価学会のライバル組織”が毎年夏にやる集会』PRESIDENT Online)。

新宗連は自公政権に対抗して、改憲や政治家の靖国神社参拝に反対する姿勢を取ってきた。2009年の総選挙では民主党を強力に支援し、民主党政権の誕生に大きく貢献した。

だが、2012年に自公が政権を奪還して長期政権化し、民主党が弱体化して分裂したことで、自民党との関係を再構築しようとする動きが出るなど、新宗連の勢力は次第に衰退してきた。しかし、左派野党の政治家の一部は、現在でも宗教団体の支援を受けている。

このように、与野党を問わず、政党は宗教団体に票を集めてもらっているのが現実だ。中には、政治献金を合法的に受け取っているケースもあるだろう。ただし、たとえ関係が合法的ではあっても、政治と宗教の関係に問題がないとはいえない。

安倍元首相を殺害した容疑者の母は、1億円以上も旧統一教会に献金して自己破産したという。宗教団体の中には、信者が借金で自己破産するほど寄付をさせる、信者を洗脳のために監禁するなどの違法行為を行っているものがある。

それを知りながら、政党は宗教団体を有力な支持団体として選挙活動に使う。政治家は宗教団体の集会に出席し、あいさつをする。前述の通り、公の場で“神様”に関するリップサービスもする。

そして、それら信用して入信して破産する人、救済を求める家族も多数いる。このことに対して、政治家の道義的責任は絶対にある。政治と宗教の関係は、抜本的に見直すべき時が来ている。

「政教分離」の原則は、日本では守られているのか

最後に、日本における「政治と宗教」の問題を、「政教分離」の原則と照らして考えてみたい。

政教分離には、国家による一切の宗教的活動を禁止する「分離型」、特定の宗教を国家が公的に保護しているが、それと他宗教を国会が平等に扱えばよいとする「融合型」、国家と教会は独立しているが、一定の制度的協力関係が存在する「同盟型」など、さまざまな形態がある(山折 2012)。

分離型はフランス、融合型は英国、同盟型はドイツが代表例である。

日本はフランスほど厳格ではないが、第2次世界大戦後、国教であった「神道」を政治から切り離したという歴史的経緯に鑑みると「分離型」に属するといえる。

そもそも政教分離は、16世紀の欧州の宗教戦争に端を発し、フランス革命で実現した。国家が特定の宗教権威・権力(当時で言うローマ教皇)ではなく、世俗権力によって支配されるべきだとする「国家の世俗化」の産物である(西谷 2000)。

また政教分離とは、どんな形態であれ、権力・権威から信教の自由を守るためのものであることが大原則だ。

日本においては、政党が宗教団体を集票に利用し、宗教団体の組織的拡大を許してきたのは確かだ。だが、宗教団体の要望に沿った政策を一切実現しなかったこともまた事実である。

宗教団体側も、過度な政治的要求は控え、会員増と資金増による「組織存続」のために政治と接することに徹してきた。その意味で、日本では政教分離の原則が守られているという、一定の評価はできるのではないか。

そのため、安倍元首相の殺害事件をきっかけに、特定の宗教を過度にバッシングしたり、その活動を制限したりといった、事実上の「宗教弾圧」が始まることは避けるべきだ。

こうした弾圧を許してしまうと、「信教の自由」にとどまらず、「言論の自由」「思想信条の自由」「学問の自由」が権力によって制限されることにもつながりかねない。

一方、宗教によって被害を受けている人やその家族については、救済を進めなければならない。その困難さ、壮絶さは大学教授として少しだけ関わって知っている。

その経験からも強く主張したいが、政治家が宗教団体を集票組織として安易に使うことや、「お墨付き」を与えることは、今後は厳に慎むべきである。

<参考文献>
山折哲雄(2012)『宗教の事典』朝倉書店
西谷修(2000)「宗教と近代―世俗化のゆくえ」『宗教への問い4 宗教と政治』岩波書店 P28~29

上久保誠人 立命館大学政策科学部教授
1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。