なぜ戦争はなくならないのか? 過去の哲学者たちが示す3つの視点

なぜ戦争はなくならないのか 文化・歴史

なぜ戦争はなくならないのか? 過去の哲学者たちが示す3つの視点(Forbes 2026.04.04 16:00)

Theodore McDarrah | Contributor

戦争は世界各地で激化している。ロシアによるウクライナ侵攻は4年目に入った。スーダンとソマリアの内戦は終わる気配がない。イスラエル、ガザ、レバノン、イランにまたがる暴力の連鎖も再び拡大し、米軍が同地域の標的を攻撃している。

この破壊の連続を私たちはどう受け止めればいいのか。戦争は正当化されうるのか。それとも、すべての戦争を終わらせる方法をなお探し続けるべきなのか。そもそもそれは可能なのだろうか。

こうした問いは新しいものではない。哲学者、社会科学者、政治家は数千年にわたり、戦闘の倫理と必要性に取り組んできた。この長い歴史から、戦争は人間の本性の一部であり、したがって回避不能だという結論が導かれるようにも思える。だが、その結論は説得力に欠ける。哲学者なら、それは論点先取だと言うだろう。戦争が続いてきたことを、戦争の不可避性の証拠だと見なしているからだ。

戦争は不可避である

紀元前6〜5世紀頃に生きたとされるソクラテス以前の哲学者ヘラクレイトスは、戦いについての考えを婉曲的に語ることはなかった。著作は断片しか残っていないが、それでも理論を構想するには十分だ。「戦争は万物の父であり、万物の王である」とヘラクレイトスはいう

なお、古代ギリシャ語の「polemos」には英語に直接対応する訳語がないことに留意したい。「war(戦争)」とも訳せるが、より広く「争い」や「対立」の意味合いも含む。

ヘラクレイトスの考えでは、強さと弱さ、光と闇、生と死といった対立こそが、私たちが世界を理解する手段である。もっとも、この解釈においても、そこに道徳性の問題はない。対立と闘争は、歴史を動かす根源的で不可欠なエンジンなのである。

そこで、哲学史における戦争の3つの体系的理論に目を向けよう。いずれも戦争の本質という問いに、異なる答えを提示する。

戦争は起こりうるが、道徳的ルールに従わねばならない

「正戦論(Just War Theory)」の諸形態は古代エジプトにまで遡れるが、中世にアウグスティヌスやトマス・アクィナスらの哲学者によって体系化された。ラテン語の理論「Jus ad bellum(開戦の正当性)」として整理され、戦争を正当化する前に満たすべき道徳条件を示す。米国の政治理論家・哲学者マイケル・ウォルツァーは、1977年の著書『正しい戦争と不正な戦争(Just and Unjust Wars)』でこの考え方を現代化した。

ウォルツァーは、戦争に踏み切る決定にも、戦い方にも道徳的推論が適用されると主張する。国家には自衛や、他国の防衛支援といった正当な理由が必要だ。だがそれでも、民間人を標的にしてはならず、武力行使は脅威に見合う比例性を備えねばならないなど、戦い方には倫理的な制約がある。

より広い含意として、戦争は倫理的枠組みの内側にあるということになる。ルールは適用される。これは、適切な道徳条件の下では戦争が正当化され、場合によっては必要となる可能性さえあることを示唆する。

戦争は廃絶されるべきである

これに対抗する理論は、ドイツの哲学者イマヌエル・カントに由来する。カントにとって戦争は、不可避でもなければ、十分に正当化されることもない。ゆえに廃絶されるべきだ。彼は1795年の論考『永遠平和のために(Perpetual Peace)』の中でこの主張を展開する。

カントの推論は、彼の中心的な道徳原理の1つに根ざしている。すなわち、人を決して目的達成の手段として扱ってはならないという原理だ。端的に言えば、戦争はこれに反する。兵士は道具として用いられ、民間人は巻き添え被害となる。たとえ最終的な結果が恒久的平和のように肯定的なものだったとしても、戦争は倫理的に擁護できない。

ヘラクレイトスとは異なり、カントにとって戦争は自然なものではない。戦争は、問題のある指導者と偶然の成り行きによってのみ生じるのだと彼は示唆する。「国家は個人と同様に、ただ近接しているというだけで互いに害し合う」。そして、国家間のいっそうの協力と法に基づく関係を通じて、戦争を排除しうる政治秩序が生まれうると結論づける。「自然は、正義[戦争ではない]が最高権力を得ることを欲する」のだ。

これら3つの視点は、戦争の核心にある長く続く哲学的ジレンマを浮き彫りにする。戦争は人間の本性として避けがたい側面なのか。規制されねばならない悲劇的な必然なのか。あるいは、克服可能な問題なのか。

重要なのは、これらが抽象的観念にとどまらない点である。これらは指導者が下すべき選択と、その先に生じる結果を形づくっている。

forbes.com 原文

Theodore McDarrah

セオドア・マクダラ(Theodore McDarrah)は、リーダーシップ、心の哲学と言語哲学、人工知能、そして認識論について執筆している哲学者です。彼は、これらの学問が単に「アカデミー(学術界)」の中だけでなく、実生活のレベルにおいても重要であることを示すことを目指しています。また、主要な時事問題についても哲学的な視点から考察しています。マクダラはニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチで哲学の修士号を取得しており、2020年からフォーブス(Forbes)に携わっています。